反帝国組織MM⑨ジュ・トゥ・ヴ~本当に彼を求めているのは誰なのか何なのか
江戸川ばた散歩
仕事の前 旧い知り合いとの逢瀬
「変わったね、あんたは」
うつ伏せたまま、隣に居る相手を彼は横目で見上げた。
上体を起こし、煙草につける火が一瞬、相手の自分よりはやや鋭角的な横顔のラインを目に飛び込ませる。
明るい色の髪、やや尖り気味の顎の線、自分の奥の奥まで見透かしてしまうような大きな鋭い目。あの頃、とても好きだった、その表情。
気だるい身体。頬に当たる布地の冷たさが、何となく心地よい。決して普段肌に触れて心地よいというような柔らかさは持ってはいない。だが今は。
「そうかな」
灯りが消え、姿が視界から消え、煙草の匂いだけが残る。
月明かりの逆光に、相手の表情が見えなくなると、その声は余計に自分の中にまっすぐ飛び込んでくる。ぞくり、と皮膚のすぐ下に、何かが流れていくのを彼は感じた。
遠くに、波の音が聞こえる。昼間、何気にふざけて、濡れネズミになってしまった海岸に、打ち寄せる音。
「そうだよ」
そう言って、彼は目を伏せる。こんな言葉、言うつもりはなかったのだ。
「……ごめん」
つぶやいてみる。気にはしないさ、とあの黄金のトランペットを思わせるような声が、再び耳に飛び込んでくる。
ふっと髪に手を触れる気配がしたので、また薄目を開けてみた。長い自分の髪を、指に絡めている。
「そういうのは、あんた相変わらず好きなんだね」
「まあね」
短い答えが返ってくる。
「長い髪は、好きだよ」
「そう言えばあんたの今の相手も、長い髪だって、さっき言ってたね」
ああ、と相手は短く答える。
「そこだけは、君と似ているな。やっぱり黒いし」
「そこだけ?」
「そこだけさ。他は何も似ていない」
ふうん、と彼は答えを返す。
「でもよくあんた、来てくれたよね」
「他ならぬ君のためだからね」
「殺したい程の」
「殺したいほどの」
微かな音が、聞こえる。煙草をサイドの灰皿に置いた音だろうか、と彼は思う。
自分がひどく無防備になっているのを、彼は気付いていた。こんなことではいけないのだ。むき出しの背中を、相手に向けている。
過去はどうあれ、この相手は、今は敵にもなりうる人物なのだから。
だがそんなことは今はどうでもよかった。
「相変わらず君が、危なっかしいから、つい手を出してしまう」
「そんなに危なっかしいかな」
「充分」
くす、と彼が笑みをもらすと、髪に絡めていた手が、指が、そのままかき上げるように地肌から首すじをたどる。彼はゆるゆると相手のその手に指を伸ばす。
相手は空いているほうの手で、その指に指を絡める。
「何を、そんなに忘れたい? せっかく取り戻した記憶なのに」
「色々」
短く彼は答えると、指を解き、身体を浮かすと、相手の首に手を回した。
「あんたの声を、もっと聞かせてくれよ。どうせまた、明日からは、仕事なんだ……」
「君は卑怯だ、G。何処へ行くかは教えてくれないのかい?」
「……卑怯だよ」
そんなことは判っている。だから、呼び出したところで、来るとは思ってはいなかったのだ。
相手は、帝国の内調局員だった。反帝国組織に属する自分には、事態によっては、確実に敵に回る人物なのだ。
そして、遠い昔、まだ、帝国が星域を統一する前までの、同じ種族、同じ軍の、自分の愛人のようなものであり……
自分がその昔、裏切った相手だった。
もう遠い昔だった。
長い時間をそのまま歩いてきた相手と、時間を行きつ戻りつ飛び越えつつ、所々移動してきた自分とでは、体感時間にずれがあるのは事実である。
だが、いずれにせよ、普通の人間から見れば気の遠くなるような昔であることには違いない。
「俺は卑怯だよ。俺はあんたが俺の頼みを聞いてくれてしまうことを知ってる。だから鷹、あんたも俺を、そんな優しくじゃなくて、もっと手荒に扱えばいいんだ」
「でもそれも、君の望みだろう?」
のぞき込む相手の顔から、月明かりに苦笑めいたものの気配が浮かんでいる。昔はこんな表情はしなかった、と最近取り戻した記憶が自分の中でつぶやく。
自分は、相手がどんな時間を送ってきたのか、知らない。
天使種の軍隊から離れて、何をどうして、帝国の内閣調査室の局員になっているのか。そこにたどり着くまで、どんな時間を送り、どんな相手と巡り会ってきたのか。自分は何も知らない。今の「誰か」。黒い長い髪を持っているらしい「誰か」のことも知らない。
自分が知っているのは、ごくごく僅かな時間の、この相手の姿だけなのだ。自分を好きだった期間の、相手の姿だけなのだ。
変わったところで、不思議はない。変わらない方が、おかしいのだ。
「君は、俺に手荒に扱って欲しいんだ」
そうかもしれない、と彼は思う。
そう言って相手を怒らせて、それでいて自分自身、考える間もなく、記憶の中に埋まることなく、ただただ訳の判らない程何かに溺れたいのかもしれない。
「だったら、望み通りに」
相手の腕が、荒々しく自分の肩にかかるのを彼は感じていた。
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