鏡の巫女と縁切り雀

雨宮いろり・浅木伊都

第1話 竹やぶにて

 ひよりが青磁を見つけたのは、春うららかな竹やぶの、一番奥に鎮座している大きな井戸の中だった。


「ああ、常世のにおいだ」


 そう言って瞬きする青年の、形のよい鼻であったり、小さな唇であったり、切れ長の美しい目であったり――そういう一つ一つに見とれていたひよりは、悲鳴を上げ忘れた。

 考えてみれば不審者だ。

 私有地の井戸からぬっくりと現れた、書生風の和服をまとった青年など。

 だがひよりは怪しみもせず、刈り取ったばかりの青竹を握りしめたまま、井戸から這い出てきた青年の顔をじっと見つめた。

 黒く濡れたその瞳に、夢の中のような懐かしさを覚えたのだ。

 青年の、ぬばたまに輝く瞳がひよりを見つめ返す。


「ぴぇ」


 美青年に見つめられることに耐性のないひよりが奇声を上げると、青年は少し気分を害したように唇を引き結んだ。


「お前、一応野見山の家に連なる者なのですね。奇妙ななりをしていますが、力はあるのでしょう」

「へ? ああ、力ならまっかせて下さい。この通り、青竹もばりばり刈っちゃってますからね!」


 とあるもくろみで切り落とした青竹を、誇らしげに掲げてみせると、青年はその美貌に明らかな軽蔑の色を浮かべた。

 小さくて華奢な体。お月様のように丸い顔に、大きな瞳と小さな鼻、唇。どうにも小動物めいた印象を拭えない小娘と、青竹という組み合わせは、絶妙に似合わない。


「そういうことを言ってるんじゃないんですよ。お前はこの井戸の封印を開けてみせた。式神を封じる封印を解くことができるということは、すなわち式神を使役する力があるということ」

「はあ」

「ずいぶんとまあ間抜けな顔をする。お前、ずっと追いかけていたものが自分のしっぽだったことに気づいた子犬のような顔になっていますよ」

「わあ、それってかわいいですね」

「和んでいる場合か。……ともかく、です。私は七生に話がある。七生の所へ連れて行って下さい。今は戦争中なのでしょう、急ぎ話をつけなければ」

「戦争中? いいえ、今はどことも戦争してませんよ」


 季節は春、穏やかな日差しがついつい眠りを誘う頃。彼は、頭の方も少々ほんわかしてしまった青年なのかもしれない。

 そう思ったきよりだったが、青年の顔が豹変したので一気に現実に引き戻された。


「なんだと? では、七生は? 戦争は? 式神特攻計画は?」

「え、えっと、七生は、ひいおじいちゃんの名前です。今は昭和の次の次の時代で、令和といいまして、式神特攻計画はぜんぜん意味が分かりません!」


 青年はぽかんとした表情でひよりを見た。そうすると、どこか迷子のこどものような寄る辺なさを感じる。

 大きな細い手が、わななく口元を押さえるように添えられる。

 青年はじっと地面を睨みつけていた。


「……そうか。七生は、もうこの世にはいないのですね」

「戦争中に亡くなったと聞いてます。あの、ひいおじいちゃんの古いお知り合いですか?」

「古いお知り合いが井戸の中からひょっこり出てくるものか。少しは警戒心を持ちなさい。お前、名前は」

「ひ、ひよりです。野見山ひより」

「よろしい。癪ではあるが、私の封印を解くだけの力はあるのでしょう。お前を主と認めます。契約を結びますが、いいですね」

「契約? でも……」

「式神は主がいなければ消滅してしまう。お前から何か対価をもらうことはありませんから、安心して私の主になりなさい。……まさか、むざむざ私を消滅させるなどとは言いませんよね?」


 にっこり、と花の咲くような笑み。美しい花には棘があるというが、生憎とひよりはその言葉を思い出すことができなかった。

 街を歩けば浄水器の売り込みに引っかかり、電話を受ければ光回線のセールスを真剣に聞いてしまうひよりは、今回もやはり青年の畳みかけるような言葉に頷いてしまった。

 小さな頭がこくんと上下するのを見るや否や、青年は厳かな声で唱えた。


「我が名は青磁。野見山家に紐づく式神なれば、野見山に連なる者をあまねく守護せん。――陰陽道は太山府君の名に基づきて、野見山ひよりを主とする」


 そう言った瞬間、きよりの首筋がちりりと熱くなった。慌てて手を触れてみるが、すべすべした皮膚に変わったところはない。


「では家に案内して下さい。ああ、家が戦火を経ても失われず、残っていることは分かります」

「そういうものですか?」

「はい。私は野見山の家を守るために存在しているのですから」


 そう言って青磁と名乗った青年は、どこか懐かしそうに微笑んだ。


「ところでお前、どうして青竹など握りしめているのです」

「そんなの、決まってるじゃないですか」


 ひよりはにんまり笑って言う。


「至高のたけのこご飯を炊くためですよ」







 ひよりの家は池袋から電車で二十分の駅、からさらに二十分バスに乗った所にある。

 瀟洒な住宅街と言えば聞こえはいいが、要するに隣接するのが民家でなく大根畑という、大変ルーラルな地域である。

 すぐ近くのマンションが、うぐいすの声が聞こえる街、という謳い文句で売り出されていたのを見た時には、物は言いようだと心底思った。確かにうぐいすやメジロはひっきりなしにやってくるが、それよりも庭で唐突にぽつんと佇んでいるタヌキやハクビシンを売りに出した方が面白そうなのに、と密かに考えている。


 田舎であるぶん、家はとても広い。日本家屋風でありながら、手入れがきちんと施され、天井の高い洋風の離れまでしつらえてある。納戸には古い家具や着物がたくさん詰め込まれているので、そのうち虫干しをしなければならないが、その手間を補って余りあるほどに、居心地のいい家だった。


 窓を開け放っているので、裏手にある竹林――青磁が現れた井戸のある場所――が、風でさやさやと鳴る音が聞こえてくる。

 ほんとうに、いい家だ。ひよりが一人で住むには、十二室は手に余ったが。


「変わっていませんね。あの離れは初めて見ますが」

「あれはおばあちゃんが最後に住んだ離れなんです。刺繍がすごく上手で、何度も何度も展示会が開かれたくらいなの。今でもあそこに作品がたくさん残ってますよ」

「お前の祖母ですか。七生には小さな息子がいましたが、もしかしてその嫁でしょうか」


 ひよりが頷くと、青磁は離れをじっと見つめた。

 彼の目には、祈りにも似た運糸の軌跡が見えている。ひよりの祖母が、一糸一糸丹念に縫いこんだ思いは、そのままこの家を守る薄布となっているようだった。

 結界、というほど大げさなものではない。

 けれどそれは確かにこの家の守護であった。


「……ふむ。息子の嫁は、七生とはまた違う力を持っていたようですね。息子の方はなんの力も引き継がなかったようですが」

「遺伝するものじゃないんですかね? 私もそういうの全然ないですし」

「お前は力を持っているでしょう。そうでなければ私の封印を解けるものか」

「そういうものですか」

「そういうものだ」


 と言われても、ひよりには、自分が何か特別な力を持っているという自覚はまるでない。

 青竹狩りのついでに、竹林の最奥にあった古井戸を見つけ、好奇心からその蓋を開けてみたら、中から美青年が出てきたのだ。

 かぐや姫の変奏版、と言えないことも、ないかもしれない。そうするとこの美青年は、いつかどこかに帰ってしまうことになるなとひよりが妄想をたくましくしていることを、当の本人は知らない。

 井戸の中から出てきた、青磁という名の式神。式神というものがなんなのか、ひよりは全く分からなかったが、悪いものではないということは本能的に分かっていた。

 彼が曾祖父の名を口にしたこともある。けれどそれよりも、まるで自分が生まれた頃から一緒にいるような、そんな懐かしさがひよりをくつろいだ気分にさせたのだった。

 ひよりは青磁に先立って、勝手口から台所に入る。


「お前、その青竹でたけのこご飯を炊くと言いましたが、なぜそんな頓狂なことを思いついたのです」

「この台所から、竹林が見えるでしょう。春風がふわっと舞い込んで、ああ春だなあ、たけのこご飯のシーズンだなあ――と思っていたら体が勝手に竹やぶのほうに」

「よく分かりました。春で頭が茹だってしまったのですね」

「でも考えてみて下さい。掘りたての旬まっ盛りなたけのこを、ふんだんに使った上に、竹の器で炊くたけのこご飯ですよ! 絶対美味しいに決まってます!何と言っても青竹ですから、水分たっぷりでジューシーで! 香りも良さそう!」


 ふんふんと鼻息荒く青竹を撫でるひより。

 青磁はそれを珍獣でも見るような目で見ている。


「今確信しましたよ。お前は間違いなく七生の血縁者です。――あれもずいぶん食い道楽だった」


 そう言って青年は、ひよりの手から青竹をぱっと取り上げた。


「貸しなさい。私がやりましょう」

「あ、でも……悪いです」

「私はお前の式神ですからね。使用人のようなものと思えばいい」

「そうだ、さっき私を、主とか言ってましたけど。お、お給料とか、払えないですよ?」

「意外と律儀なのですね。私とお前は対等ではありません。お前が一方的に私を使役するのです。給金は不要」


 えっと、とひよりは事態を理解しようと努める。

 しかし、いきなり現れた美青年を一方的に使役しろと言われても困る。第一使いどころが分からない。


「その場合、あなたにメリットがありませんよね」

「いえ、ありますよ。私が式神をやっているのは、ある願いを叶えるためですから」


 そう言って青磁は青竹を空中に放った。

 白い指先が蝶のようにひらめく。風がさやかに頬を撫ぜ、一瞬のまたたきの後にからんという乾いた音。


「わあ……!」


 ひよりの目が輝く。青磁の手の中には、まさにこのくらいの大きさ、と彼女が思っていたサイズに切られた竹があったからだ。

 小さなひよりの手でも握れる程度の太さで、おまけに中がしっかりとくり抜かれている。あとは米と具材を詰めて火にかけるだけ。


「すごい、式神パワーってこんなこともできるんですね!」

「なんでも、ではありません。お前が望んだからこうなっているのです」

「私が望んだから?」

「式神は主ありきのいきものですから。主の希望を読み取って、事を成し遂げます。……今、何か邪なことを考えませんでしたか?」

「え? ああいえ、客間の障子の張り替えとか、客用お風呂のカビ取りとか納戸の虫干しとか、そういうのもやってくれるのかなあと思ってました」

「悪巧みに向かない娘ですね」

「向いてるよりはいいんじゃないですかね」


 ちょうどいい入れ物を手に入れたひよりはご機嫌だ。下ごしらえしておいたたけのこを手に、いそいそと料理を始めた。

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