河童の相撲、夏の日
杜乃日熊
河童の相撲、夏の日
2020年、とある夏の日。アナタは土手に立っていた。燦々と日射しが降り注ぎ、何かしなくとも自然に汗が噴き出すほどの暑さだった。土手下の近くには、川が流れている。澄んだ水が緩やかに流れており、水面が照り輝いて眩しく見える。
辺りには誰も居ない。心地の良い静寂がアナタを包み込む。あまりにも静かなので、川のせせらぎが土手の方まで聞こえてきそうだ。
そんな静寂に割り込むようにして、どこからか、ペタペタと何かを叩く音が聞こえる。その粘着質な音は、どうやら川原の方で鳴っているらしい。音の正体が気になるアナタは、土手の上からソッと覗いてみた。
そこに見えたのは、地面に描かれた大きな円とその内側に引かれた二本の線。その図形はさながら土俵を模しているようだ。
そして、即席の土俵の中に、中腰になって対面する二匹の生物が居た。
その二匹は人の姿に似ているが、様々な点で人と異なる特徴を持っていた。一匹は全身緑色で、相対するもう一匹は赤色だった。ただ二匹ともに、首元から腹部にかけた部分は肌白い。背丈は児童と変わらない程度で、背中に甲羅を背負って、頭頂部には皿を乗せている。
なるほど、彼らは力士というわけだ。そんな彼らを見守るようにして、彼らと同じ背格好の生物が、土俵の外側の、ちょうど二匹の中間に立っている。肌は灰色で、右手には、行司が勝負の判定に用いる軍配団扇が持ってある。
向かい合う二匹の力士は、泰然自若と四股を踏んでいた。クチバシを真一文字に結び、互いに睨み合う二匹からは、重たい雰囲気がひしひしと伝わってくる。
それは日常とは程遠い、異様な風景だった。彼らは一体何者で、ここで何をしているのか。数々の疑問がアナタの脳裏をよぎる。だが、ここで邪魔をしては彼らが逃げてしまって、降って湧いた未知なる景色の正体を知ることができなくなるかもしれない。それがなんだか勿体ないことのように感じて、アナタは静観することに決めた。
少しの沈黙の後、二匹は両手を地面に突き、構えを取る。
「クァ、クァ。クワッカ、クァクァ。クックァクァ……」
行司が何かしらの言葉を告げる。それから軍配を突き出し、下の方へ向けて構える。
「クワッケコーイ……クワッカァ!」
行司の掛け声(のような鳴き声)を上げたと同時に、二匹が動き出した。ぶつかり合う体と体。水掻きの付いた手を器用に使って、互いの回しを掴む。回しを引っ張り合い、やがて膠着状態に入る。
行司は軍配を振りかざしては、「クワッ、クワッ!」と声高らかに鳴く。
低い唸り声が二匹のうちのどちらかから漏れ出る。両者の肌には、汗とも川の水とも知れない水滴が滴っている。
それから、拮抗した土俵に動きが生じた。赤色の方が時計回りに腰を捻った。回しを掴んだ手も連動して引っ張ったことで、緑色の方の体勢が崩れかける。だが、すんでのところで踏みとどまる。
アナタは、自身の手が汗ばんでいるのに気がついた。思わず握り拳を作っていたらしい。
目の前の風景は依然として未知のままだ。けれども、理屈を超えた魅力がアナタを惹きつける。
優勢な赤色の方が、さらに攻撃を仕掛ける。前方に重心を乗せて、相手の体を押していく。緑色の方が踏ん張りを利かせるものの、みるみるうちに土俵際まで追いやられる。
あと一歩押し出されれば勝敗が決まる。「クワッ、クワッ!」赤色の方は押す力をより一層強めて、緑色の方は渾身の力で耐え凌ぐ。数センチメートルのせめぎ合いが静かに繰り広げられる。
二匹の頭に乗った皿が日光を反射して、白く輝く。その輝きが、アナタにとっては神々しい光に見えた。
その時、戦況が一変する。
それまで劣勢だった緑色の方が、両手に力を込める。それから、相手の回しを引っ張るようにして、半身を翻す。
不意の動きに、赤色の方の足が地面から離れる。両者ともに体勢を崩し、土俵の外へ。倒れる最中、緑色の方はさらに手の引く力を強める。そのおかげで、赤色の方の体が一瞬早く地面に触れた。それは「寄り倒し」という相撲の決め技だった。
「クワックワッ、カァ〜カァッ!」
行司の高らかな声が響く。軍配を天へ向けて振り上げる。
緑色の方が先に立ち上がる。それから、倒れたままの赤色の方へ手を差し伸ばす。赤色の方は、差し出された手を握り返しては立ち上がる。
二匹の視線がまっすぐに交差する。両者の眼差しはどちらも澄んだ水のように、一点の曇りも見当たらない。
アナタは無意識のうちに拍手していた。真剣に取組に打ち込む二匹の姿。勝敗が着いてからも互いに尊重し合う精神。短い時間の中に、競技の全てが詰まっていた。
「クワッ!?」
行司が驚いたようにアナタの居る土手上を見上げる。それに釣られて、二匹の力士もアナタを見遣る。
「クワックワッ! クワッカァ!」「クワッ、クワッ!」「クワッ、カカカァ!」
三匹は雄叫びを上げる。アタフタと手をバタつかせたかと思えば、一目散に川の方へ走り去っていく。
アナタは、しまったと我に返る。すでに去っていった三匹に申し訳ないと思いつつ、目を泳がせる。そして、視線は土俵の方へ。
そこに、行司が落としたと思われる軍配が残されていた。黒い漆が塗られた軍配は日光を反射し、小さな輝きを放っていた。
河童の相撲、夏の日 杜乃日熊 @mori_kuma
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