第二十二章 贈り物

22-1 鬼

 咆哮の後――最初に響いたのは、悲鳴だった。



「ぎゃあぁあッ!?」



 トモエを刺した鋤が、鈍い音を立てて地に落ちる。持っていた男の手――その肘から先を、くっつけたまま。



「手が、手がぁあああっ!!」



 両腕を切断された男が、血を噴き出しながら駆け去って行った。仲間が「おいっ」と呼びかけるも、聞こえた様子もない。


 トモエを抱いたまま、ゆらりと朱金丸が立ち上がる。その顔に、視線を向けられたわけでもない美邑までぞくりとする。


 怒り――悲しみ――絶望。

 全てが入り交ざった、まさに「鬼」と言うに相応しい形相。



「貴様ら……許さぬ」



 ぽつりと呟くと同時に、朱金丸の影が、ずずずと動いた。本人は身動ぎ一つしていないのに、影だけが勢いよく、別の男の元へと伸びていく。



「ひ……ッ」



 狙われた男が悲鳴を上げる前に、影から飛び出したのは、太い木の幹程もある蛇の尾だった。まるで鞭打つように、しなったそれが男の身体を地に叩き伏せる。



「……っが……」



 満足に声を上げることなく、男はそのまま気を失ったようだった。



「絶対に……許さぬ」



 トモエを抱く朱金丸の、その腕の力が強くなる。



「貴様らが我を化け物だと呼ぶのなら、望みの通り我は化け物となってやろう。化け物となり、この下らぬことを画策した村の連中を、一人残らず根絶やしにしてくれよう!」


「ひぃい……ッ」



 残る一人の男が、悲鳴を上げて逃げ去ろうとする。それを、朱金丸の影が無音で追いかける。


 その間――美邑は、呆然とした顔で朱金丸の方を見つめる時彦を見ていた。

 いや、正確には違う。時彦が見つめていたのは、朱金丸ではなく、その腕に抱かれたトモエの亡骸だった。



「トモエ……そんな……」



 赤ん坊を抱く手が、震えている。手だけではない。足も、歯も、全てを震わせ――そして、静かにその場から走り去る。



「っ、時彦!」



 気がついたのは初彦で、大声で呼ぶがその背中はもう遠かった。赤子を一人預けられている身としては、がむしゃらに走って追いかけることもできず、「くそっ」と吐き捨てる。


 ほぼ同時に、朱金丸の影蛇に追いかけられていた男の悲鳴が、森の奥から聞こえてきた。


 唐突に、がくりと朱金丸がその場に膝をつく。



「朱金丸……!」


「初彦……頼みがある」



 ぎりっと唇を、血が出るほどに噛み締めながら、朱金丸は呟くように言った。目は、トモエの顔に向けたまま。



「我は――眷族の鬼らを連れて、この地より去る」


「朱金丸! なにを」



 初彦は苦しい表情を浮かべながら、朱金丸に寄り添った。



「こんなことをしでかしたのは、村のほんの一部の奴らだ。事が露見すれば、奴らの方が村から追い出されるだろうよ」


「……そうかもしれぬ。が」



 朱金丸が、ぎゅっとトモエの身体を抱いた。



「我は……もう、無理だ。このままでは本当に、今まで守護してきた者たちを、皆殺しにしてしまいそうだ」



 そう言ってほんの少し――自嘲の笑みを浮かべる。



「奴らの言う通りよな。所詮、我は鬼よ。化け物よ。血には血で、命には命であがないをさせなければ、気が収まらぬ」


「朱金丸……」



 初彦の朱金丸を見る目は、友人に対するそれだ。悔しげに、溜め息をつく。



「……生まれたばかりの子らはどうする」


「鬼に生まれた男児は、我が連れていく。人間に生まれた女児は」



 朱金丸は一度眉を寄せると、トモエを見つめてからぐっと目をつぶった。



「……できるなら、おまえが育ててやってくれ。人間の中で……。後生だ」


「――分かった。あの馬鹿息子から取り返して、俺が大切に育てる。絶対だ」



 はっきりと言いきった初彦に、朱金丸は少しだけ、先程とは違う笑みを浮かべた。「頼む」と、小さく頭を下げる。


 ふらりと立ち上がる朱金丸に、「しかし」と初彦は声をかけた。ふとぐずりだした男児をあやしながら、訝しげな目を朱金丸に向ける。



「眷族らを連れ――一体、どこに行くというんだ?」


「あぁ……」



 朱金丸は男児を初彦から受けとると、トモエと男児の二つの身体をぎゅっと抱いて、自分の立つ場所を見た。



「……トモエの魂は、ここで眠った」



 静かな声で、呟く。



「我はトモエの身体を連れて、ここの『裏側』で眠る――我ら鬼は、自らを封印するよ」

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