21-2 放逐
次の場面になると、またもや世界は一変していた――家が、燃えている。
「朱金丸様っ」
両手に小さな赤子を二人抱いたトモエが、パタパタと駆けている。そこに走り寄ってきたのは、時彦だった。
「トモエさん、こちらへ!」
「時彦……」
言われるがまま、トモエは時彦に駆け寄った。
「一体、なにが」
「どうやら、蛇鬼様を放逐しようと企む者共の仕業のようで。焼き討ちです」
「朱金丸様を放逐ッ!?」
信じられない――という顔をするトモエに、時彦は神妙な面持ちで頷いた。
「とにかく、こっちへ」
言いながら、時彦が火の手が弱い方へと歩き出す。トモエも、赤子を抱く手に力を込めながら、その後ろについた。
「朱金丸様は……初彦も」
「分かりません」
やたらきっぱりと、時彦は言いきった。振り返りもせず、どんどん進んでいく。
「奴らは、例の橋ができてから他所との交流が活発になった今、未だに鬼を神として奉っているのは時代遅れだと。むしろ、貴女のように贄として要求される人間か今後増えるのではないかと懸念して、このような騒ぎが起きたそうです」
「そんな……あの橋だって、朱金丸様の助力でできたのに。それに、わたしだって」
トモエの声が震える。美邑には、その気持ちが痛いほど伝わってきた。――自分が嫁いだことがきっかけで、こんなことになってしまうなんて、と。そう、震えながら泣くのを必死に堪え、小さな二人を抱き締めている。赤ん坊二人は、なにが起きているかも分からずに、すやすやと眠っている。
「わたし、朱金丸様を探さないと」
「安全な場所に向かうのが先です」
家の端まで来ると、縁側から飛び降り、時彦が手を差し出してきた。
「御子を」
トモエはわずかに迷った顔をしたが、火の手の熱さと縁側の高さに頷き、子供を一人手渡した。直ぐさま、自分も縁側から飛び降りる。
「こちらです」
赤子を一人抱いたまま、時彦はまた走り出した。
「森の中へ」
言われるまま走るが、トモエはちらちらと後ろを振り返った。赤い炎が、遠ざかっていく。
「あの、この辺りで」
「いえ、あと少し行った場所で、待ち合わせているので」
時彦が足早に駆けていく。美邑も二人を追いながら、何故か気持ちが焦っていくのを自覚した。
「あの、待ち合わせって……」
もしかして、初彦か朱金丸とだろうか、と。そう、トモエが訊きかけた――そのときだった。
時彦とトモエの前に、男が三人ほど現れた。
「時彦」
「やあ、皆さん」
いつもの人懐こい笑顔を浮かべて、時彦が男らに笑いかける。が、トモエも美邑も不安だった。男らの手には、鍬や弓など、物騒な物が握られている。
「時彦……」
トモエの声を遮るように、時彦が「お待たせしました」と、さっと身体をトモエに向けた。
「約束通り、連れてきましたよ」
「よくやった」
男らが、満足げに頷く。
「化け物が来る前に、さっさとやっちまおう」
男のうちの一人の言葉に、トモエが後ずさった。時彦をじっとにらむ。
「時彦。どういうこと?」
「大丈夫です。トモエさんには、危害なんて加えない」
「そうとも」と請け負ったのは、また別の男だった。
「贄として犠牲になったあんたに、これ以上悪さなんてしねぇよ」
「あぁ。俺らが用があるのは、その化け物の子供だけだ」
そう言って男らが示したのは、トモエが抱いている赤子だった。額から、角の二本生えた鬼の男児。トモエは、ぎゅっと子供を抱きしめた。
「なにをする気……?」
「まだ赤ん坊とは言え、化け物を受け継いだ子だ。早めに始末しねぇと」
「時彦、そっちのガキもだろう? こっちに寄越せ」
手を伸ばしてくる男を軽く避けながら、時彦は苦笑した。自分の腕の中で眠る赤子を、トントンと背中を叩いてあやす。
「それは、約束違反だろう。この子は人間の女の子だ」
「だが、あの化け物の娘なんだろう?」
言い募る男に、「くどい」と時彦が苛立った声を上げる。
「無駄な殺生は、なしだ。この子とトモエさんは、俺が保護する」
「なにを……っ」
トモエは男らと時彦を共に睨んだ。逃げたいが、赤子の一人を時彦に預けた状態では、そういうわけにもいかないのだろう。早く、取り返さなければと、美邑も焦ってきた。蛇鬼は――朱金丸は、どうしただろうか? 無事だろうか。
「いいから、早くガキを渡せ」
苛立った調子で、男の一人がトモエにつかみかかりに来る。
「いやっ! 止めてッ」
慌ててそれを避けるも、残り二人の男も寄ってくる。まずい――トモエが、子供に覆い被さるように、その場にうずくまったときだった。
「――止めろ」
声と共に、男らが吹き飛ばされる。
「朱金丸様ッ」
ハッとした顔で立ち上がり、トモエは朱金丸のそばに駆け寄った。朱金丸はちらっとそちらを見て、「大丈夫か」と確認する。
「怪我は」
「ありません。けど」
トモエが時彦を見る。時彦はにこりと笑って、赤子を抱く力を強めた。
「時彦」
やや遅れて合流してきたのは、初彦だった。左肩を怪我したのか、反対の手でかばいながら、焦った表情で駆け込んでくる。
「おまえ、いったいなにを」
「父上。お怪我は大丈夫ですか」
飄々と言ってくる息子に、初彦は険しい顔で向き合った。
「おまえ、なにをしてるか分かってるのか? 代々、社の護り手たる身でありながら、朱金丸の放逐を目論むなど……!」
「社の護り手を継ぐ立場だからこそ、蛇鬼様の存在は今後、村のためにならないと思い、協力したまでです」
そう語る時彦の顔は、いつもと同じ人懐こい笑顔だ。トモエが、震えながら「なんでよ……」と悲鳴じみた声で呟く。
「今まで散々、朱金丸様のお世話になってきて……それなのにっ」
「そう言う貴女の父上も、一枚噛んでらっしゃるんですよ」
時彦の言葉を聞き、「え」とトモエは目をしばたかせた。
「可愛い娘を大切なところでなす術なく奪われて、当然の反応だとは思いますけどね」
「そんな……」
足まで震えてしまい、トモエはその場にへたりこんだ。
「……僕だって。貴女が他所に嫁ぐと聞いたときは、それでも仕方ないと諦めたのに。それを、無理矢理奪ってモノにし――あまつさえ子供まで孕ませた化け物なんて。許せないですよ」
「時彦……」
いやいやをしながら、トモエは時彦の名を呼んだ。
「お願い、それ以上は止めて。わたしは、望んで朱金丸様に」
「分かってる。村の奴らは騙されてるけど。貴女が本気で幸せそうだからこそ、僕は許せない。――化け物に抱かれて、悦んでいる貴女なんて。見たくもなかった」
「時彦ッ」
初彦が怒鳴るが、時彦はまたへらりと笑った。
「父上こそ、目を覚ましてください。所詮、元は蛇の化け物ですよ? それをありがたがって、どうするんです」
「おまえ……っ」
初彦が、言葉もなくす。そこでようやく、それまで黙っていた朱金丸が口を開いた。
「時彦」
「なんですか? 蛇鬼様」
朱金丸の表情は、静かだった。ただただ静かに、呟くように語りかける。
「これ以上、俺とおまえの大切な者たちを、傷つけてくれるな」
「おまえたちの気持ちは分かった」と、朱金丸は頷く。
「それが、村人たちの総意であるなら、我はこの村を出ていこう。だからこれ以上、我の妻と友人を、傷つけてくれるな」
「……」
時彦の表情が、笑みから無へと変わる。じっと朱金丸を見つめる目だけが、強い色をたたえていた。
「――単に出ていかれるだけで、皆が納得するとでも? 化け物の報復を、恐れないとでも?」
「我は報復など、考えていない」
「貴方の考えなんて、どうでも良いんです。実際に、皆がどう思うかが問題だ――ねぇ?」
トモエがハッとして、腕の中の赤子を初彦に押しつけるようにして渡した。反射的に受け取った初彦が顔を上げたときには、トモエはすでに立ち上がり、朱金丸の背に抱きついていた。
「……っ!?」
朱金丸が振り返る。それに合わせて、トモエの身体がぐらりと傾いだ。
慌てて抱き止めた手が、ぬるりと濡れる。
「トモエ……?」
「朱金丸、さま……」
にこりと、トモエが微笑む。その背からは、血が。その背後には、鋤を持った男が、震えながら立っていた。
「お、俺は……化け物を狙っただけで。この女が、勝手に邪魔を……っ」
真っ赤に染まった鋤を持ったまま、男が後ずさる。他の男らも、互いに顔を見合わせて、不測の事態にどうすべきか悩んでいるようだった。
「トモエ」
「朱金丸さま……」
トモエが両手を伸ばし、真っ赤な手で朱金丸の頬を包み込む。
「ごめん、なさい……わたし、の。せいで……こんな、ことに」
「なにを言ってる。おまえのせいなどではない。決してない」
苦しいだろうに。痛いだろうに。トモエは、嬉しそうに微笑んだ。離れたところで見ている美邑にも、その気持ちが流れ込んでくるようだった。
ただ、愛しい。その想いだけが、胸の中に満ちている。
「わたし。しあわせ、です。だから……」
ふっ、と。
両手が朱金丸の頬から離れ、下に垂れる。
「トモエ……?」
頬を真っ赤に染めた朱金丸が、動かなくなったトモエに呼びかける。
「トモエ……」
トモエは微笑みを浮かべたまま、朱金丸を見つめるようにして動かなくなっていた。その目を見つめ返しながら、朱金丸が呟く。
「トモエ……大丈夫か? 痛むのか……? トモエ、なぁ。後生だから、返事をしろ。なぁ、トモエ……っ」
どうあっても反応のないトモエを抱き締めて、朱金丸はぐっと縮こまった。その場にいる皆が、その様子をじっと見守っている。
「あ、ぁ……ぁああああああッ!!」
悲痛な咆哮が、森の中に響き渡った。
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