第二十章 どうちょうさぎょう

20-1 あかがねまる

 鬱蒼とした森の中を歩いていると、段々と心が落ち着いてくる。美邑は緋色の背中を追いかけながら、この先にある場所へと思いを馳せた。


――眠り塚。


 きっと、あの場へ行こうとしているのだと、今なら分かる。不思議と、身体がそちらの方へと惹かれていく。



(これも、鬼に成ったから……なのかな?)



 実際、目の前の鬼も迷いなく進んでいるし、朱金丸もそうだった。鬼に成り、自分の内面はそう変わらないと思っていたが、よく分からぬところで変化が起きているのは、少し気味が悪い。



「あの」



 美邑は、思いきって目の前を行く鬼に声をかけた。



「眠り塚に行って、どうするんですか?」



 鬼は振り返り、じっと美邑のことを見てくる。また、にっと笑って終わりだろうか――そう、思ったが。



「どうちょうさぎょう」



 真顔のまま、鬼がぽつりと呟いた。



「どうちょ……?」



 淡々と呟かれた言葉の意味が分からず、首を傾げるが、鬼はふいっとまた前を向いて歩き出してしまった。わけが分からないまま、美邑もまた足を動かす。


 眠り塚まで、そう時間はかからなかった。当然だが、昨日とそう変わった様子もない。


 鬼はてこてこと丘を昇ると、美邑を手招きした。



「えっと……はい」



 招かれるままに丘を登りながら、果たしてこれで良いのだろうかと、ふと頭に過る。

 見知らぬ鬼についてきて、言われる通りに行動して――よく考えなくても、かなり迂闊なのではないだろうか。


 そう思うと、足がすくみ。一歩、後ろへ下がりかける――が。



「っ!?」



 いつの間にか目の前に移動してきた鬼が、美邑の腕をつかんでいた。特に強く握られているわけでもないのに、振りほどけない。



「あ……の」


「こっちだ」



 そのまま、ぐいっと引っ張られ、丘の上まで行く。



(まずい、まずい)



 どうにかしなければならい。だが、どうしたら良いか分からない。



「あ、の」



 苦し紛れに、美邑はもう一度鬼に話しかけた。鬼の美しい顔が、美邑をじっと見る。それに、少したじろぎながらも、なんとか声を出す。



「えっと。朱金丸さん……って、ご存知ですか? ご存知なら、呼んでほしいんですけど」



 昊千代は得体が知れないし、頼れるとしたら朱金丸だ。そう思ったのだが。



「おれだ」


「え?」



 鬼は、つんと尖った目を細めると、楽しそうに言った。



「あかがねまるは、おれだ」



 鬼の言葉に――美邑は、まじまじとその顔を見た。

 確かに、風貌は良く似ているのだが、それでも顔をよく見れば違いは分かる。全くの同じ人物――この場合、人ではなく鬼ではあるが――とは思えないのだが。



「……あなたは、朱金丸さんじゃ、ないです」


「おれはあかがねまるだ」



 話が通じないのだろうか。ぞくりとし、美邑はつかんでくる手を、つかまれているのと反対の手でつかみ返した。



「放してください」


「はなさない」



 にやにやしながら、しかしきっぱりと鬼が言う。



「にげられたら、おれがおこられる」



(怒られる?)



 誰に、と訊き返す間もなかった。ぐいっとそのまま腕を引かれ、丘の頂上で押し倒される。鬼が美邑の上に馬乗りになり、両手を押さえつけてくる。



「なにを……っ」



 半ばパニックになりながら暴れようとするが、身体がほとんど動かない。せめて、と睨みつける美邑を、鬼は楽しそうに笑った。



「にてないとおもった。が、にてるな」


「あなたの言ってること、ほんと先から意味分からない」



 せっかく鬼になったのだったら、どうせならもっと力がつけば良かったのに。幼い頃から嫌だった力も、肝心なときに役に立たない。

 鬼は片手を放し、代わりに懐からなにかを取り出した。黄金色に輝く、飴玉のような、なにか。



「それ……」



 なにかと訊ねるより先に、鬼は飴玉を美邑の口に押しつけてきた。同時に、鼻を塞いでくる。



「んんん……っ」



 苦しい。息ができない。だが、口を開けば押しつけられたそれが、侵入してきてしまう。得体の知れないモノを、この状況で頬張るのは恐怖でしかない。


 しかし、頭では理解しているものの、酸素を求める身体は、それよりも目の前の危機をどうにかするので精一杯だ。

 暴れても、鬼の手はびくともせず、苦しさだけが増していく。人間でないのに、息ができないと苦しいだなんて、本当に理不尽だ。


 視界が白くなっていく。酸欠に、一瞬ふわりとした浮遊感を覚える。

 が――その隙を縫って、飴玉が口の中にとうとう押し込まれた。



「んんっ!?」



 一瞬で意識が覚醒し、吐き出そうとするものの、口の中に広がるその味に、はたと動きを止める。


 芳醇な旨味が口内を巡り、それだけで頭を痺れさせる。


 ――知っている。この味を、忘れることができる者などいない。何年経とうと、食したことさえ忘れようと、この味だけは。


 気がつけば、ごくりと嚥下してしまっていた。途端、身体に力が入らなくなり、思考が鈍くなっていく。



「どうちょうさぎょう――かいしだ」



 薄れていく意識の中、満足気な鬼の声が聞こえた。

 身体ごと、どこか深くへと落ちていくような感覚に襲われながら、美邑の意識は沈んでいった。

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