第十五章 眠り塚に眠る

15-1 カガチの実

「カガチの……実?」



 きょとんと訊き返す美邑に、朱金丸はわずかに眉を寄せた。ちらりと、丘の上に生えた植物に視線をやった。



「ホオズキと言った方が、馴染みがあるか。夏に、黄色い花を咲かせ、赤い提灯のような形をした実をならす」


「あ――あの、空っぽのやつ」



 そうだ、と朱金丸が頷く。ただし、苦い顔のまま。



「正確には、中身がないわけではない。空洞の部分が多いだけだ」


「へぇ」



 今一つピンとこず、適当に分かったような返事をする。が、朱金丸にはすぐ見破られてしまったらしい。無言のまま、溜め息を一つつかれてしまった。



「まぁ、良い。いや、良くはないか――貴様が幼い頃に食ったのは、その実だったのだが」



 言って、朱金丸は握り拳を差し出してきた。美邑が首を傾げると、そっとそれを開く。

 美邑に向けられた手のひらには、スモモ程度の大きさの、ホオズキの実が載っていた。ただし、中に身がいっぱいに詰まっており、黄金色に輝いている。



「これ……」



 自然と、美邑は唾を飲み込んでいた。その実を見た瞬間から、口の中いっぱいに、ねっとりとした甘さが広がっていた。



「特別製の実だ。味は極上。貴様自身は覚えておらずとも――貴様の身体は、覚えているはずだ。口に含んだ瞬間、広がる深い甘味も。芳醇な香りも。頭にも身体にも染み渡る、濃厚な旨味も」


「あたし……は」



 また、ごくりと喉が鳴る。目の前の実から、目が離せない。ふと手がのびそうになるのを、意思の力でなんとか押さえつけている。



(確かにあたしは、これを知っている……)



「これの中……つまり、本来のホオズキであれば種子が入っているはずの部分には、代わりに妖質が詰まっている」


「妖質……?」



 実を掲げて説明をし始める朱金丸に、美邑は訊ね返した。朱金丸は、その実にどうしようもなく惹かれる美邑に、気づいてはいるようだった。時折、探るような目を向けてくる。だが、素知らぬ顔で淡々と言葉を続けている。



「妖質とは、妖気が具現化したモノだ。妖気とは、物の怪の一部が発露したモノ」


「えっと……つまり?」


「……物の怪の一部だとでも、理解すれば良い」



 「物の怪の、一部」と声に出す。



「そんなもの、食べちゃったの? あたし」



 途端、うえっという顔になる美邑に、朱金丸はわずかに眉をハの字にした。



「そんなもの、とは言うが。本来であれば、力を得るために欲する輩も多いモノだ。そう、けったいな代物というわけではない」


「えー……うーん」



 よく分からないが、物の怪の価値観とはそういうものなのだろうか。あまり分かりたくもないため、どうでも良いが――ともあれ、こんなことになった原因は一応分かった。



「つまり、物の怪の一部を食べちゃったから、人間の私も力がすごく強くなっちゃったり、物の怪に変わっちゃったりするってこと……ですか?」


「あぁ」



 これにはすんなりと、朱金丸も頷いた。思わず、額に手をやる。



「なんて言うか……そんな理由で、とか。しょうもないって言うか……小一のときのあたしを、張り倒してやりたい」



 こんな実一つ、食い意地を張って食べてしまったばかりに、人間を辞めなければならないだなんて。これまで、嫌な思いをしてきたなんて。

 「力を得るために欲する輩」という連中ならともかく、美邑はそんなもの望んでなどいない。それよりも、普通の日常が欲しかった。



「……一概に、幼かった当時の貴様のせいだとは言えない」


「え?」



 溢れ落ちそうだった涙を拭いながら、美邑はぽつりと呟かれた言葉に反応した。朱金丸は実をちらりと見遣ると、懐に仕舞う。



「そもそも、この実はそう滅多になるモノではない。百何十年かに一度、数粒だけ、普通の実に交じる程度だ」


「ふぅ、ん?」



 そんなことを急に言われたところで、ピンと来やしない。美邑が首を傾げると、朱金丸は少し間を置き、続けた。



「人間が『裏側』に迷い込むことも、百年以上なかったことだ。妖質の詰まったカガチの実が成る時期に、幼かった貴様が『裏側』に来たのは、本当に間が悪かったとしか言いようがない」


「間が、悪かったって……」



 そんな言葉、なんの慰めにもなりはしない。朱金丸もそう思ったのだろう、溜め息をつき、珍しく口をまごつかせた。



「……他に、要因がないわけでもない」


「要因?」


「あぁ。……鏡に封印された話は聞いたというが、生け贄については知っているか?」



 美邑は、こくりと頷いた。



「白羽の矢を立てられて……ってやつですよね? えっと、蛇鬼が――」


「蛇鬼……初代のことか。まぁ、おおよそ知っていれば充分だ」



 美邑の話を、手を振って遮りながら、朱金丸がまた一つ息を吐く。



「初代に捧げられた贄は、その後、初代との間に子をもうけた。男女の双子だ」


「鬼と人間の間に、赤ちゃんが?」



 美邑が驚いた声を上げると、それこそ朱金丸には意外なようだった。「そんなに珍しいことではない」と一蹴される。



「古来より、人間と物の怪の異種間婚は多い」


「まぁ……確かに、昔話とか漫画とかで読んだことはありますけど」



 かの有名な安倍晴明も、確か人間と狐の混血児だ。だが、そういった出来事が「事実である」と断定されると、やはり驚きが先にきてしまう。



「双子のうち、男児は鬼として生まれたが、女児は人間として生まれた。それでも初代は、二人を手元に置いていたが、『裏側』に封印されることになったとき、女児のみ人間の世界に託した」



 「なんで」と出かけた言葉は、しかし朱金丸の顔を見て飲み込んだ。いつも無表情なはずのその顔が、今は何故か、どこか悲しげだった。蛇鬼に、同情しているのかもしれない。



「……やっぱり、人間は人間の世界にいるのが一番!……って、なったんですか?」


「分からん。俺は、その頃まだ存在していなかったからな」



 淡々と付け加えられた言葉に、「えっ」と見返す。朱金丸は「俺が知っているのは、伝え聞いたことのみだ」と更に付け足した。



「ただ、贄の希望が大きかったらしい。最終的に、初代もそれを了承し、女児は村の人間に引き取られた」


「へぇ……」



 贄――確か理玖の話だと「トモエ」といったか。人間であるのに、生け贄として鬼に捧げされた彼女は、鬼の子まで産まされ、なにを思っていたのだろうか。せめて人間として生まれた娘だけでも、人間の世界に還したかったのだろうか。



「女児は」



 朱金丸はなおも続けた。素っ気ない顔をして、美邑を見つめながら。



「やがて大人の女になり、人間の男との間に子らをもうけた。そしてその血脈は幾代にも引き継がれ――貴様がその末となる」


「……え?」



 不意に呼ばれ、きょとんと目をしばたかせる。遠い世界の話に、急な異物として紛れ込んでしまったような。そんな、違和感。



「あたし?」


「そうだ。それが、要因だ」



 混乱する頭をなんとか整理しようと、「えっと」と口を動かす。



「つまり、あたしがその蛇鬼と生け贄のトモエさんの間に生まれた子どもの、子孫で。だから、『裏側』っていうのに迷い込んじゃったって、こと?」


「そうだ」



 あっさりと頷かれると、かえって疑わしく感じるのだが、単にもやもやするばかりで具体的な反論があるわけでもなかった。そう言われれば、素直に「そういうものなのか」という気もする。


 それよりも、気になることもできた。



「つまり……あたしは人間だけど、昔のご先祖様に鬼がいた……っていうこと?」


「そうだな。そして例の実が、本来であれば眠っていた鬼の因子に、強力に作用したのだろう」



 「実」自体が本来は希少であること。

 先祖が鬼であるが故に、『裏側』に迷い込みやすいこと。

 そして、本当ならば眠っているはずだった、鬼の因子――話の流れからすれば遺伝子のようなものだろうか――というものに、食べた「実」が働きかけてしまったということ。


 それだけの要素が絡み合って、現状を作っているのだとしたら。確かに朱金丸の言う通り、幼い頃の自分のせいだとは言いきれず、むしろこれこそが――運命というものなのかもしれない。



(て言うか……そもそも、ご先祖様に鬼がいたとか……それじゃ、元からマトモに人間だったわけじゃないんだ)



 その事実が、なによりも美邑を落ち込ませる。「自分は人間なのだ」と奮起していた気持ちが、一気に崩れるような心地さえする。



「あたし……帰ります」



 ぽつりと呟き、美邑はトボトボと森の中へと入った。背後から「道は分かるのか?」と問いかけられる。



「分かるわけ、ない。けど……」



 ちらりと、美邑は丘をにらむように見た。



「ここには、もう。いたくないから」



 眠り塚――祭られた神であり、村に贄を要求した化け物であり、美邑の先祖である、蛇鬼が眠る場所。



「なら、俺が送ってやる」



 淡々と、朱金丸が言う。



「……ありがとう、ございます」



 他に、なんと言ったら良いか分からず、美邑は近づいてきたその背の後ろについた。

 あとは、迷いなく進む朱金丸の背を見つめながら、似たような景色の道を行くばかりだ。高下駄であるにもかかわらず、朱金丸は危なげなくずんずんと歩いていく。



「……あたし、ほんとうに鬼に成っちゃうのかな」



 独り言のつもりだったが、前から「そうだな」という声が返ってきた。振り返りもせずに、淡々とした調子で肯定されてしまうと、もはや怒ろうとも思えなかった。


 代わりに、歩きながらふと気になったことを訊ねてみる。



「あの」


「あぁ」


「ご先祖様。蛇鬼がそうだっていうのは分かったんだけど、もう一人のご先祖様……つまり、贄の女の人……トモエさん、だっけ? その人のお墓も、近くにあるんですか?」



 ふと、朱金丸が一瞬足を止めた。反応しきれず、その背に軽くぶつかる。「ごめんなさい」と慌てて呟くと、ようやく振り返った朱金丸と目が合った。



「……あそこだ」


「え?」



 一瞬、意味が分からず、美邑は首を傾げた。その間に、朱金丸は再び前を向いて歩き出す。そのため、次の言葉が美邑に聞こえたのは、朱金丸の背中越しであったが。しかしはっきりと、それは聞こえた。



「『裏側』の眠り塚。そこに、贄は眠っている。彼女に殉じた初代の身体を枕に。永遠に」

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