11-2 縁起物語

 幸い、ナラズや他の化け物を見ることもなく、神社に辿り着いた二人は、神社の階段を昇り終えると顔を見合わせた。


 階段を昇り、玉砂利の敷かれた敷地内に見える拝殿。数日前、千切れた太い注連縄が掛かっていた場所は、今は白い布で覆われていた。



(まだ、直らないんだ)



「――あれ、川渡」



 隣で、「げっ」とモモが呻く。拝殿からひょっこりと顔を出したのは、理玖だった。手には、カップ麺の容器を持っていて、風向きでこちらにも匂いが漂ってくる。



「また、そんなとこで食べてたの」


「だって、この時間ここが一番涼しいし、小腹減ったしさ」



 先日、祖父に叱られたと愚痴を言っていたことすら忘れてしまったかのような、あっけらかんとした声だ。箸を持っている手で頭を掻きながら、「で」と首を傾げてくる。



「なにしてんだ? 昨日また、早退したばかりじゃん。なんか、めっちゃ派手にこけたって」


「えっと……まぁ、そうなんだけど」



 美邑はちらっとモモを見るが、モモは嫌そうな顔でブンブンと首を振った。小声で「わたし、あいつ苦手」と言ってくる。


 仕方なく、美邑は一人で「えぇっと」と言葉を探した。



「その。昨日さ、着物着た人に会ったの……覚えてる?」


「なに言ってんだよ、おまえ」



 途端、理玖が訝しげな顔になる。



「あんなの、ワケわかんなすぎて忘れるわけないだろ」


「そう……だよね」



 頷きながら、ほっとしたような、残念なような、微妙な気持ちではあった。少なくとも、昊千代に出会ったときのことは、夢ではないのだ。


 だが、それ以上なにを言うべきかは思いつかなかった。朱金丸にまた会ったことを話せば、鬼やナラズのこと――美邑が人間でなくなるかもしれないことなどまで、話が及ぶかもしれない。理玖がそれらに、どんな反応をするか……考えただけで、腹の底が冷たくなる心地がする。



「そういやさ」



 切り出したのは、理玖だった。



「不審者たちのことについて、じいちゃんにもう一度訊いてみるって言っただろ。それで、昨日ちょっと話聞いてさ。おまえに伝えようにも、スマホの番号もなんも知らねぇし」



 「ちょうど良かったから、上がれよ」と手招きして、理玖は奥へと引っ込んだ。美邑とモモは顔を見合わせ、賽銭箱を避けて拝殿の下で靴を脱ぎ、ぺたぺたと階段を上がった。


 拝殿の中は、理玖の言う通り外よりも少し、気温が低い。美邑は半袖の両腕を抱き、あたりを見回した。

 板張りの床は磨きあげられており、正面には例の鏡が納められた箱を中心に、酒と花の生けられた花瓶が左右に飾られ、天井には赤い幕が掛けられている。向かって左には神事の際に使う太鼓。そしてもう少し手前には台が置かれており、そこには地域の人々からの供え物が並べられていた。


 理玖はカップ麺のスープを飲み干すと、空になった容器と箸を、供え物台の空いている場所に迷いなく置き、その場によいしょと腰を下ろした。



「まぁ、その辺に適当に座れよ」


「う、うん……」



 促されるままに、床にぺたりと座り込む。ひんやりとした感触が、素の脚に心地好い。膝丈のスカートの裾をさっと直し、理玖に向き合った。モモも、美邑の隣にそっと座る。



「それで。神主さんは、なんて?」


「うーん……まぁ、役に立つ話か分かんないんだけどさ」



 理玖が、ちらりと後ろを向く。つられて美邑も視線を向けると、御神鏡の納められた箱が目に入った。

 瞬間、ドキリと心臓が跳ねる。



「えーっとな。昨日のヤツのこと、じいちゃんに話したんだけどさ」


「あ、うん」



 話し始めた理玖に視線を戻し、姿勢を正す。理玖は言葉に迷っているようで、「あー」だの「うー」だの声を出しながら、ようやく話を切り出した。



「あいつ、変わった格好してただろ。そのことも含めて、話したんだけどさ。その、じいちゃんがそいつのこと……本物の鬼だとか言い出して」


「鬼……」



 どくりと、胸が鳴る。太ももの上で、ぎゅっと手を握ると、モモが上からそっと手を重ねてきた。それだけで、身体から力が抜ける。


 話している理玖本人は、大したことのないように、手をぱたぱたと振った。



「ほら。あいつ角つけてただろ。んで、もう一人も鬼の面をしてたっていうし。その話した途端、じいちゃんなんて言うか……乗り気になっちゃって」



 「どう話したもんかな」と首を傾げながら、理玖がぐるりと首を巡らせる。



「んー。俺もよく知んなかったんだけど、ここって元は『鏡戸神社』って名前じゃなくて、『鏡神社』とか『カガチの社』って呼ばれてたらしいんだよな」


「戸、はなかったんだ? でも、カガチって?」



 思ったことをそのまま言うと、「俺も聞いた話だけど」と理玖は少し首を傾げてみせた。



「カガチ、ってのは、『蛇』のことなんだってさ。鏡も、元は『蛇の目』から来てるらしい」


「つまり、蛇神社、ってことじゃん」



 隣で、モモがぼそりと呟く。それを聞いていた美邑も、思わず「蛇神社……」と繰り返してしまった。



「まぁ、確かにそうなるんだけど。結局、そう言われてたのには理由があってさ。由縁……って言うのかな」



 理玖は記憶を手繰るように、視線を斜め上に向け、軽く眉を寄せた。「確か、えっと」などと、頼りなげに呟く。



「昔、この地域に大きな蛇がいてさ。そいつが凄い力をもっていて、そのうち鬼に成ったんだって。そうして、この地域一帯の化け物たちを手下にしてたんだとか」


「蛇が……鬼に」



 生き物が鬼に成るというのは、そんなにもありふれた現象なのだろうか。美邑の繰り返しに頷いた理玖は、祖父から聞いたのであろう言葉を続ける。



「その蛇鬼はさ、村人たちから供え物をもらう代わりに、村を守ってやったんだって。それで村人たちは、蛇鬼の住み処を『カガチの社』として、蛇鬼のことを祭ったんだってさ。それが、ここの始まり」



 いわゆる、神社に伝わる縁起物語なのだろう。美邑はただぼんやりと、頭の中で物語を繰り返した。


 年月を経た大蛇が力を得て、鬼へと変じ。仲間の物の怪を従えて村を守護する。



「鬼が……神様、なんだ」


「まぁ、昔はそういうの、曖昧っぽかったらしいからな」



 大して気にした様子もなく、理玖が一言で言いきる。



「神社の裏手にさ、ちょっとした丘があって。そこが、眠り塚って呼ばれてるんだけど、蛇鬼が眠ってる場所ってことになってて、そこがうちの本殿代わりなんだってさ」


「あぁ――黄色い花が、植わってるとこでしょ?」



 美邑の言葉に、しかし理玖はぽかんと口を開けた。気づけば、隣でモモも、驚いた顔で美邑を見ている。



「……? どうか、した?」


「え、あ。いや」



 頭の後ろに手をあてて、理玖が首を傾げる。「どうだったかな」とぼそぼそ呟くのが聞こえてきた。



「基本的にさ、神聖な場所だからって立ち入り禁止なんだ。だから、俺もちょっとしか行ったことなくて……つか、おまえよく知ってたな?」


「え……っと。なんとなく。もしかして、小さい頃とかに、見せてもらったのかな? よく覚えてないけど……」



 小さい頃は、よくこの境内で遊んでいたため、可能性は高い。理玖はまだなにか言いたげだったが、「まぁいいや」と続けた。



「えっと……なんだったかな。そう、神社の由縁な。今、話したとこまではさ、神社の紹介みたいなのにも載ってるから、知ってる人は知ってるらしいんだけど」


「自分は知らなかったくせに」



 モモがぼやくように呟くのが、美邑の耳に届く。幸い、理玖には聞こえなかったようだが。背筋をやや伸ばし、「実はさ」と切り出した。



「神社の身内以外には内緒の、続きの話があるんだ」

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