お飾り王妃になったので、こっそり働きに出ることにしました
富樫聖夜/ビーズログ文庫
プロローグ 緑葉亭のウェイトレス
大陸有数の強国であるルベイラ。そのルベイラ国の王都の外れに一軒の食堂があった。
その食堂『緑葉亭』は東の城壁に近く、繁華街から離れているものの、手ごろな値段と美味しい料理が食べられるとあって繁盛している。
夜にはお酒も提供するが、昼間のこの時間、客の目当てはほとんどが定食だ。
「リーネちゃん、こっち日替わり定食を三つ頼む」
「リーネ、これを三番のテーブルに持って行っておくれ」
「リーネちゃん、会計よろしく」
「はーい、今行きます~」
満席の店内でエプロン姿の少女がせわしなく動き回っている。あちこちから声がかかっているが彼女の動きに焦りはない。
「はい、日替わり定食三つですね。しばらくお待ちください」
「アドルさん、お待たせしました。〝絶対美味しい煮つけ定食"できあがりましたよ」
「五番テーブルのお客さん、お待たせしました。二人分のお会計ですね。五ギルになります」
少女は笑顔でテキパキとお客をさばいていった。その様子を食べ終わった常連客たちが笑顔で見守っている。
「リーネちゃんは働き者だな」
「だな。格好は地味だがいつもニコニコ応対してくれるんだよね。よく見ると可愛らしい顔だちだし、本当、リーネちゃんが緑葉亭に来てくれてよかった」
少女の名前はリーネ。歳は十八。半年前に出稼ぎのために小国ロウワンからこの国の王都に移り住み、二ヶ月前から昼の忙しい時間だけ『緑葉亭』で給仕係として働いている。
顔の半分を覆う丸い眼鏡をかけ、黒髪を二つのおさげに結ったリーネは、年頃のわりには地味な外見だ。そのため、最初の頃こそ田舎娘丸出しだと
「もうリーネちゃんがいない『緑葉亭』は考えられんな」
「そうそう。リーネちゃんが来るまではおっかない女将が給仕係で……」
「お、おい、めったなことを言うなよ。女将は地獄耳だぞ」
常連客の一人は焦ったように向かいに座る男を諌めると、恐る恐る厨房の入り口に視線を向ける。すると、そこに立つ少々ふくよかな体格の中年女性が彼らをじろりと睨んでいた。
狭い店内だ。おそらく彼らの話が聞こえていたのだろう。
彼女は『緑葉亭』の女将リグイラ。情に厚く、面倒見のいい性格で慕われているが、その反面少し口が悪く、怒らせると怖いのだ。
「ヤバい」
常連客たちは慌てて視線を逸らすと立ち上がった。
「リ、リーネちゃん、俺ら帰るわ」
「二人分の代金、ここに置いておくからっ」
彼らのやり取りを目にしていたリーネは内心くすっと笑いながら朗らかに答えた。
「ありがとうございました。マイクさん、ゲールさん、またいらしてくださいね」
「お、おう、またな」
「ごちそう様!」
そそくさと店の出入り口に向かう彼らの背中にするどい視線を向けていたリグイラだったが、二人と入れ替わるように店に入ってきた別の常連客の姿を見ると、さっと表情を切り替えた。
「いらっしゃい。席は空いているよ」
リーネも今しがた出ていった客の食器を片づけながら新しい客に笑顔を向ける。
「いらっしゃいませ、カインさん。今すぐ片づけますから、この席にどうぞ」
「ありがとう、リーネ。今日は日替わり定食を頼むよ」
「はい! 少々お待ちください」
リーネは食器を下げながら、厨房の奥にいる料理人に声をかける。
「キーツさん、日替わり一つお願いします」
「あいよ」
厨房の奥から男性の声がした。『緑葉亭』の料理を一手に引き受けている料理人のキーツだ。
キーツは厨房からほとんど顔を出さないため、常連客にすら幻の妖精扱いされているが、リーネは彼が小柄でおっとりした性格の中年男性だということを知っている。
驚くことにこの外見も性格もまったく異なるキーツとリグイラは夫婦だという。
――これほど凸凹の激しい夫婦も珍しいわ。でも正反対だからこそ、お互いの足りないところを補い合えるのね。素敵だわ。
夫婦の理想の姿の一つだとリーネは思っている。
――それに比べて、私は……。
「リーネ、日替わり定食できたよ。持って行っておくれ」
仕事以外に向きかけたリーネの思考を、リグイラの声が引き戻す。リーネは数回瞬きをして気持ちを切り替えると、明るく答えた。
「はい。ただいま!」
……それから三時間後、昼の混雑時が過ぎた店内はすっかり落ち着きを取り戻し、数組の客がいるだけになった。
リグイラは店の表に休憩中の札をかけると、テーブルを拭いているリーネに声をかけた。
「今日はもういいだろう。ごくろうさん、リーネ。まかない食べたらあがっておくれ」
「はーい!」
リーネはキーツが用意したまかない用のお昼を手に、店の一番端の席に向かった。
お盆の上には今日の日替わり定食の残りであるホロホロ鳥のソテーと、何時間もかけて野菜を煮込んだスープとパンが乗っている。
――ああ、至福の時……!
温かなスープを口にしながら、リーネはうっとりとした。
――キーツさんの料理は最高だわ。王宮の一流料理人が作る料理にだって劣らない。何より温かいまま食べられるのがいい!!
今リーネが住んでいる場所では、食事はすっかり冷めた状態で届けられる。何人もの毒見を経ているせいなのは分かっているが、冷めた料理など美味しく感じられるはずがない。
――ああ、幸せ。このホロホロ鳥も柔らかくて美味しい。
リーネは作り笑いでなく本物の笑顔を浮かべて目の前のソテーを味わう。その時、店内に残っている客の話し声が耳に飛び込んできた。
「少し前に国王陛下、外から王妃を迎えたじゃないか」
リーネは手を止めて会話の主たちの方を見る。常連客ではなく、今日初めて店に入ったという二人連れの客だった。
――確か商人だって言ってたわね……。
注文を取る間少し世間話をしたが、二人とも取引先に荷物を届けに行く途中だと言っていた。
「ああ、なんかロウワン国とかいう聞いたことのない小国の王女様が嫁いでこられたんだよな」
もう一人の商人の言葉にリーネはムッと口を引き結んだ。
――聞いたこともないような小国で悪かったわね! 領土は小さいけどロウワン国はルベイラと並ぶくらい歴史のある国なんですからね!
そう言ってやりたいのはやまやまだが、客相手にそんな口を利くわけにはいかない。リーネは少しむしゃくしゃした気分になりながらも、スープを口に運ぶ。
その間も商人二人の会話は続いていく。
「おう。あの時はご成婚パレードがあって新しい王妃様を一目見ようと地方から人がたくさん王都に集まってきていたな。おかげ様でたんまり儲けさせてもらったんだが……」
ここで急に、商人の一人が声を落とした。
「その王妃様なんだがよ。最近ちっとも話題がないだろう?」
「そうだな。ご懐妊の知らせでもあれば、また稼ぐことができるから心待ちにしているけど、そういった噂もないようだしな」
「友達が王宮の警備兵をしているんだが、王妃様、どうやら引きこもっているらしいぜ」
――ええ?
リーネは驚いて眼鏡の奥の緑色の目を見開いた。
「陛下のいる宮殿を出て同じ敷地内にある離宮に引っ越されて、公務以外はまったく姿を現わさないんだと。その友人も一度も王妃のお顔を拝見したことはないそうだ。夜会に姿を見せてもすぐに帰られてしまうし、高位貴族の夫人を招いてのお茶会やサロンなんかも開かないらしい」
「なんとまぁ……どうして陛下はそのような引きこもりの王女を王妃に迎え入れたんだろうか」
問われた商人は肩をすくめた。
「さぁな。お偉いさんたちの考えていることは俺たち平民には理解できないぜ」
会話を聞きながらリーネはぐっと奥歯を噛みしめていた。
――引きこもりじゃないわ! 離宮に軟禁されているのよ! その国王陛下本人にね!
心の中でわめきたてる。立っていたらきっと地団駄を踏んでいただろう。
いくら割り切っていても、ロウワン国から嫁いだ王妃を悪く言われれば文句の一つも言いたくなる。
――たいそうな警備を付けられて、公務以外は身の安全を理由に離宮の外に出してもらえないのよ、王妃はね!
ロウワン国からルベイラ国に輿入れしてきたロイスリーネ王妃は籠の鳥だ。離宮に押し込められ、夜の渡りもなく、ただ公式行事の時に国王の隣で座っているだけのお飾りの王妃――。
それが王妃の真実だ。誰よりもリーネはそれを知っていた。
なぜリーネがそんなことを知っているかと言えば、実に簡単な理由だ。
つまり、下町の小さな食堂『緑葉亭』で働くウェイトレスのリーネこそ、この強大なルベイラ国の王に嫁いできた王妃その人だからである。
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