第43話 バルディアとギジェン

「――そういえば、バルディア王国の情勢について、いくつか情報が入りました」


 晩飯も終わりに差し掛かった頃、出し抜けにラグナルが言った。


 食卓の空気が一気にピリつく。

 ミーシャとクーファは気づかわしげにアトリに視線を向け、アトリも真剣な目をしてラグナルに向き直る。


「……聞かせていただいてもいいですか?」


 アトリの頼みに静かにうなずいてから、ラグナルは話し始める。


「まず、バルディアの王都が魔物によって陥落したという話ですが、どうやら確かなようです。王都周辺の都市で、王都奪還という名目で物資を集めている……という話が商人のネットワークで広まっているようです」

「その情報がデマって可能性はないのか?」

「無論、あります。が……商人にとって商売に関わる情報は命綱です。悪質なデマであれば淘汰とうたされますし、この情報を伝えてくれた商人も信頼できる筋です」


 なるほど。ならば、かなり確度は高そうだ。


 アトリはしばし、思いを馳せるように瞑目してから、再びラグナルに視線を戻した。


「……そうですか。ラグナルさん、教えてくださってありがとうございます」

「いえ、小耳に挟んだものですから」

「バルディアの情勢について、他にもなにか情報はありますか?」

「国王直系の王族もほとんどが行方不明のようで、国としてのまとまりはほとんどなくなってしまっているようです。各地の貴族や王家の傍流のものが私兵をかき集めて、国中が混乱状態という話でした。北方のエルフの森は相変わらず閉鎖的で、王都の件には我関せずのようですね」

「ひでえな、そりゃ。ほとんど内乱状態じゃねえか」


 思わず茶々を入れると、ラグナルはなだめるように答えてくる。


「国政の中心がいきなり滅ぼされれば、そうなってしまうのも致し方ないでしょう。国王に次ぐとされる宰相や大賢者様はもちろん、力を持つ将軍や中心的な文官もほとんど王都に集まっていたようですからな」

「ラグナルさん、森の向こうの砦がどうなったかは聞いていますか?」

「魔物と周辺都市の私兵に囲まれて、ほとんど身動きが取れなくなっているようですね。あの砦に王女殿下がいるというのは噂になっていましたし、魔物は破壊神の魂を、私兵は王女という権力を手に入れようと必死なのでしょう」

「……そうですか。ありがとうございます」


 あと一歩遅かったら、そんな状況にアトリも巻き込まれていたんだな。

 思った以上に素早く事態が動いているのに怯えているのか、アトリの顔がやや青白くなっている気がする。

 アトリの心労を考えるとあまり深堀りしたくはないが、俺は状況を正確に把握するために疑問をぶつけることにした。


「数日は保たせてくれるだろうが、砦が陥落したらアトリがいないのはすぐバレる。そうなった時、魔物や私兵どもがこの街に押し寄せてくるんじゃないのか?」

「その可能性はありますな。しかしここは獣人の街ですから、住民ひとりひとりが並大抵の魔物には負けません。それに、この都市には『武功ぶこう八傑はっけつ 』がいらっしゃいますからな」

「武功八傑?」

「おっと、失礼しました。セツナ殿はこの国の事情はあまりご存じないのでしたね」


 ラグナルは咳払いしてから続ける。


「この国、ギジェン帝国は古くから続く歴史ある国ですが、三百年前に勇者エイジ・アキナガ様を王家の一員に迎えてから、武術大国として更なる発展を遂げました。『武功八傑』というのは、そんな武術大国のギジェンにおいて最も優れた武芸者の八人に贈られる称号です。事実上、大陸随一の武芸者たちの集まりですね」


 この街にそんなやばいやつがいるのか……

 アトリのこともあるし、できれば関わり合いにならずに済ませたいものだな。


「武功八傑の一人であるジャファル・ヴェラード様は、この城塞都市ヴェラードを治める領主です。身寄りのない獣人でありながら、若くして武術大会を総なめにし、当時の八傑の一人と互角に渡り合ったことから八傑に選ばれたサラブレッドですな。武功八傑の称号とともに領地と特別な魔道具を下賜された、叩き上げの戦士です。よほどのことがない限り、かの御仁が敗れることはないでしょう」

「そうは言うが、バルディアだって魔法大国なのにあっけなく滅びたんだ。なにがあってもおかしくないだろ」

「バルディアは魔法大国ですから、魔物が市街に入ってくると苦戦してしまうのですよ。味方が入り混じった乱戦になると、魔法は狙いをつけるのが難しくなりますからな」

「……そんなに戦力に余裕があるなら、ギジェンからバルディアに援軍を出すって話はないのか?」

「無論、ないこともないでしょうが……ギジェンがバルディアに兵を向ける場合、目的は援軍ではないでしょうな」

「? どういうことだ」

「それは……」


 俺が首を傾げていると、ラグナルは気の毒そうな視線をアトリに向けた。

 アトリは悲しげに目を伏せたまま、ラグナルに答える。


「……わたしに気をつかわなくていいですよ、ラグナルさん」

「では失礼して。弱肉強食をとするギジェンにとって、今のバルディアは格好のカモです。もしギジェンがバルディアに兵を向けるなら、目的はバルディアを助けることではなく、バルディアの領土を奪うことでしょう。

 無論、ギジェンの首脳もなるべく自国の兵を失いたくはありません。バルディアの情勢を様子見しつつ、魔物や有力貴族の抵抗力が弱まったタイミングを狙って派兵することになるでしょう」


 …………なるほど。このギジェンって国は、思った以上にやばい国かもな。


 とはいえ、バルディアの事情に加えて、ギジェン帝国のことも知れたのは収穫だった。

 武術大国という文化、魔物扱いされてきた獣人たちの歴史的背景――強さを尊ぶ獣人の習性は、そういったところから生まれているのかもしれない。


 身体的ポテンシャルの高い獣人を束ねられれば、凄まじい勢力になるが……昼間の治安の悪さを見ると、領主も統率しきれてはいないんだろうな。


 考えつつ、俺は素朴な疑問をラグナルにぶつけてみる。


「この街の領主が一番強いってのはわかったが……獣人の居住区の長も、やっぱり強さで決めてるのか?」

「ええ。領主様の招集で、定期的に族長会議のようなものが行われますが……わたしの見た印象だと、やはり強さで族長を選んでいる獣人種セリオンが多いですな」

「……ってことは、この居住区で一番強いのは、やっぱりあんたなのか?」

「そうですね。まだかろうじて、わたしが一番になるでしょうか」

「かろうじて?」


 オウム返しに問うと、ラグナルは楽しげにあごひげを撫でた。


「わたしももう、六十を過ぎた老いぼれですからな。近い内に若いものに負けることもありましょう」

「……しばらくは負けるつもりがなさそうなツラに見えるが?」

「滅相もございません。若い者に道を譲るのも老体の役目ですからな。とはいえ……役目を果たせそうにないものに、長の役割を明け渡すつもりはございませんが」


 そこまで自信があるとは、大したジジイだ。

 ラグナルのスキルをた印象では、特に目立った実力者というわけでもなく、昼に戦ったごろつきより多少優れているくらいだったはずだが……それでも長が務まるほど、猫目種キャトラス兎耳種ラビリスの能力が他の獣人種よりも劣っているということだろうか。


 …………いや、それだけではないな。

 スキルに反映されない駆け引きのうまさ、老獪ろうかいさがラグナルにはある。

 例え肉体が衰えたとしても、ラグナルの立ち振る舞いを見る限り、勝負勘のようなものが鈍っているようには見えない。

 やはり、敵に回すのは避けたいジジイだな。


 ラグナルに対する認識を改めつつ、俺は長話で冷めきった食事を片付けることにした。

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