第32話 家主との会見(5)

 居間は完全に静まり返り、全員の視線がアトリに向けられている。


 ラグナルは値踏みするようでいて、どこか楽しんでいるような視線を。

 ミーシャは目を丸くして、驚きと畏怖いふが入り混じった視線を。

 クーファは……こいつは相変わらず無表情で、なに考えてるかさっぱりわからんな。


 誰も動かない膠着こうちゃく状態の中、俺はようやく我に返って、すべきことを行動に移した。


「な、なに言ってんだよ、アトリ。いくら名前が似てて、同じハーフエルフだからって、王女を名乗るなんてさすがに……」

「無駄ですよ、セツナ。ラグナルさんは、とっくに気付いています」


 アトリにやんわりと指摘され、俺は反射的にラグナルを見やる。

 やつは鼻から下をおおうヒゲの中で、微かに笑みを深めたようだった。


「いえ、わたしも確証があったわけではないのですがね。名前と種族、立ち居振る舞いなどから、なんとなく予想はつけていた……といったところでしょうか」


 ……うかつだった。

 アトリの正体がバレてたことに気付かなかったなんて、我ながら間抜まぬけ過ぎる。


 後悔や懊悩おうのうを一瞬で捨て去ると、俺は腰の剣鉈マチェットに手を添えた。

 そして、冷静に分析する。


 ――こいつらを皆殺しにして、口を封じるべきか?


 助けてもらったのに悪いとは思うが、素性すじょうを知られてしまっては話は別だ。

 仮にこいつらが善人だったとしても、破壊神の魂をその身に宿したみ子――『虚無の因子』を見つけて、黙って見過ごしはしないだろう。

 らなければ、られるのはこっちだ。


 ……最大の問題は、まともに戦っても勝てる状況じゃないってことだな。

 俺のスキルセット的に、姿を見られている状態での開戦はが悪い。

 その上、この居間は剣鉈を振るうのに不足はないが、魔法で正確に敵だけに狙いをつけるには狭すぎる。

 つまり、俺とアトリはまともな連携も取れないまま、身体能力に優れた戦士三人と真っ向勝負しなきゃならないわけだ。

 分が悪すぎて笑えてくるな。


 俺が放つ剣呑けんのんな気配に気付いたのか、ラグナルは一層面白そうに笑いやがった。


「……なにがおかしい?」

「これは失礼。しかし、ご安心ください。わたしたちには、あなたがたを害するつもりはございません」

「口ではなんとでも言えるよな」

「いえ。ラグナルさんの言っていることは、嘘ではないと思います」

「……どうしてそう言い切れる?」


 俺が問うと、アトリは困ったように眉根を寄せた。


「セツナには自覚がないようですが……勇者様というのは、一般の人々にとってそれだけ権威ある存在なのです。その能力もさることながら、勇者様には大国の権力者を動かす力があります。普通は逆らおうとは思いませんよ」

「……だが、誰も彼もが逆らわないってわけじゃない」

「そうですね。ですが、わたしたちをだまして攻撃してきたとして、ラグナルさんたちになにかメリットはありますか?」

「それは……」

「わたしたちは高価な品も持ってはいません。わたしたち自身を奴隷市どれいいちに流すにしても、『虚無の因子』と勇者様では売りさばくのも困難でしょう。世界のためにわたしを殺すつもりだしても、新たにわたしの血族に魂が乗り移るだけ。何の成果もない上に、セツナの怒りを買うことになります。どうしたってメリットはありません。むしろ、恩を売ってポイントを稼いでおいたほうが見返りは大きいです」

「……損得抜きで、俺たちを狙ってる可能性はあるだろ」

「そういう妄執もうしゅうに駆られた人もいるでしょうが……ラグナルさんがそんなタイプに見えますか?」


 言われて、言葉に詰まる。


 確かに、ラグナルは妄信に取りかれて動くタイプには見えない。

 むしろ今まで話してきた感じだと、理性的で極めて落ち着いた人格者だと言える。

 ……だが、「サイコパスははたから見ると普通の人間にしか見えない」という説もある。

 どんなにいいやつに見えたとしても、俺は他人・・を信用する気なんて微塵みじんもなかった。


 俺の考えがわかったのだろう。アトリは深々と嘆息を吐きやがった。


「……とにかく、ラグナルさんがわたしたちを害するメリットはありません。故に、ラグナルさんがわたしたちを害することもない……というわけです」

「ちょ、ちょっと待って!」


 口を挟んできたのは、やはりミーシャだった。


「あ、あなたまさか、本当にあの『混血の魔女姫』だって言うつもりなの……?」

「ええ。わたしは、その・・アトリーシアです」

「そ、そんなの、勇者と同じくらい荒唐こうとう無稽むけいじゃないっ! だいたい、どうしてバルディアのお姫様がギジェン帝国に来てるのよ!?」

「ご存知ありませんか? バルディアの王都は魔物の群れに襲われ、すでに滅びています。手をこまねいていたら、わたしのいた砦もすぐに落とされたでしょう。国外に落ち延びるのは当然です」

「だ、だったらこんなところにいないで、さっさと貴族や領主にでも助けを求めればいいじゃない!」

「わたしの居場所が世間に知られれば、魔物にも知れ渡ります。そうなれば、早晩魔物が帝国に押し寄せてくるでしょう。居場所を曖昧にしておくことで、そのような正面衝突を回避しているのです」

「そっ、そこまで言うなら、あんたが本物の王女様だっていう証拠を見せてみなさいよっ!」


 ミーシャがかたくなに噛み付くと、アトリはどこか自嘲したような笑みを浮かべた。


「残念ながら、わたしには自分が王女であることをあかすべはありません。しかし……わたしが『虚無の因子』であることなら、簡単に証明できます」


 言って、アトリは天井に向けて人差し指を立てる。


「オール・エレメンタル」


 立てた人差し指を中心に円を描くように、火、水、風、土、光、闇――六色の魔力球が中空を漂う。

 ミーシャは警戒するように身構えるのに、アトリは苦笑して説明する。


「これはごく微弱な魔力に実体を与えたもので、ほとんど何の効果もない魔法です。ですが……この魔法が使えるものは、おそらく大陸中でもわたしを含め数人しかいないでしょう」

「……なるほど。噂には聞いておりましたが、素晴らしいですな」

「な、なにっ? どういうこと!?」

「わからんかね、ミーシャ。六属性すべての魔法を操れるものなど、ごくわずかしか存在しない。百年にひとりの天才か、異界から召喚された勇者様、あるいは――」

「『虚無の因子』。つまり、邪神の魂を受け継いだもののみ、ですね」


 ラグナルの説明を、アトリが自嘲気味に引き継いだ。

 度重なる論証に、さすがに反論の矛先を見失ったのか、ミーシャは唖然としたままアトリのことを見つめている。


 ……まぁ『虚無の因子』だの、異世界から召喚された勇者だの、眉唾まゆつばものの話が事実だと言われたら普通は混乱するわな。

 とりあえず、こいつについてはもうしばらく様子見だな。

 事態を飲み込んだ上で、アトリに敵意を向けてくるのなら、その時は対処・・するしかあるまい。


 再び、沈黙が居間を支配する。

 長く、重苦しい沈黙を最初に破ったのは――やはり、ラグナルだった。


不躾ぶしつけな質問を重ねてしまい、あいすみません。不都合でなければ、もう少しお話をうかがいたいのですが――」


 そこで言葉を切ると、ラグナルはごく呑気な口調で提案してきた。


「その前に、着替えと水桶みずおけを用意させましょう。お二方ふたかたも、そろそろ汚れを落としてさっぱりしたいのではありませんかな?」

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