第23話 潜入

 休憩をはさみながら二時間ほど駆けると、ようやく城壁が見えてきた。


「あれが、城塞都市ヴェラードってやつか……」


 疲労が溜まってきたせいか、俺は荒い呼吸のままつぶやく。

 だがアトリはなにも返さず、深刻そうな表情で俺の顔を見つめているだけだった。


「……おいアトリ、聞いてるか?」

「あっ…………な、なんですか、セツナ」

「いや、あれのことなんだが……」


 言って、森の向こうに見える城壁を指差す。

 アトリは城壁を確認すると、深刻そうな顔を緩めてほっとした表情を浮かべた。


「おそらく、あれがギジェン帝国の城塞都市ヴェラードでしょう。魔物の侵入や戦争に備えて、都市全体を壁で囲んでいるのです」

「戦争って……バルディア王国とってことか?」

「はい。もちろん、魔物の侵入を防ぐという目的が第一だとは思いますが……過去に過激な王が即位して小競り合いが起きたり、領民同士で問題を起こしたこともあるので」

「……なるほど。人間も一枚岩じゃないってことか」


 地球にいた頃のことを思えば、それも納得の行く話だった。


「しかし、そうなると色々面倒だな……」

「なにがですか?」

「城壁があるってことは門番もいるんだろう? 当然、門番は不審者を領内に入れてはくれないはずだ。そんでもって俺たちは、見るからに不審者だ」

「あー…………」


 指摘されて、アトリもようやく気づいたらしい。

 汚れたドレスを着たハーフエルフと、見慣れない服学ランを着た男の二人組。

 他国から駆け落ちしてきたと思われるならまだマシだが、スパイか魔物と勘違いされてもさほど驚かんな。


「えっと……わたしの素性を打ち明ける、というのはどうでしょう?」

「却下だ」

「な、なぜですか。さすがにバルディア王国の王女ともなれば、保護してもらえる可能性は高いと思いますよ?」

「お前、自分がバルディアの王女だって証明できるものを持ってるのか?」

「うっ…………」


 アトリはうめいてから、気まずそうな顔で視線をそらした。


「……やっぱりな。着の身着のままで逃げてきたって感じだし、そんなこったろうとは思ってたよ」

「で、でも、わたしの顔を知っている王族や貴族の方がいるかも……」

「お前、ずっと砦に軟禁されてたんだろうが。仮に知ってるやつがいたとしても、ガキの頃のお前しか知らないだろ」

「そ、それは……そうなんですけど」

「だいたい、お前の素性を正直に言ったら『虚無の因子』のことまでバレちまうだろ? そうなったら、また面倒に巻き込まれるぞ」

「う、うぅ…………」


 アトリは涙目になって、心底申し訳なさそうにうなだれた。

 その様子がなんともおかしくて、俺はつい笑ってしまう。


「……まぁ心配するな。幸い、俺のスキルはこういう状況向きだからな」


 実際、『隠密』と『俊敏』、あとは『鎖縄さじょう術』なんか組み合わせれば、城壁の中に忍び込むのは不可能ではないはずだ。

 戦闘面ではいささか頼りない部分もあるが、こういう局面ではなかなか頼りになるスキルである。


「…………すみません。またセツナにばかり負担をかけて……」


 妙に深刻な声でアトリが言う。

 思わず彼女に視線を向けるが、うなだれているせいで彼女がどんな表情をしているのかまでは確認できなかった。


 そうこうしている内に、森の出口にたどり着く。

 俺は木の陰に身を隠しつつ、城壁のほうをうかがう。


 森から城壁までは平地になっていて、距離はおよそ五百メートルほど。

 森の魔物を警戒してか、ちょうどこちらを監視するような形で、門番や城壁上の歩哨ほしょうが配置されている。

『俊敏』と『隠密』を駆使すれば、ぎりぎり門番に気づかれずに城壁に取り付けるかもしれないが……城壁上の歩哨まであざむけるかは、正直自信がない。

 とはいえ、朝になってしまえば衛兵の数は増し、一層突破が困難になる。うだうだしている時間はない。


 手近な木に巻き付いたつたを切って手繰たぐり寄せる。

 蔦をロープ代わりに使えば、城壁に引っ掛けて城壁の上まで駆け上がることはできるだろう。

 問題は歩哨の目をごまかす方法だが…………さて、どうしたものか。


 と――抱えていたアトリに服を引っ張られ、俺は彼女に視線を落とした。


「……セツナ、ちょっといいですか?」

「ん? どうかしたか?」

「城壁内に潜入する方法ですが、わたしに考えがあります」

「なに?」


 俺が問い返すと、アトリはどことなく悲壮な表情で城壁を見やった。


「わたしの使える魔法の中に、『インヴィジブル』というものがあります。『光魔法』のレベル4の魔法ですが、この魔法を使うと一時的に透明になり、他者の視線から逃れることができます」

「それは使えるな……だが」

「わたしの魔力が足りるのか、でしょう?」


 俺の疑念を見透かしたように、アトリがこちらの言葉をさえぎった。


「それなら心配はいりません。セツナの腕を繋げたことでかなり消耗してしまいましたが、森の中を移動している間に少し魔力が回復しています。今の状態なら、『インヴィジブル』を使っても五分ごふんつでしょう」

「……五分か」


 今の俺の体力では、森を出て城壁を越えるにはかなりぎりぎりの時間だ。

 なかなか厳しい条件だが、これ以外に術はない。


「やってやるさ」


 にやりと笑ってみせてから、俺は一旦アトリを下ろした。

 体の筋肉を念入りにほぐし、呼吸を整えてから『隠密』を発動し直す。

 アトリを背負い、登攀とうはん用とは別の蔦でアトリと俺とをきっちり結ぶ。


「よし。やってくれ」

「はい。――『インヴィジブル』」


 俺が要求すると同時に、アトリが魔法を発動させる。

 俺達の姿が瞬時に透明化し、自分の身体やアトリの姿も視認できなくなる。

 地に足がついてないような酩酊感に目がくらむが――背負ったアトリの重さと、地面を踏みしめる感覚に集中し、俺は数秒の酩酊状態から立ち直った。


『俊敏』を発動して地面を蹴り、森を飛び出す。

 アトリを背負っている分だけ速度は削がれるが、それでも今の自分の全速力で駆け抜け、城壁に取り付く。

 ここまでおよそ一分いっぷん


『鎖縄術』で蔦を投擲し、城壁の縁に引っ掛ける。

 蔦がしっかり引っかかったのを確認してから、俺は蔦をつかんで城壁の登攀を始める。

 しかし、地面に対して直角に築かれた城壁を登るのは、俺の体力ではかなりしんどい。

 疲労と打撲の痛みもあって、すぐに腕が悲鳴を上げ始めるが、それを無視して城壁を三分さんぶんいちほど登る。

 ここまででおよそ二分にふん


 再度『俊敏』を発動して、城壁を蹴りながら上へ進む。

 登攀速度が上がり、なんとか城壁を登り切る。

 ここまででおよそ三分さんぷん


 だが城壁上では、ちょうど歩哨が通りかるところだった。

 念のため蔦を懐に隠し、手だけで城壁にぶら下がる。

 腕がちぎれそうなほど悲鳴を上げるが、無視。ほとんど意思の力だけで、歩哨が十分じゅうぶん離れるまで耐え切る。

 ここまででおよそ四分よんふん


『俊敏』の力で城壁を蹴り、その反動でなんとか城壁の上に身体を持ち上げる。

 そのまま助走をつけて城壁から身を躍らせ、最も手近で高さのある建物の屋根に着地。

 だが、勢いを殺し切れずに転倒しそうになり、四肢を踏ん張って耐える。

 物音が聞こえて人が見にくる可能性もあるため、すぐに『俊敏』で別の屋根に移り、最初の着地点から離れた地面に降り立つ。

 ここまででだいたい五分ごふん


「……もういいぞ」


 建物の物陰に隠れながら、俺は荒い息でアトリに告げた。

『インヴィジブル』の効果は解かれるが、アトリからの応答はない。


「アトリ…………?」


 俺は不審に思って、身体を縛っていた蔦をほどくと――どさり、と物音を立てて、アトリは死人のように地面に倒れた。

 動揺のあまり思わず大声を上げそうになるが、今それはまずい。

 俺は瞬時に冷静さを取り戻すと、彼女の抱き上げて出血や怪我の有無を確認しつつ、『鑑定』を行う。


     アトリーシア・エル・ディード・バルディア

     種族:ハーフエルフ

     クラス:賢者

     状態:魔力欠乏

     レベル:20

     魔力:0/1500

     スキル:

      全属性魔法(レベル:4)

      虚無の因子(レベル:9)


 魔力欠乏。

 一度だけ、アトリから聞いたことがある。確かその時、彼女はこう言っていたはずだ。

 魔力が完全に枯渇すれば気絶する、と。


「お前、まさか……」


 ――今の状態なら、『インヴィジブル』を使っても五分はつでしょう。


 城壁を登攀する前、アトリは確かにそう言った。

 だが、


「…………クソっ」


 なにが無茶するな、だ。お前も人のこと言えた義理じゃないだろうが。


 確かに、あの状況でまごついてるわけにはいかなかった。

 城壁を越える策を練ったり、魔力の回復を待っている間に、魔物から襲撃を受ける可能性だってあった。

 だが――アトリをこんな目に合わせてまで、強引に突破したかったわけじゃない。


 俺が焦り過ぎていたせいで、アトリの危機感を必要以上にあおってしまったのだろうか。

 知らず知らずのうちに、彼女を追い詰めてしまっていたのか。


 ……後悔するのはあとでいい。

 とにかく、どこか安全な場所に移動して、アトリを介抱しなくては。

 だが、魔力欠乏になった人間を介抱する術など知らない。

 この街の地理にもうといし、病人をどこに連れていけばいいのかもわからない。


 …………クソっ、ダメだ。全然考えがまとまらない。

 不安と動揺がとめどなく膨らみ続け、絶望的な気分に沈みかけた時――


「…………ちょっと。そこに、誰かいるの?」


 怪訝そうな少女の声が、夜闇の向こうから投げかけられた。

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