第3話 南氷洋波高し
南氷洋の空はひたすら寒かった。
自前の毛皮の上に、さらに防寒服を着込んでいるがそれでも寒い。
服というよりキグルミと言った方がいいかな。
だって猫がコートとか着てたらまずいだろ。
だから、俺専用に作ってもらった防寒服は着ていても服には見えない。
ただ、俺が一回り太ったように見えるだけ。
一応、爪しかない猫の前足でもなんとか着脱できるようになってるが、着脱するのにかなり練習した。
下を見ると、さっきまで俺達が乗っていた海上保安庁・巡視船〈
「サム。もっと高度下げてよ。寒いよ」
「まだ……敵、見つけてない。もう少し……我慢」
我慢にも限度ってものがあるぞ。
おまえら大鷹は元々、寒さに強いだろうけど猫は寒さに弱いんだから配慮してよ。
と、出発前に言っておいたのだが、この鳥頭はもう忘れてる。俺と同じように遺伝子操作で知性化したと言っても、こいつは所詮鳥だ。すぐに忘れるところは変わらない。
え? 猫だって忘れっぽいじゃないかって? それは迷信だ。俺は記憶力いいんだぞ。
それはともかく、ここでこの鳥頭を怒らせるような事をしては拙い。今の俺はサムに命を握られているのだ。俺の身体は毛皮に偽装した防寒服に包まれている。つまり毛皮の上にさらに毛皮を着ているわけだが、その防寒服の襟に輪っかが付いている。
その輪をサムが鍵爪で掴んで飛んでいるわけだ。今、こいつの機嫌を損ねるような事をすれば、俺は海に真っ逆様という事に……
「うにゃあああ!!」
俺は思わず悲鳴を上げてしまった。
突然、俺の身体が落下を始めたのだ。
サムの奴、俺を放したな!!
「サム!! 俺が悪かった。許して!! 助けて!!」
「何……言ってる? 俺……ここにいる」
上を見るとすぐそこにサムはいた。ただし、羽ばたいていない。翼をすぼめて急降下しているのだ。
「そうか。俺が寒いって言ったから、高度下げてくれたのか。優しいな」
「違う。敵……見つけた」
え? 敵?
俺は双眼鏡をのぞいた。
大きな捕鯨船が見える。日本の捕鯨船〈朝日丸〉だ。その捕鯨船に向かってドクロの旗を掲げた黒い船団が向かっている。船団は大型船一隻と小型の高速船五隻。
ドクロの旗だから海賊だと思うだろうけど、海賊ではない。ある意味、海賊より質が悪いと言える。
奴らは環境テロリスト集団シー・ガーディアン。毎年、捕鯨船に劇薬を投げつけたりするなどの嫌がらせをやっていた集団として、日本ではよく知られているが、海外でも動物実験をしている科学者を脅迫したり、製薬企業に対して破壊活動をするなどと迷惑この上ない集団だ。しかも、自分は正義の為にやっていると信じて疑わないというから始末におけない。動物を守るためなら、人間など死んでもいいという価値観で行動している。
そこで、日本政府はその価値観を逆手に取ろうと考えた。現在、遺伝子操作によって人間並みの知能を持った動物が世界各地で生まれている。
俺達の事だ。
そんな動物を使って奴らを攻撃したらどうなるかと。
反撃できないで、なすがままにされるか。
それとも、俺達に銃を向けるか。
もし、銃を向けてきたら、その映像を世界中に流してやればいい。
シー・ガーディアンは動物を愛護する人達の寄付金で成り立っているわけだが、そんな人達にシー・ガーディアンが動物に銃を向けたなんて知れ渡ったら、誰も寄付をしなくなる。とまあ、そんな訳で研究所にいた俺達を、内閣調査室が借り受けて、緊急の動物部隊が編成される事になったわけだ。
ちなみに攻撃の主力は俺達じゃなくてシャチだ。今回、捕鯨のために訓練したという名目で三頭のシャチが捕鯨船の周りを泳いでいるが、その本来の目的は……
おっと、始まった。
シー・ガーディアンの小型高速船が捕鯨船に近づいて、今にも瓶を投げつけようとしたそのとき、海中から巨大なシャチがジャンプしてきた。
シャチが海中に飛び込む時に起きた波が高速船を翻弄する。続いて二頭のシャチが高速船の右舷と左舷から飛び出し、空中で交差して海面に飛び込む。
巨大な波しぶきが上がり高速船は転覆した。
これがシャチの本来の目的だったというわけだ。
不意に俺の首輪からコール音が鳴る。
通信機のスイッチを入れた。
と言っても実際に前足で操作したわけじゃない。
俺たちの使っている通信機は思考入力になっているのだ。
でないと俺ならともかくサムには使いこなせない。
声も実際に出す必要はない。
考えただけで相手には声となって伝わる。
「こちらトロン。リアル聞こえるか」
シー・ガーディアンの大型船に潜入している仲間からだった。
「こちら、リアル。よく聞こえる。そっちの様子は?」
トロンは俺と同じく、研究所で知性化された日本猿だ。オーストラリアの港に停泊中のシー・ガーディアン船の船員に取り入ってちゃっかり乗り込んでいたのだ。
『やつら、呆気に取られているよ。今なら、船に近づいても気づかれない』
「了解」
俺は通信を切った。
「サム。奴らの母船に近づいてくれ」
「もう……向かっている」
すでに母船は俺達の真下にあった。
下を見ると、シー・ガーディアンのメンバーはみんな右舷に集まって、仲間の船がシャチに襲われている様子を唖然として見ている。
自分たちが助けるつもりだった鯨の仲間にまさか攻撃されるとは思ってもいなかったのだろう。
船尾の方を見ると、一匹の猿が手を振っている。知性化実験猿・
サムはトロンの足下に俺を下ろして再び空に舞い上がっていった。
「リアル。なんか食い物ない?」
「いきなり、なんだよ? 奴らろくに食い物もくれないのか」
「いや、食べ物はくれるけど、不味いんだよ。果物とか芋ばかり」
「猿はそういうのが好物だろ?」
「それは偏見。俺だってたまには蟹食いたいよ。でもこの船の奴らみんな
そういえばトロンて、カニクイザルとの混血だったな。
「この船にいる間、俺は毎晩、蟹の夢ばかり見て気が狂いそうだったんだ」
「そいつは大変だったな」
俺は防寒服のジッパーを下げた。
深夜の公園に出没する変態おじさんのコートのごとく、俺は防寒服を左右に広げた。服の内側に、小型爆弾が十個つり下がっている。
「なんだ爆弾か。蟹缶じゃないのか」
「いいから早く受け取れよ。誰かにこんなところ見られたら大変だろ」
トロンは爆弾を外していく。
「一個ぐらい爆弾減らして、蟹缶持ってきても罰は当たらないだろうに」
「うるさいな。〈八雲〉に戻れば、蟹缶いっぱい用意してあるから」
「本当か?」
「ああ。博士がおまえの為に用意してくれたんだ」
そのうちに何個かは俺が航海中に失敬したという事は黙っていよう。
トロンがすべての爆弾を受け取ると、俺達は行動を開始した。
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