第2話

 その部屋にはもともと母、由紀子の両親が暮らしていた。

 父に蒸発された母は両親を頼って、この団地に身を寄せた。

「せいぜいしたわ。あんな愚図で稼ぎの悪い男と離れられて」

 逃げられただけなのに。幼い幸子はそう思いながら母をにらんだが、母は運び入れたわずかばかりの荷物の整理に夢中だった。

 父は優しくきれいな顔をしていた。

「幸子は天使みたいにかわいいね」

 いつもそう言って幸子のことを愛おしそうにぎゅーっと抱きしめてくれた。

 父の頭から匂っていた整髪料の匂いを幸子は長い間覚えていた。今はさすがに覚えてないけど。

 気が弱く、職を転々としていた父はいつも母に責められていた。

 父は弱弱しく笑ってそれを流していたが、ある日それも限界に達したのだろう。父は家に帰って来なくなった。

 母はそれを何事もなかったかのように片づけた。

 三人で住んでいたアパートを解約し、両親に話をつけ、実家に舞い戻った。

「馬鹿な男と結婚しちゃった。時間の無駄だったわ」

 母はそんなふうに父を蔑んだ。

 それでも母は時々父を思い出すのか、こんなことを言いながら、幸子の髪に櫛を入れた。

「まあ、いいわ。あんたをこんだけきれいに産むことができたから。あんたで稼げばいい。私はあの人のタネにしか用がなかったのかもしれないね」

 そう、母は醜かった。顔も体も、心も。残念な女だったのだ。本当に。

 母は気が弱く優しく、心と顔のきれいな父を手練手管で落とした。

 そして、自分の支配下に置いてからは、つらくあたった。自分より優れたきれいなものが許せないとばかりに。

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