だから彼女は「おほほ」と笑う。-プランB-
人生
プロローグ
はじまりは、なんでもない休日。その昼下がりのことだ。
正午を告げる街の放送で
だらだらしながら部屋を出て、適当に空腹を満たそうとカップ麺のふたを開けていた時である。
リビングでテレビを見ていた母親から、「
綾野ちゃん――向かいに住む、幼馴染みの少女だ。
幼馴染みといえば聞こえはいいが、高校生になった今ではもうすっかり疎遠になってしまった……まあ良くも悪くも、よくある〝幼馴染み〟というやつである。
最近だと、五月の連休の際にちらりと見かけたくらいか。
というのも、彼女はこの界隈でも有名な全寮制のお嬢様学校に通っており、実家への帰省もたまの連休くらいなのだ。近所の市立に進学した歩とはまるで住む世界の違う、疎遠になるのもなるほど仕方ないと思える相手。
そんな彼女が、今になって自分になんの用だろう――
疑問と、漠然とした……かすかな期待。
腹ごしらえをして、御園辺歩は向かいにある幼馴染みの家を訪れた。
(ここに来るのも何年振りだろうか……)
自宅のドアを開ければほとんど毎日目にする、通りを挟んだ向かいにある幼馴染みの家。コピペしたように似たり寄ったりな住宅が並ぶなか、一軒だけグレードが異なることが目に見えて分かる。
さすが、娘をお嬢様学校に通わせるだけある――
「やあ歩くん、いらっしゃい。久しぶりだね」
「こんにちは――おじさん」
御園辺歩はその日、幼馴染みの父親――おじさんに呼び出されたのだ。
■
(いったい何の話をされるんだ……)
幼馴染み宅のリビングで一人、御園辺歩はそわそわとしている。
娘をお嬢様学校に通わせるだけあってどこか上流階級らしい雰囲気で、一庶民にすぎない歩はどうにも落ち着かない。視線も一点に定まらず、きょろきょろと宙を泳ぐ。
歩を呼び出したおじさんは現在、お茶を淹れるためキッチンでお湯を沸かしているところだ。
どうやら、肝心の幼馴染みの方は留守らしい。この前の連休でも結局声をかけることはなかったし、当の本人が現れてもまともに会話できるかは怪しかったから安堵している自分がいる。
……その父親がいる前でいったい何を話せばいいというのか。
しかし、それはそれで問題だ。
いくら昔は家族ぐるみの付き合いだったとはいえ、その父親ともなれば他人も同然である。幼馴染み無しで一対一で顔をあわせるのは気まずいというか緊張する。
(特におじさんは昔から仕事人間で……単身赴任も多かったからな)
子どもの目から見ると、厳しくお堅そうな印象だった。
しかし、歩にとっておじさんはある種の憧れだ。
家庭を顧みないほどの仕事人間ではあったが、まさしくそれは働く大人というイメージそのもの。
小学生の頃に亡くなった歩の父は家で仕事をしているからか普段からだらしない印象が強く、対し、スーツの似合うおじさんはカッコよく見えたのだ。
そんなおじさんは最近定年を迎えたのだが……。
(はて……。娘を嫁に……とか?)
幼馴染みの父親からされるような話といえばそれくらいしか思い浮かばない。
いったいなんの用だろう。
「待たせたね」
と、おじさんが戻ってくる。
紅茶だろうか。嗅いだことのない、なんだか高貴な気分に浸れる香りが漂ってきた。さすが単身赴任が長いだけあって、お茶の淹れ方もお上手である。
「あ、ありがとうございます……」
湯気の上るお茶を冷ましながら、軽く一口。香りに違わない芳醇な味わい……とでも言えばいいのか。感覚が庶民である歩には適当な表現が思い浮かばなかったが、とりあえず美味しい。
そもそもこのリビングの調度品からして高価そうで素敵なインテリア揃いだ。自覚するとよけいに居心地の悪さが高まる。
「早速だが、本題に入ろう」
渋い声に顔を上げる。
おじさんは黒縁眼鏡の似合う中年男性で、だぼっとした部屋着姿にもかかわらず休日のお父さん感が薄い。少なくとも同年代のおやじどもとは格が違うと歩は感心する。会社勤めのはずだが、教師をしていたといっても通じそうな雰囲気を醸しているのだ。
「娘が……綾野が最近、おかしいんだ」
「……と、いいますと……? あ、すみません、最近あんまり……」
「あぁ、知っている。だからまずはこれを見てくれ」
そう言って、おじさんはテレビをつけた。さっきから気になっていたのだが、テーブルの上にはビデオカメラが置かれている。テレビとケーブルで繋がれたそれをおじさんが操作すると、テレビの画面に映像が出る。
それは……この家のダイニング、親娘の朝食風景を撮影したもののようだった。
『ちょっと、急にどうしたの……?』
これは……綾野の声だ。久々に聞くが、声はあまり変わらない。
映像の中の彼女はなぜか片手で顔を隠していた。撮影を拒む芸能人みたいだ。
「えっと……?」
なんだろう、まさか知らないうちに不良にでもなっちゃったのだろうか。あの手は目線を隠すモザイク代わりなのかもしれない。
「まあ見てくれ」
言われたので観ていると――
『お父様? お食事中ですわよ? はしたないですわ』
「……ん?」
『い、いや、久々だからな。またすぐ寮に帰るから会えなくなるだろう。その前に娘の成長記録を撮っておこうと……』
『それならせめて食事を終えてからにしてくださらない? せっかくの朝食が冷めてしまいますわよ』
『あ、あぁ……』
そこで映像はいったん途切れ――
『……これが娘の現状だ。いったい何が起こっているのだろう。調査は今後も継続する――、』
『お父様――?』
『い、いま行く……!』
なんだろう、これは。
歩が首をひねっていると、おじさんは映像を止め、
「見たかね、娘の現状を」
真面目な顔で言う。
「は、はあ……。何かこう、心霊番組の投稿映像めいた終わり方でしたけど」
「そうだ、まさしくオカルトめいている……」
「あの……俺にはよく分からなかったんすけど、これが何か?」
「聞いただろう!? あのお嬢様口調を!」
「…………」
まあ、聞いた。確かに一瞬どうしたんだと思った。
「けど、あいつ……綾野さんが通ってるのってこの辺でも有名なお嬢様学校ですよね……? それならああなっても……」
「現実にあんな口調の人間がいる訳ないだろう」
「言われてみれば、たしかに……特におじさんに言われると説得力が半端ないっす」
「この前まではまだ普通の口調だったんだ。おかしくなったのはここ最近……。いったい綾野に何があったのか気にならないかね」
「気にはなりますけど……。別にお嬢様口調になったって……、」
特に困ることもない。本人がそうしたいならそうすればいい。高校二年生になって数か月という微妙な時期だが、キャラを変えたかったのだろう。
「君は何を言ってるんだ? お嬢様口調のキャラは正ヒロインにはなれないだろう、弊害ありまくりじゃないか!」
「いや、おじさんこそ何を言ってるんすか……ていうかこっちもどうした」
「よく考えてみたまえ。お嬢様口調のキャラクターがメインヒロインとして扱われている作品があるか? お嬢様口調のキャラは色モノ、よくてせいぜいサブだろう」
「え、えーっと……」
確かに言われてみれば「おーほっほっほ」とか高笑いするようなキャラクターがメインヒロインに扱われている作品に覚えがない。少なくとも歩は知らない。お嬢様という設定のキャラはいても、あんなギャグめいた口調はしないだろう。したらさすがに主人公も引くはずだ。
「まあ、はい……。確かに正ヒロインじゃないですね」
お父さんとしては娘が脇役なのは許せないのだろうか。
とはいえ、映像の中の綾野はまだぎりぎりヒロインになれそうな上品のある口調だったのだが。
「ていうか、やけに詳しいですね……?」
「あぁ……。話せば長くなるが、」
「語るほどの長さがあるんですか」
まあ興味があるので聞こう。
「私は単身赴任で一人での暮らしが長かったこともあり、よく食事時はテレビをつけていた。寂しかったのだな。そうすると流れていたのがアニメだ。なんとなく見ているうちに私はアニメの虜になっていった……」
「……あぁ、はい、聞かなければよかったです」
ちょっと幻滅した。代わりに親近感は湧いたが、大人の階段の上の方から降りてこられたような感じである。
いや、肝心なのはそこではなく。
「ところで、その……なぜ俺が呼び出されたんでしょうか……?」
「綾野は昔、君に結婚の約束をしていたね」
「……あー……、でもあれは子供ん頃のアレですよ。少し仲が良かったら誰だって」
ここにきて、話の趣旨が見えてきたような気がする。
(真面目な人だからな……。ここはお嬢キャラでも全然オッケーとでも言っておけばいいのだろうか……)
しかしすぐに勘違いだったと気付かされる。
「それに綾野は君に、その、き、……ふぁー、ファー……、」
「? ファール?」
「アウトだよ!」
「何がっ!?」
ドン、とおじさんがテーブルを叩く。危うく紅茶をこぼすところだった。
「とにかく責任をとってなんとかしたまえ!」
「責任といわれても……」
言わんとしてることは、分かった。しかしあれはほっぺにちゅー程度のもので、別にファーストキスといえるようなものではなかったはず。というか思い出してみると昔はだいぶ仲が良かったものだと感慨深い。
「綾野がどうしておかしくなったのか、その原因を探るんだ」
「……あいつ、帰ってるんすか?」
「今は学校だよ。さっきの映像はこの前の連休のものだからね」
「じゃあどうやって探るんすか、おとうさん……」
「君にお父さんと呼ばれる筋合いは――」
「え? 言いよどむ? なぜに?」
親近感湧いたついでに突っ込んでもらおうと思ったのだが、おじさんは難しい顔をしてソファに座り直した。
「君には綾野のいる学園に転入してもらう」
「はあ、綾野さんのいる学園に転入――ん? え? あいつのいる学園って、」
「そうだ、私立
おじさんは不敵に笑った。
歩は本気でおじさんがどうかしてるのではと思った。
そうして――
「み、
御園辺歩はお嬢様学校に潜入することとなったのだ。
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