第5話 眞莉愛

「ユニバってこの近くやんな?」


「そうやで。めぐも羨ましいか?」


「そりゃまぁ、学校帰りに行けたりするん?」


「さすがに制服のまま行ったら怒られるわ」


「その辺は厳しいんやな」


「セーラー服は目立つしな」


 行儀よく革製の椅子に座るめぐとは対象的に、明梨は机に頬杖をつき、スカートが捲れることも気にしていない様子であぐらをかいでいる。めぐを見つめる双眸がニッタリと三日月を作った。


「でも、駅のトイレで着替えれば問題なしや。駅にはロッカーもあるし」


「明梨はホンマにそういうことしてそうやわぁ」


「詩音だって一緒になってやってるしー」


「詩音を非行に巻き込まんとって!」


「なにが非行や、ほんの少しずる賢いだけや!」


 此花学園から二つ隣の駅は、『ユニバーサルスタジオジャパン』通称ユニバの最寄り駅になっている。大阪環状線には、テーマパークのラクターがラッピングされたコラボ列車も走っていて、ここに向かうまでの車内ではグッズを身に着けた観光客の姿を何人も見かけた。


 ちなみに、東京の方ではUSJと略すらしく、ユニバと言っても、奏には伝わらないなんてことが以前あった。


「学校から一度家に帰って着替えてからユニバに行くのと、学校からトイレに寄って着替えてユニバに行くことに何の差があるんや」


「まぁそう言われると?」


「納得しちゃだめやろ」


 みなこのツッコミに平静を取り戻しためぐが「そや、ルールは守らなあかん」と息を吹き返す。「ルールは制服で行くなって文言なんですよ、めぐさん、帰りに言っちゃだめとは書いてへん!」と明梨がふんと胸を張った。


「屁理屈や!」


 めぐが呆れた声を漏らしたのと同時に会議室の扉が開く。


「私は宝塚南高校の生徒さんたちの意見に賛成だな。制服で行くな、とは学校帰りに寄るべきではないと遠回しに言われているのだ」


 入室してきた女子生徒は、分厚いファイルを二冊ほど抱えていた。背中まで伸びた長い黒髪にはっきりとした眉毛。ほんの少し褐色な肌とグラマラスな体躯が南国の雰囲気を彼女に与えている。太陽の下が似合う活発な印象の容姿は、裏腹にお嬢様という言葉もしっくり来ると思った。


「たまにやねんから多めに見てぇや、眞莉愛まりあぁ」


「まったく……。君に懇願されると弱いのは、反省しなければいけない。同じ部活の好で聞かなかったことにしておいてあげる」


「かんにんやでー」


 神社でお願い事をするように両手をすり合わせる明梨を見て、眞莉愛はくつくつと上品な笑いをこぼした。絵に描いた様な微笑みだった。


「紹介するね。此花学園の二年学年リーダー、とみ眞莉愛ちゃん」


「いつから私は学年リーダーになったのかな?」


「実質的には学年リーダーやろ?」


 どうやら此花学園は、学年リーダーのような役職は設けられていないらしい。「次期部長に推薦したいと部長から言付かってはいるが」と眞莉愛は眉根をハの字に下げる。


「十分条件は満たされてるよ」


「君にそう言われるなら光栄だね」


 朗らかな声色をこぼして、眞莉愛は持っていたファイルを机に置いた。それからこちらに視線を向けて、丁寧なお意義を一つよこす。


「挨拶が遅れた。今しがた紹介に預かった富眞莉愛だ。パートはアルトサックス、学年は君たちと同じ二年生。今日は生徒会の仕事で待たせてしまってすまなかった」


 丁寧な眞莉愛の挨拶に、みなことめぐも姿勢よく挨拶を返した。明梨は隣で相変わらず姿勢が悪いままだ。


「眞莉愛はこのイベント楽しみにしてるんやで」


「宝塚南高校には素晴らしいサックス奏者がいるからね。セッション出来るのが楽しみなんだ」


「佳奈ですね」


「そう、去年の大会ではお互いに個人賞を取れなかったからね。きっと彼女も悔しい思いをしているのだろうと察するよ。陽葵くんへの嫉妬心で話題が弾むことだろう。初めての大会であそこまでの演奏を魅せられて私も感服したものさ」


 去年の大会でサックスの個人賞を受賞したのは陽葵だった。それは大会で唯一、一年生での受賞。佳奈が陽葵を意識しているのは、それが理由の大部分を占めている、はずだ。ううん、きっと。……いや、控えめに半分くらいと言っておいた方がいいかもしれない。


「珍しく悔しさを表に出してました」


「やはり、そうか。それと同級生なのだから敬語でなくてもいいぞ?」


「あ、ごめん」


 眞莉愛の口調のせいか、つい敬語になってしまった。「敬語になっちゃうのは分かるで、」と詩音が微笑を作る。「私も始めの頃はつい敬語になっちゃってたから」


「母の教育方針のせいで、このような話し方になってしまったんだ。両親は関西出身ではなく、家では標準語が飛び交っていた上に、中学まではインターナショナルスクールに通っていてね」


「眞莉愛の家は厳しかったんやんな」


「どうだろう、」


 明梨の言葉を飲み込むように、眞莉愛は喉元を揺らした。うーん、と少し考え込んでから言葉を紡ぎ始めた。


「高校は自分で選ばせてくれと頼んだんだ。もちろん進学に有利なことを前提条件に入れてだけどね。学業を怠らないという約束の元、部活動も自由に選ばせてくれた。やり方を押し付けるだけなら厳しいとも言えるが、私の考えも聞き入れてくれたんだ、優しく良い親であると思ってるよ」


「なにも悪い親だとは言ってへんやん」


「そうだったね、すまない」


「あたしの家が放任主義やから厳しく見えるってのもあるんかもな」


 革製の椅子を引き、眞莉愛はテーブルについた。細く綺麗な手を机の上で組み、こちらに面差しを向ける。


「さぁ私の人となりも話したところで本題に入ろうか。明梨くん、せっかくいるんなら書記を頼めるかな? 君の字は綺麗で見やすいんだ」


「しゃーないなぁ」


 まんざらでもない様子で、明梨は立ち上がり、壁に備え付けられたホワイトボードの前へ移動する。お嬢様は人を使うのがうまいらしい。まぁ、呼ばれてもいないのにいるのだから書記くらいはやらせてもバチは当たらないはずだ。


「まずはイベントの概要の確認から。すでにそちらにも通達されていると思うが、中之島にある中央公会堂で開催される音楽イベントへの出演だ。メインの大集会室で行われて、集客は約千人。我々の出番は、お昼休憩を挟んだあとのトップバッターで、ステージ時間は三十分となっている」


 特に資料などには目を通さずに眞莉愛はイベントの概要をすらすらと声に発した。どうやら暗記しているらしい。その眞莉愛の発言を明かりがホワイトボードに簡潔に書き記す。眞莉愛の言った通り、明梨の文字は達筆で綺麗だった。


「今日、宝塚南高校の二人に来てもらったのは、イベント当日の編成や曲順を決めたいと思ったからだ。具体的には、コンセプトから曲目、曲数、それに応じてソロの配役、さらには本番までの練習日程など。決めなくてはいけないことが山積みだ。二週間ほどしか時間がなく、ソロの配役以外は今日中に決めたいと思っている。まずはどれだけの練習時間を確保出来るかだね。そちらの都合はどうなっているかな?」


 めぐがスクールバックからスケジュール表を取り出し確認する。今まで月初に口頭で説明されていたひと月の予定は、今月からつぐみが表を作成し印刷したものを配ってくれていた。


「全体休みが一度だけあるけど、それ以外は合同練習に当てられるはず。もちろん、個人それぞれの都合が悪い日があるから全員が全員参加出来るわけではないと思うけど」


「うぬ。個人の事情ならば構わない。私だって生徒会の都合で参加時間が前後する時があるだろうからね」


「めぐちゃん、金曜は定例セッションなんちゃう?」


「予定が被りそうならイベントの練習を優先してくれていいって里帆先輩が言ってた。イベントの練習が入るなるなら、報告入れれば問題なし」


「お互い、休み明けには文化祭があり、秋には大会も控えている。次のイベントはもう間近に迫っているとはいえ、それだけに注力するのも難しいだろう。それでも、イベント直前の三日間とそれまでにもう三日、最低六日は合わせる練習をしておきたい」


「ステージ時間が三十分となるとそれくらいは練習時間必要やろな。お互いに音の癖とかも知っておきたいやろうし」


 此花学園側の休みも考慮した合計六日間の練習スケジュールが立てられた。もちろん必要とあらば、宝塚南単体でも練習しなくてはいけないし、追加でスケジュールが組まれることもあるだろう。本番までの時間は本当に限られている。


「練習場所はどうするん?」


 まっとうな疑念をぶつけたのはめぐだった。ふた学年だけとはいえ、さすがに二校の生徒が一同に集まるには大きな練習会場がいる。どちらかの体育館が使えればいいのだけれど、すでに夏休みのスケジュールは出ているため、運動部が使用している可能性が高い。それに外部のコンサートホールやライブハウスを借りるには相応のお金がかかる。


「練習場所に関しては、この二週の間、うちの講堂を仮押さえしてある」


「それは職権乱用やろ」


「明梨くんの指摘は妥当だが、残念なことに正式な手続きを踏まえている。乱用しているつもりはないよ」


 理路整然とした眞莉愛の言い訳に明梨は呆れた様子で肩を持ち上げる。「もとより夏休みともあって他に使用する部活やイベントがなかったからね」と明梨に言いながら、眞莉愛はめぐの方へ視線を移した。


「宝塚南側には、ここに通ってもらうことになるけれど、練習場所はうちの講堂ということでどうだろうか?」


「ううん、むしろありがたいわ」


「宝塚方面からだと、ここまでそれなりに時間が掛かるだろうからあまり早すぎる集合と遅すぎる解散は考えものだな。十時スタートで昼休憩を挟み十六時ごろ解散というのは、どうだろうか。午前はセクションごとに別れての練習、午後はセッションという具合だ」


「ええんちゃうかな? 前日には、マネージャーの子に分かってる出欠の連絡してもらうようにするわ」


「うむ、そうして貰えると助かる」


 練習の日取りが大方決まったところで、議題は選曲とソロの分担へと変わっていった。ホワイトボードに記された決まりごとを詩音がノートに書き起こし、それを見て明梨がボードを真っ白にしていく。


「ソロはオーディション……といきたいところだが、なにせ時間がない。曲も数曲やる予定ではあるから、曲が決まり次第、我々の話し合いである程度の配役は決め打ちするというのが良いかと思う」


「確かにオーディションが最適やけど仕方ないかな」


「では、曲を決めていくとしよう」


 眞莉愛のペースで円滑に会議が進んでいく。此花学園の生徒会もこんなふうに彼女中心で回っているのだろうか。時期的には三年生の生徒会長がいるはずだけど、彼女よりも有能な人材がいるとは思えなかった。同時に此花学園のジャズ研が彼女を時期部長に押しているのも納得した。


「選曲としてまず重視しなくてはいけないのは、短期間で仕上げられる曲であるかどうかだな」


「時間的には四、五曲って感じかな?」


「だね。MCも考えると五曲演奏するには多少のアレンジが必要になってくるかもしれない」


 眞莉愛の頷きにはとても威厳が込められている感じがした。大人びた風体も相まって、どうも同級生と話している感じがせず落ちつかない。その堂々たる態度に少々気圧されながら、みなこは問いかける。


「お客さんってどういう層の人が来るん?」


「みなこくん、いい視点だね。ジャズがメインのイベントではあるものの、地元の高校生を招待していたり、ジャズに明るくないお客さんがある程度いることが考えられる」


「なら、なるだけメジャーな曲にした方がええかな?」


「でも、あまりメジャーすぎると他の参加団体と曲が被る可能性もあるね。ちなみに他参加者の演奏曲はイベントのホームページに随時更新されているから見られるよ」


 眞莉愛が自身のスマートフォンで検索を掛ける。此花学園でスマートフォンは禁止ではないらしい。机から身を乗り出すようにして、その画面をこちらに差し出した。ホームページに記載された出演者と曲目を見て、「あー」とめぐが声をあげる。 


「結構、有名所いかれてるな」


「その辺りは早いものがちだからね。オファーのタイミングに大きな差はなかったけれど、我々の初動が遅くなるのはしかたのないことさ」


「一年生のレパートリーにあるスタンダードナンバーは限られてるし困ったな」


「とはいえ、絶対に被ってはいけないという決まりはない。なるべくというのが主催者側の意向で、お互いに被らないように気を使うのが参加者の思いやりだね」


 うーんそうよなぁ、とうなりながらめぐが小さな顎に手を添えて考え込み出した。一年生はジャズに触れてまだ半年。楽器経験者ばかりとはいえ、去年の自分のことを想像するとあまり難しい曲を短期間で仕上げることは難しく思えた。


「なら『ルパン三世のテーマ』とかどうかな?」


 ふと思いついたのは誰でも知っている有名曲だった。これならば、一年生だって曲自体は身体に馴染んでいるはずだ、と思った。めぐと眞莉愛がすぐに相槌を打った。


「確かにお客さんもみんな知ってるやろうな。そういうのが一曲あると盛り上がるかも」


「その曲ならば、アレンジもたくさんあるから、それぞれの楽器の見せ場も多いかもしれない。二校でソロパートを次々に回していくのも面白いかもね。うん、他の参加者に同じ曲を演奏する団体はいないみたいだ」


 みなこの案はあっさりと可決された。最初の練習の時に、アドリブ気味にアレンジも決めていくことも決まる。


「では、私からいいかな?」


 明梨がホワイトボードに曲名を書いている中、眞莉愛が頬を緩めながら手を上げた。肘を九十度に曲げる綺麗な挙手だ。


「去年の大会で披露した曲なんかどうだろうか? それぞれの二年生は練習時間を割愛できる」


「此花学園って何の曲してたっけ?」


 初めての大会で緊張していたこともあり、みなこは他高校の演奏の記憶は曖昧だった。ひと通りYou Tubeで閲覧したけれど、とっさに曲名までは出てこない。


「『Fly Me To The Moon』さ」


 淡々とした口調で眞莉愛が答える。めぐは覚えていたらしく、眞莉愛の返答に被さるタイミングでまた「うーん」と喉を鳴らした。


「『Fly Me To The Moon』やもんな。うちは『Rain Lilly』やったし、この二曲を一年生がこの期間で仕上げるのは難しいんちゃうかな?」


「確かにそれは否定できない意見だね。では、宝塚南の一年生は『Rain Lilly』を、此花学園の一年には『Fly Me To The Moon』をやってもらうというのはどうだろう? めぐくんの言う通り、この二曲をお客様に聴かせられるレベルにまで仕上げるのは至難の技だ。……もとよりこの二週間で一年生に新曲を四曲というのは荷が重いと思っている。これならば一年生の負担を減らせる上に、合同練習がない日でも上級生に教えを乞うことも出来るだろう」


「そういうことなら賛成や」


 こうしてトントン拍子で三曲が決まり、さらに意見を出し合って、最後の一曲は『明るい表通りで』に決まる。


「ところで、お二人は何か意見はないのかな?」


 先程から書記の仕事にばかり精を出す二人の方へ眞莉愛が視線を送った。参加予定ではなかった明梨はともかく、詩音を置き去りに会議を進めてしまったことを申し訳なく思う。眞莉愛の進行があまりにスムーズで、そういうところにまで気が回らなかった。


「あたしは書記やし、そもそもこの会議の参加者ちゃうし」


「眞莉愛ちゃんがうまく進めてくれるし」


 そんなふうに言葉を合わせた二人を見ながら、眞莉愛は肩をすくませた。


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