第3話 父からのプレゼント

 家に帰ると二階の父の部屋からギターの音が聞こえてきた。「まだ夕方なのに、今日は早いな」なんて思考が過るのと同時に、今日が土曜日だったことに気がつく。学校がなく部活だけだと曜日を忘れがちだ。


「みなこ、おかえりー」


 脱衣所から洗濯カゴを持って出てきた母がこちらを一瞥して微笑んだ。今朝は雨が降っていたから、珍しくこの時間に洗濯をしているらしい。「あー忙しい」と小言を漏らしながら、階段を慌ただしく駆け上がっていった。


 きちんと手洗いうがいをして、自室に向かうと、ムッとした空気が扉の向こうから押し寄せてきた。今朝、登校する前に窓を開けて置かなかったせいだ。換気が大切なことは分かるが、帰ってきて閉めるのが面倒で横着しがちだ。


 制服から部屋着に着替えて、ベッドに身体を鎮める。枕元にあるエアコンのリモコンを手繰り寄せ、冷房のスイッチを入れた。


 ひんやりとした風が足元を拭っていく。部屋が涼しくなるまで暫しの我慢。リビングに行けば涼めるのだろうけど、練習で疲れているせいでそれも面倒くさい。寝転んだまま、スマートフォンを操作して、忘れないうちにと明梨と詩音に明日の挨拶をしておく。


『こっちこそよろしくー』


 すぐに明梨から返信があった。ほぼ同時に、陽葵から憤慨した猫のスタンプを受信する。お気に入りのアニメの登場キャラクターらしい。間髪入れずに『チケット!!』と送って来る辺り、招待されないことにまだ納得がいっていないみたいだ。


『自分で応募せぇって』


『もうしたわ!』


『したんかい! 当たるとええな!』


 二人のやり取りが画面に流れていく中、みなこが始めに送った文の既読の数が増えていく。表示されている数は6。グループに加入しているのは、宝塚南組、此花学園の二人と陽葵。みなこを除くと七人だから、一人まだ見ていない計算になる。返信がない辺りを加味すると詩音だろうか。


 グルーブラインというのは面白く、それぞれの性格が顕になるとみなこは思っている。めぐや詩音は返信がマメだし、些細なことにもちゃんと反応してくれる。奏は文面からこちらの機微を察してくれるし、佳奈は陽葵に対しての文章がやけにきつかったり、七海や明梨は自分の興味のある話題だけしか返さなかったりする。


 陽葵と明梨の会話が流れていく中に混じって、めぐから『よろしく』とセリフ付きの可愛らしい女の子のスタンプが送られてきた。どうやら最近、推しているアイドルの子のイラストらしい。意外にも明梨が多趣味で、プールの時はその会話で盛り上がっていた。


「明日はゆっくり寝れそうやなぁ」


 明日は午前中から此花学園に出向き、イベントの打ち合わせをする手はずになっている。午前中のとはいえ、訪問するのは常識的な時間のため、ずっと続けている秘密の朝練よりも早く起きる必要はなく、久し振りに遅い時間まで眠れそうだ。


 ようやく部屋が涼しくなってきて、みなこは汗ばんだ肌に張り付いてくるタオルケットを振り払うように身体を横に向けた。部屋に充満した冷たい空気が、背中に溜まった熱気をさらっていく。未だに繰り広げられる陽葵と明里のやり取りを閉じて、繰り返しを毎日にセットしているアラームのアプリの設定をオフにしておく。此花学園には、十時。めぐとは九時に川西能勢口のホームで集合予定だ。


 倒した身体をひんやりとしたシーツに沈めながら身体を伸ばしていると、コンコンと扉がノックされた。なんとなくその音で誰か分かるのは家族だからだろう。


「今、いいか?」


「うん。大丈夫」


 扉の向こうの父に返事をして身体を起こす。はだけたシャツの裾を正して、みなこはベッドの縁に座った。


「なに?」


 父は一日中家にいたのか、寝間着姿だった。普段から仕事を頑張ってくれているし、たまの休みくらい家でゆっくりしていても文句を言うつもりはない。


「ギター、随分上手くなったな」


「うーん。それなりかな?」


 エアコンの冷気が逃げていることに気がついたのか、父はそっと扉を閉めた。中に入ることを遠慮しているのか、入り口のそばで立ったままだ。


「母さんから聞いたで」


「聞いた? 何を?」


 父は少し人見知りの嫌いがある、とみなこは思っているが、それは家の中、特にみなこに対してだけかもしれない。娘との距離感の保ち方が容易でないことは一般的な問題として推測出来るし、現状の振る舞いは父が持っている本質的な優しさのせいだから。みなこ自身は父を嫌ったことはないつもりだし、そうなる予定も今のところないから気なんて使わなくてもいいのだけど。


「ギターが欲しいって」


「ギター……? あー……、」


 思い出したのは去年の大会前に交わした母との会話だった。結婚記念日の日に機嫌が良かった母が父に進言してくれていたらしい。


「予定が空いてるなら明日でも買いに行こか?」


「ごめん、明日はイベントの打ち合わせがあって。午後からは練習や」


「そうか。それは仕方ないな」


「本当に買ってくれるん?」


「もちろん。いくらのギターでも構わないよ」


 いくらでもいいと言われると尻込みしてしまうのがみなこだ。あまり高すぎるものは強請りたくない。けれど、せっかく父がプレゼントしてくれるものだから、一生使えるものにしたいとも思った。


 だって、みなこがギターを始めたのは父の影響だ。中学の時、七海にバンドを誘われて真っ先に浮かんだのはギターを弾く父の姿だったから。


「ありがとう。欲しいモデル考えとく」


「うん。お盆にお婆ちゃんの家に行った時にでも見に行こう。少し遅くなったけど、誕生日プレゼントやな」


 思えば、今年の誕生日プレゼントは何も貰っていなかった。高校生にもなって強請るのもどうかと思っていたが、思わぬサプライズにみなこの胸はうるさいくらいにはしゃいでいた。


 

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