エピローグ

エピローグ

 焦げた炭の香りが蒸し暑い空気に乗って深い藍色の空へと消えていく。喉奥へ流し込んだスパークリングのスポーツドリンクが、ジメッと身体にまとわりつく熱気をわずかに拭ってくれた。


「珍しいもの飲んでますね?」


「向こうの自販機で売ってた。つぐみちゃんも一口いる?」


「頂くっす!」


 白い紙皿の上には、すっかり焦げた半円状のとうもろこしが乗っていた。肉の油と混じった茶色いタレの中に黒と灰色の炭が浮かんでいる。


「おぉ、シュワシュワ感が夏の暑さに合いますね!」


「結構美味しいでしょ?」


 愉快な笑い声とざわめき。毎年の恒例となったバーベキューと花火、今年はライブの打ち上げも兼ねており、いつも以上の盛り上がりと熱気を見せていた。


「みなこ先輩は食べないんですか?」


「食べてるよ? でも、あんまり食べると体重がねぇ」


「そういう心配ごとは、今は忘れるべきっす」


 冗談交じりに眉間に皺を寄せて、つぐみはとうもろこしにかじりついた。痛々しい傷口のような歯型が黄色い肉をえぐっていく。  


「多少は気にしておかないと。あとから取り戻そうとしても大変やし」


「それはそうですね。うーん。私も気にした方が良いでしょうか」


「食い意地はらなければ大丈夫じゃない? 七海みたいに」


「七海先輩はお肉ばっかり食べてますからねぇ」


 少し離れたところにあるバーベキューコンロで、七海は必死にお肉を焼いている。別に見張っていなくとも誰も横取りしたりしないのに。その様子をみちるが微笑ましそうに見つめていた。


 去年は面倒をみる側だったから、今年は気兼ねなく楽しんでいるのかもしれない。その一方で、里帆と大樹はとても良く周りに気を使っている印象があった。来年は自分もそちら側に行くことになる。


「みなこ先輩」


「なに?」


 少し離れた賑やかなざわめきから視線を戻せば、つぐみが真面目な顔つきでこちらを見つめていた。真っ黒な瞳に遠い灯りがちらちらときらめいている。


「お話があります」


 視線を正しながらも、つぐみはわずかに視線をそらす。言いづらそうにしている仕草に、「いいよ。なんでも言って」とみなこは優しく声を掛けた。


「まずは、……いいえ、どうしてもみなこ先輩に一番に伝えなくちゃと思って」


「私に?」


 一筋の汗が背中を撫でて熱をさらっていく。つぐみが醸し出す重たい空気を吸い込むのが辛くて、みなこは小刻みな呼吸を繰り返した。


「自分にギターは向いてなかったと思うっす」


「どういうこと?」


「自分には才能がないのだと思いました」


「でも始めてまだ数ヶ月やん」


「そうですけど。上達している手応えが全然なくて」


 確かにつぐみの上達のスピードはあまり早い方ではない。入学してから三ヶ月も経てば、コードを抑えてストロークを弾くくらいにはなっていてもおかしくはないはず。だけど、つぐみは未だに、左手でコードを変える作業に苦労している。右手のストロークも4ビートを刻むのでいっぱいいっぱいだ。


「私がすぐに出来るようになるよって言ったから?」


「いいえ、そういうんじゃないです。ただ、みんなが上手くなっていってるのに、自分だけ何も出来ていないみたいで。大会を目指して頑張っている中で、取り残されている感じといいますか」


 猛烈な反省が脳内を駆け巡る。そいつらが心に引き連れて来たのは後悔だ。もっと教えてあげられたんじゃないだろうか。もっと上手く接することが出来たんじゃないだろうか。目の前の後輩に出来たであろうことを想像して、歯がゆさで手に持った冷たい缶が震えた。


「もちろん、ギターは続けます! いつか弾けるようになりたいですし、みなこ先輩ともセッション出来るようになりたいので。けど、それは趣味の範囲を越えない程度の努力です。これから同じだけ続けていても、みんなみたいになれると思えないので。部活動ではもう……」


「諦めちゃだめやって!」


「諦めるわけじゃないです」


 落ち着き払ったつぐみの言葉に、みなこは思わず口ごもる。気がつくと感情的になっていた自分に驚いて、思わず俯瞰視する自分に笑えた。冷静になるための手段としては悪いものではない。


「ただ、他にやりたいことが出来たっす」


「やりたいこと?」


 目を輝かせる後輩はバーベキューを楽しむざわめきを見つめる。もしかするとジャズ研以外に入りたい部活でも見つけたのかもしれない。楽しいと感じられるところにいけるのなら、自分がつぐみを止める権利はないと思った。


「マネージャーになるっす」


「ま、マネージャー?」


「みんなの力になりたいんす!」


 つぐみから飛び出した意外な提案に、思わずみなこは目を丸くする。それを見て少し嬉しそうにつぐみは言葉を続けた。


「この数ヶ月、みなこ先輩は色々動いていたじゃないっすか。すみれのことや笠原先輩のことで」


「見てたん?」


「聞いたのもあるっすけど。今年のことだけじゃなくて、去年のことだとか」


「うっ……」


「自分はそういうみなこ先輩みたいになりたいです。裏で動いてるみなこ先輩は指揮者みたいでかっこよかったです」


「それじゃ私が黒幕みたいやんか」


「いや、そういうつもりじゃなくて……! ジャズ研のチューナーと言いますか」


 少々、不本意なところもあるけど、つぐみの言おうとするところは理解できた。いわばバランサーとして動き回っていたことは否定できない。それを指揮者と例えるのは少し面白い発想だと思った。


 指揮者は、中心に立って全員の音を聞いて舵を取らなくちゃいけない。繊細で細やかで、そしてより多くの情報を把握しながら。


「来年はみなこ先輩やめぐ先輩たちが中心になると思うんですけど、その時に自分は精神的な側面の補助をしていたいんです。後輩や先輩たちの間に入って、揉め事や亀裂が入らないように。それに音楽理論やジャズの歴史に関しては、この三ヶ月でたくさん勉強して来ました。そっちに関しては他のみんなに負けないくらいのものを持っていると思います」


 確かに実技がからっきしだめなだけで、つぐみは理論や歴史を覚えるのは得意だった。そもそも学校の成績は良い方らしい。


「部長には、里帆先輩には相談したん?」


「もちろんっす。里帆先輩に許可はもらってます。それに横山さんにも相談して……!」


 彼女が考えて出した結論なら否定するべきじゃない。それにジャズ研から離れるわけでも、ギターを完全に辞めるわけでもない。ただ自分の在るべき場所の話をしているだけなのだ。


「分かった。けど、ちゃんとギターの練習は続けてな。私もつぐみちゃんと一緒に演奏したいから」


「はい!」


 もしかすると、つぐみは指揮者にぴったりなのかもしれない。自分らしさを見つけたつぐみの中でそっと流れはじめた音楽に、みなこは耳を欹てた。



『ブルーノート 第五楽章 自分らしさのない音楽会』 了


 第六楽章に続く。


連載再開は2022年2月頃を予定しています。

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