第8話 プレゼント

 ホテルのロビーに着いたところで桃菜と別れた。部屋に飲み物がなかったので、自販機で水を買っておこうと思ったのだ。このホテルは各階に自販機はなく、一回のロビーに三台集中して設置されている。


 エレベーターに乗り込む桃菜に軽く礼をすれば、表情を変えぬまま彼女はこくりと小さく頷いた。


 シックな色合いのパーテンションの奥にぼんやりと自販機の明かりが浮かんでいる。去年はここで盗み聞きをしてしまったことを思い出しながら、みなこはジャージのポケットに入れていた財布を取り出し、角を曲がった。


「おっ、戻ってきたか」


 自販機の前に並んだソファーに深く腰掛けていた航平が、みなこの姿を見て、ぐっと身体を持ち上げた。細長いガラスのローテーブルの上に置かれた缶ジュースはやけに汗をかいていて、すっかりテーブルの上に水たまりが出来ていた。それなりの時間、彼はここにいたらしい。


「どうしたん?」


「なんか出ていったって井垣に聞いたから」


「わざわざ待ってたん?」


「一応、ラインしたけど、返事なかったからさ」


 慌てて通知を確認すれば、確かに航平からメッセージが入っていた。


『プレゼント渡したいんやけど? どこ?』


 送られたメッセージと目の前の航平を交互にみやる。少し照れくさそうにしている辺り、プレゼントはいま手元にあるらしい。


「今?」


「誕生日当日は、テスト期間で部活休みやったやんか。合宿明けたら日にち経ち過ぎてるかなって」


「それはそうやけど」


 少し奇をてらいながら、航平はソファーと自身の間に埋もれていたプレゼントを取り出す。「おめでとう」と祝福の言葉を口にしながら、ピンクの包装紙に包まれた小包をこちらに差し出した。


「開けていい?」


「うん」


 包装をとけば、メッセージカードと共に黄緑色のハンカチが入っていた。蔦の刺繍が入った可愛らしいデザインを、みなこはひと目で気に入った。手に取れば、絹の肌触りがなめらかにみなこの手を撫でた。


「センスいいじゃん」


「あんがと」


 高すぎず安すぎもしないプレゼントは、二人の関係の距離感を示し合うのに丁度いい。心地の良い距離感を保つために、プレゼントを贈り合うなんて変な話だけど。『HAPPY BIRTHIDAY』とカラフルな文字で書かれたカードを眺めながら、少しごきげんになったせいで、「ふふん」と喉が鳴る。


「喜んでもらえた?」


「うん! ちゃんと使うな」


 丁寧に折りたたみ、ハンカチを箱にしまう。明日から使いたいけれど、ここじゃ洗濯が出来ないから帰るまで我慢だ。


「あ、そうや、忘れてた。飲み物、飲み物」


 ここに立ち寄った本懐を思い出し、みなこはプレゼントを机の上に置いて、自販機の前に立つ。財布から小銭を取り出そうとしたところで、航平が投入口に五百円玉を入れた。


「好きなん選び」


「いや、さすがに」


「誕生日のおまけや。それに、みなこ、笠原先輩に会ってたんやろ?」


「そうやけど」


「これはそれの労いも兼ねてってことで」


 そう言われては断るわけにもいかず、みなこは天然水のボタンを押した。自販機の中で一番安い商品だ。


「水でええの?」


「もう寝るしね」


「そっか」


 がたん、と音を立ててペットボトルが落ちてくる。屈んで取り出し口に手を入れれば、ひんやりとした空気が指先を刺激した。静かな気配が丸めた背中を飲み込むように迫る。ふいに怖くなって振り返れば、航平は遠い目をして窓の外の景色を見つめていた。


「もう来年は俺らが中心か」


 三年生たちの引退まで四ヶ月を切っている。同時に、それは自分たちにとっては二回目の、三年生にとっては最後の大会が迫って来ていることを示していた。


 区切りはいつだって、じっとその場で動かないままだ。こちらが一歩一歩、近づいていくだけ。立ち止まることも許されず、引き返すことも許されず。終わりはいつだって、歩いていく道の先にぽつりと佇んでいる。


「織辺先輩や里帆先輩みたいにまとめられるかな……?」


「伊藤はうまいことやりそうやけど。みなこは気負わずサポートに徹すればええんちゃう?」


「でも、めぐちゃんに頼ってばっかになりそう」


「それでええと思うけどな。伊藤はそういうの向いてそうやん。それに、俺らだって部長と副部長を支えるよ。そういう気持ちは、他のみんなもあると思うし」


 人は無理に変わる必要はない。その人にしか奏でられない音があるのだから、らしさを突き詰めることだってまた音楽なんじゃないだろうか。だから、それぞれが自分の音を探せるような部活にしていきたい。そう思うのは、苦しんでいる桃菜や杏奈を見てきたからだろうか。


 それでも部を一つにすることは大切で、らしさを突き詰めることとの共存は、部長と副部長の手腕にかかっていると言っていいはずだ。上級生から任された信頼と将来の自分たちへのプレッシャーを強く感じながら、みなこは小さな決意を心に刻んだ。


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