第7話 カメラ

「ビデオで撮影ですか?」


「そう。使い方、分かる?」


 去年と同様、今年もビックバンドに入れなかった一年生には、カメラ撮影の役割を担って貰うことになった。ジャズ研が所有している白色のビデオカメラを、すみれとつぐみに渡せば、二人は仲良く揃ってコクリと首を右に傾けた。


「まぁ使ったことないよね」


「このボタンを押せばいんですか?」


「その前にここを……」


「それはねぇー、えーっと、ここをこうして!」


 みなこが使い方を指導しようとしたところ、近くにいた佳乃が代わりに説明を始めた。彼女はサッカー部のマネージャー時代に経験があるのかもしれない。


「赤いランプが灯ったら、撮影開始されてるから」


「おぉ、なるほど!」


 つぐみの持つカメラがこちらを向く。カメラが回っているのにも関わらず、特別なリアクションを取らないみなこに、「何かしてくださいよ!」とつぐみは頬を膨れさせた。


「何かって?」


「かくし芸とかっす!」


「そんなの持ってへんから」


「そうですか……」


 何を期待したのか、つぐみは残念そうに肩を落とした。帽子から鳩でも出せばよかったのだろうか。帽子なんて今は被っていないけど。


 それから気を取り直したように顔を上げて、今度は入室して来た竜二にカメラを向けた。


「井上くんも私がかっこよく撮って上げるっす」


「あ、うん。よろしく」


「釣れないっすねぇ」


 そそくさと小スタジオへと抜けていく竜二の背中を、つぐみは寂しそうに見つめた。けど、細くなった目には、その態度を咎めるようなニュアンスは込められていない。どこか達観して、幼子を見つめるお姉さんのような雰囲気を感じた。


「ありがとうね、佳乃ちゃん」


「いいえ、ちょっと知っていたので、ひけらかしたくなっただけです」


「佳乃ちゃんはええ子やなぁ」


「みなこ先輩! 佳乃だけ褒めるのはずるいっす!」


 先程とは打って変わって、子どものような声色で、つぐみがみなこと佳乃の間に割って入ってきた。やれやれ、と声に出しながら、佳乃はつぐみの輪になった三編みの辺りを撫でる。


「佳乃にして欲しいんじゃないんやけどなぁ」


「いいでしょー、私でも」


 後輩が和気藹々としているのを見るとホッとする。先輩らしくなってきたのでは! と身体に纏わりつく自信を鼻から荒く吸い込めば、ほんのりとした埃っぽさに思わず咽てしまいそうになった。


 つぐみの頭を撫でたまま、佳乃は視線をみなこの背後へと向けた。


「すみれちゃんは、使い方大丈夫?」


「うん、使い方は分かったけど、」


 言葉を詰まらせながら、すみれは不服そうに眉根を下げた。きっと、カメラマンをやるという雑務に腹を立てているのではなく、ビッグバンドに選ばれなかった自身の実力に怒っているのだろうと思った。


 すみれは一年生の中でも、特にストイックな部分がある。その適応範囲が他人にも被ってしまっているところが玉に瑕なのだろうけど。


「ちなみにね」


 つぐみの持っていたカメラを手に取り、みなこはレンズをすみれの方へ向けた。液晶モニターにこちらを見つめる視線のずれたすみれの顔が映る。


「去年の動画は、私とめぐちゃんと航平が撮影したんやで」


「そうだったんすか! あ、そういえば、一昨日観た動画には、みなこ先輩はいなかったですもんね」


 みなこの肩がぐっと重くなって、つぐみが二の腕の辺りから顔を覗かせた。拍子にカメラの録画ボタンが作動して、液晶モニターの端に「Rec」のマークが灯る。


 ちなみに、舞台の雰囲気を知ってもらおうと、去年の本番の映像を一年生には見せていた。みなこが撮影したスマートフォンの映像は、手ブレがあるので少々恥ずかしかったけど。


「航平は楽器初心者だったのもあるけど、私やめぐちゃんもジャズは初めてやったから、ビックバンドには入れんくて。やから、はじめは仕方ないって思っててんけど、ステージで演奏をするみんなの姿を見てると、早く自分もこのステージに立ちたいって思えた」


「悔しかったんですか?」


 すみれと液晶越しに視線が合う。彼女が意図してレンズを見つめているらしい。ブロンズカラーの細身のフレームが蛍光灯に煌めく。


「たぶん」



 とつとつとしたみなこの言葉に、すみれが息を飲んだのが分かった。自分の呼吸に合わせてカメラが震えているのが分かる。けど、手ブレ補正のおかげで液晶のすみれが揺れることはない。


「その悔しさがモチベーションになった。あのステージに私も立ちたいって思えた。でも、歯がゆさや嫉妬みたいなものだけじゃなくてね。憧れや期待やワクワクだってあった。それは。めぐちゃんも一緒やったんやと思う」


「めぐ先輩は、ジャズの経験者じゃなかったんですね……」


「すみれちゃんと一緒。クラシックしかやってなかったらしい。やから、去年の今頃はすごく苦労してた」


 すみれが少し困惑しているのが分かって、みなこは咄嗟に、視線を液晶モニターからすみれの方へ向ける。うつむき加減の視線はまだカメラのレンズをじっと見つめていた。


 めぐからそういう話しは聞かされていないんだろうと思った。すみれは恐らく部員の中でめぐを一番に尊敬している。接している時間は、まだほんの僅かだけど、すみれの挙動からそのことはよく伝わってきていた。


「そういうことをすみれちゃんに話してないのは、めぐちゃんが良い先輩であろうとしているからやと思う」


 みなこに視線を向けられていることに気づき、すみれは目線を上げる。僅かにずれていたメガネを持ち上げて、首を横に振った。


「分かってます。選ばれなくて、自暴自棄になっていたのかもしれません」


「そこまで?」


「……ちょっと言い過ぎました。拗ねていたくらいかもしれません」


 柔らかくなった頬の筋肉が不器用な表情を繕う。彼女の筋肉をまだ強張らせているものが何なのか、みなこには分からず、その頬に触れることは出来なかった。


 録画が持続していたことに気づいて、みなこは停止のボタンを押した。それと同時にすみれの手がカメラに重なる。


「みなこ先輩たちを格好良く撮ってみせます」


「ふふ、期待してるで」


 思わず出た先輩らしくも自分らしくない言葉に、思わず自嘲しそうになる。誰らしいのだろうと親しい人を探れば、浮かんだのはみちるの顔だった。自分はみちるのような包容力のある優しい笑顔を作れているのだろうか。すみれがこちらに向けたカメラはもう撮影モードにはなっていない。


「すみれがそのカメラ使うなら、私は何で撮影すれば良いんすか?」


「カメラは一台しか無いから、つぐみちゃんはスマホを使って」


「了解っす! 私のスマホ、最新型なんで画質めっちゃ良いですよ!」


 ほら、とつぐみがブレザーのポケットから取り出したのは、春先に出たばかりの最新機種のスマートフォンだった。カメラのレンズが三つ付いていて、高精度の映像を撮れるようになっている、と説明された。


「それじゃ二人ともよろしくね」


「任せて下さい!」


 とん、と胸に拳を突き立てて、つぐみは白い歯を覗かせる。その隣で、すみれも恥ずかしそうに同じポーズを取った。 

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