第5話 新入部員

 正式な入部日となったこの日、ジャズ研の大スタジオには新入生が並んでいた。里帆の言う通り、体験入部には十人ほどの生徒が訪れてくれていたが、その中からジャズ研を選んでくれたのは、五人だけだった。


 ジャズ研を選んでくれた感謝を込めてか、里帆が深々と頭を下げて、「こんにちは」と挨拶した。


 凛とした部長の態度に当てられたのか、感化されたのか、一年生たちも「こんにちは」とハキハキとした声を出して頭を下げた。まるで軍隊のようだな、とみなこは苦笑する。けれど、ひと月もしない内にこのメッキは剥がれてしまうことになるはずだ。親しみやすく、フレンドリーな空気がジャズ研の良いところだから。


 思えば、去年の副部長であるみちるは、そういう空気作りに長けていた。知子がカリスマ性を持っているとすれば、みちるは部内を朗らかにするマスコット的な存在だった気がする。


「今日からみなさんは、宝塚南高校のジャズ研究会の正式なメンバーということになります。まずは、入部してくださりありがとうございます。体験入部の時には挨拶しているので知っている方もいると思いますが、私はジャズ研の部長を努めています沖田里帆です。担当の楽器はサックスですが、役職柄それ以外のセクションの部員とも関わることが多いと思います。えーっと、今年のジャズ研は、秋の全国大会で最優秀賞を勝ち取ることが最大の目標です。それまでにもいくつかイベントがあり、そこで力を磨きつつ、全員で秋の大会を笑顔で終えられたら最高だと考えています。一年生から三年生まで仲良く楽しく、より多くの人へ、この宝塚南の音楽を届けられたらと考えています。よろしくお願いします」


 里帆の挨拶に新入生を含めた部員全員が拍手をする。物怖じせずに人前でもすらすらと言葉を出せるところが、彼女をリーダー足らしめているような気がした。少なくとも、みなこは人前でここまで堂々と挨拶できる自信はない。


「はい、それじゃ副部長、どうぞ」


 里帆に促されて、滞りなく副部長の挨拶へと移っていく。


「新入生の皆さんこんにちは、」


 新入生の元気な挨拶に、大樹は満足そうに口端を緩めた。


「副部長をしています伊坂大樹です。入部初日でみんな少し硬くなっているみたいですけど、力を抜いて。そんなに堅苦しい部活じゃないですから。えー、部長が言っていましたけど、今年の宝塚南の目標は、JSJFでの最優秀賞です。そのためには一年生から三年生まで心を一つに、音楽を奏でなければいけないと思っています。僕は副部長ですが、男子ということで、女子の皆さんは少々話しづらいこともあると思います。そんな時はセクションの先輩を頼ってください。二年生もしっかりした子が多いので困ったことがあれば、ちゃんと相談に乗ってくれるはずです。ジャズは楽しんでこそ、この部活を選んだことが正解だったと思えるように我々も頑張っていきますので、どうぞよろしくお願いします」


 三年生の引退から半年も副部長をしている成長分だろうか。大樹の挨拶も大変しっかりしたものだった。就任したての頃は、おどおどとしていたところがあったのに。もしかすると、里帆から色々と言われているのかもしれない。


 横で大樹の挨拶を見つめる里帆の目が、どことなく親のような色合いをしていて、少しだけほっこりとした気持ちになる。それを二人に告げれば、怒られてしまうだろうけど。


 そのまま大樹は、部活の基本方針が説明された。練習参加が自由な点や定例のセッションやミーティングに日程、さらに今後予定されているイベントや大会の説明などなど。


 大樹の話を素直に聞き入る新入生たちを見て、みなこはいつかの自分もこんな初々しい姿だったのだろうかと回顧を巡らせた。


「ほんなら、希望楽器器を聞いていく?」


 大樹の提案に里帆がコクリと頷く。体験入部を踏まえているため、すぐに希望楽器を聞いていってもいいのだけど。この辺りは去年の流れを踏襲して、各楽器の上級生が楽器とセクションに在籍する部員を紹介する流れとなった。


 トランペット、サックス、トローンボーンと順に挨拶と説明が行われた。次にギターセクションの番となったのだが、挨拶をするはずの大樹は前に出ずに、どうしてか、こちらに手招きをしている。彼の意図が分からずに、みなこが首を傾げれば、「俺は挨拶したから、清瀬が代わりに説明して」と言葉尻優しく、思いもしないことを発した。


「わ、私ですか?」


 事前に任命されていなかったみなこはひどく慌てたが、里帆から「次期副部長やねんから堂々と」と声を掛けられて、もしかすると、来年、副部長として挨拶をしなければいけない予行練習として、この場が用意されているのかもしれない。そう踏ん切りをつけて、一歩前へ踏み込む。


「こんにちは、ギターを担当しています二年生の清瀬みなこです。このセクションには、副部長である伊坂大樹先輩も在籍しています。ギターの説明は詳しくしなくとも、テレビやライブなどで見たことのあるポピュラーな楽器だと思います。ただ、イメージと少し異なる点としては、激しいギターソロを奏でるロックやJ-POPとは違い、ジャズではリズムを担当していることがほとんどです。それでもギターのソロやちゃんと目立つ曲もあり、やりがいのあるセクションだと思います」


 みなこの挨拶に拍手が起こる。恥ずかしさを隠す笑みを浮かべながら、みんなの並ぶ列に戻った。


 滞りなく、ピアノとドラム、ベースも挨拶と説明を終えて、「それじゃ一年生に希望楽器聞いていこうか」と里帆が手を叩く。


「端の子から名前と希望楽器を教えて。前の子とかぶっても全然大丈夫やから、まずは気になってる楽器を答えてください」


 里帆の小さな手が新入生の並ぶ列の端を指し示す。そこに立っていたつぐみが、「はい!」と背筋をシャキリと伸ばして返事をした。


「小幡つぐみって言います! 新歓ライブの演奏に感銘を受けて、入部を希望しました!やりたい楽器はギターっす!」


 ハキハキとしたつぐみの話し方に、部員たちは好印象を受けたらしく、統一感のある拍手がつぐみに送られた。


「それとYou Tubeの動画も見たっす!」


「去年の大会のやつ?」


 里帆の問いかけに、元気よくつぐみが首を横に振る。サイドで弧を描く三編みはしっかり固定されていて、ビクリともしない。


「いいえ、クリスマスライブでしたっけ? 宝塚南高校ジャズ研究会のチャンネルに上がっていた、谷川先輩がノラ・ジョーンズを歌っていたやつっす!」


 それを聞いて、奏が恥ずかしそうに顔を伏せた。彼女は未だにあの動画を観ていないらしい。七海が何度か、「めっちゃ上手かったで」と無理やり見せようとしていたけど。


 先輩部員らにしつこいくらい会釈をしながら、つぐみは「では、次の方、どうぞっす」と隣に立つ高身長ですらっとしたメガネを掛けた女子生徒を促した。


 つぐみに変わって前に出たのは、黒髪清楚という言葉がよく似合う見た目の子だった。纏われた上品さは、着こなす制服が自分と同じものか疑う程度には十分であり、細くも肉付きの良い足が、彼女の見た目を実年齢以上のものへと押し上げていた。


「一年二組の雨宮あまみやすみれです。小学生の時からピアノ教室に通っていました。受験勉強をきっかけにピアノ教室は辞めてしまったのですが、高校生になってもう一度、ピアノをやりたく思いまして。全国大会を目指すジャズ研の目標に惹かれました。これまではクラシックをやっていたので、ジャズをやることで自分の幅を広げられるのではないかと思い入部を希望しました」


 凛々しさを持った言霊が部室に響く。腹式呼吸が養われた良い発声だ。きっと、金管楽器を吹けば、見事な腕前になるだろう、と思う一方、彼女の希望する楽器がピアノであることが少し残念だった。


 すみれが下がったのを見て、次に前へと出たのは、おしとやかな雰囲気を持った少しくせっ毛のセミロングの女子だった。


東妻あずま佳乃よしのと言います。小学生の時は、地元のブラスバンド部に所属していて、トロンボーンの経験があります。でも、中学生の時は、サッカー部のマネージャーをしていたので、そのブランクがありますけど……」


「ジャズ研は経験者も初心者も歓迎! ブランクあってもすぐに取り戻せるよ」


 美帆が明るい声と目配せを送る。瓜二つの里帆と美帆だが、リーダーシップが備わっている里帆に比べ、妹の美帆には人の懐へ入っていく力があった。彼女がいかに人たらしな人間であるかは、トランペットセクションである航平からよく聞かされていた。


 佳乃が「頑張ります!」と笑みを浮かべる。


「ほんなら希望楽器はトロンボーン?」


 問いかけたのは杏奈だった。伸びた髪を少し鬱陶しそうに首元から剥がして、彼女は小首を傾げる。


「はい、希望楽器はトロンボーンです」


 先輩に対して物怖じせずに受け答えしているところを見るに、しっかりとした子なのだろう、とみなこは思った。ハッキリとした返事が出来ているのは、決して気が強いわけではなく、彼女自身が本質的に持っている物腰の柔らかさだろうとも思った。


 中学時代は、サッカー部のマネージャーをしていたらしいから、上級生との接し方に慣れているのかもしれない。その対応が、同性でなく異性の先輩に対して養われたものならば、この柔らかさも納得がいく。


 佳乃は挨拶を終えると、軽く頭を下げて、「どうぞ」と隣の女子生徒へバトンを渡す。その視線が、一瞬だけこちらを見遣った気がした。


 視線の方向は気のせいだろうか。わざわざ自分の方に佳乃が視線を向ける意味も分からず、特に反応を示さないでいると、どことなく佳乃の表情が和らいだように見えて、みなこの脳内にさらに疑問符が浮かんだ。


 佳乃についで挨拶を行ったのは、以前、みなこが忘れ物を取りに戻った際に、ジャズ研を訪れてくれた愛華だった。


「灰野愛華です。希望楽器はサックスです。中学時代は吹奏楽部に所属していました。よろしくお願いします」


 簡素な挨拶にも、部員たちからは拍手が送られた。すぐに挨拶を締めようとした愛華に、杏奈が助け舟とばかりに質問を送る。


「中学時代の吹部はどうやったん? 大会の成績とか雰囲気とか」


「大会は地区大会で銅賞止まりでした。あまり上を目指してって感じではなかったので。練習に力も入っていない状況で、いい雰囲気だったとは言えませんね」


「そっか。灰野ちゃんは練習好きやったん?」


「私はちゃんと練習していました」


 愛華の目尻が鋭さを持った。その反抗心は杏奈に向けられたものというには、あまりに過去の方角を向いている気がして怖さはない。先輩である杏奈は、臆することはなく、「そっか、偉いなぁ」と朗らかな声で応じた。


 最後に挨拶をしたのは、宝塚南ジャズ研究会の七不思議の一つである、毎年一人ずつしか入ってこない男子生徒だった。校内の男女比も女子が多勢であるものの、ここまで歴然とした差があるわけではない。それなのにどういうわけか、ジャズ研は女子が圧倒的多数を占めるのである。


 知子と大樹が話していた、女子が多い部活に男子が入りづらさを感じているのかもしれない、という見立てが定説になりつつある。


井上いのうえ竜二りゅうじです。小学生の頃はブラスバンド部でトランペットをしていました」 


 竜二の背丈は男子にしては高くなく、すらっと背の高い奏とさほど変わらない。ちょうど、去年の三年生で美帆の彼氏である中村健太と同じ程度で、170cmないくらいだろうか。体躯も細く、ガリガリとまではいかないまでも非力な印象を受けた。


 目鼻立ちはしっかりしているのだが、その眼光に強い輝きはなく、声は弱々しく、まるで怯える子犬のような印象を受けた。可愛さを伴っているので、過保護な女子からは人気が出そうだとも思った。


「中学時代は吹奏楽部?」


 質問役は、すっかり杏奈が担っている。先輩後輩に別け隔てなく踏み込んでいける彼女に適した役割だ。


「いいえ。中学は帰宅部でした」


「そうなんや。なら、どうして高校ではジャズ研に?」


「……えっと、ずっと帰宅部も退屈やな、と思って」


「まぁ帰って寝るだけってのも暇やもんな」


「そうですね」と愛想を笑い浮かべる竜二に、杏奈は満面の笑みを返した。先輩が後輩に向ける優しい営業スマイルだ。優しさだけでコーティングされた微笑みの奥には、後輩に敵対心を与えないための吸収剤がたんまりと詰め込まれている。


「被りはなしか」


 一年生の話を聞きながら、ノートにメモを取っていた大樹が、記入した内容を里帆に見せた。


「うん。うまいこと分かれた」


「やろ? 特に希望をいじる必要はなしかな」


 そうやな、と一つ息を吐き、里帆は一年生を睥睨する。優しい形に垂れた眉が、彼女の体温以上の温もりを持っていた。


「特に人数の問題なども起きていないので、一年生の皆さんには、希望通りの楽器のセクションに入ってもらうことになります。ちなみに、この中でマイ楽器を持っている人は?」


 里帆の問いに、愛華とすみれが手を上げた。とはいえ、すみれはピアノなので学校に持ってくるわけにはいかないのだけど。おそらく、里帆の質問の意図をあまり上手く汲み取れなかったらしい。


「えーっと、雨宮ちゃんは、ピアノやから大丈夫やな。灰野ちゃんは、マイ楽器があるならそれを使用する? 楽器室のをレンタルも出来るけど?」


「いいえ、自分のを使います」


「オッケ、そんなら、トランペットとトロンボーンとギターが楽器室からの貸し出しやな。それじゃ、このあとは、それぞれのセクションで分かれて、さっそく練習スタートです。練習の前に、機材の使用の説明などを、上級生の皆さんはお願いします。それから、楽器の貸し出しの子は、まずその説明をするから、東妻ちゃん、小幡ちゃん、井上くんは私に着いてきて」


「はい!」


 初々しい一年生に感化されたのか、部員たちの返事は、いつも以上にしっかりと揃った綺麗なものだった。

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