後編(Preparing for a decision)

第1話 I’ve Got My Love To Keep Me Warm

「やっぱり奏ちゃん、歌、上手やで」


 佳奈が至極真面目な顔をして奏にそう告げた。佳奈のスマホの画面には、マイクのマークが表示されていて、奏は片手にマイクを握りしめたまま、そこから流れる自分の歌声を、恥ずかしそうに聞いていた。


「本当?」


「もちろん。このまま動画サイトに上げたいくらい」


「それは勘弁して」


 半ば本気だったらしく、佳奈は残念そうに肩を竦ませた。自分が出ているJSJFの宝塚南の動画も恥ずかしくて見られない、奏はそういう子だったりする。


「谷川の歌唱は一曲だけにする?」


「全体のバランスを考えると、二曲をメドレーでやりたいかな」 


「俺もそう思うなぁ」


 航平と佳奈の会話を聞いて、全員の視線がぱっと奏の方へ向く。もちろん、奏の許可を貰わなくては話を進められないから。


「歌うなら一曲も二曲も同じだね」


 彼女は半ば諦めが入った様子で肩を落とす。透明感のある肌に爪を立てて、彼女は柔らかい手付きで頬を掻く。白濁した透明なベールを纏った肌がわずかに赤らんで、下手くそな作り笑顔を浮かべた。


 無理をさせてはいないだろうか、とつい心配になってしまう。こういうのも余計な心配で、バカ親とでも言うのだろうか。本当は歌いたくないのに、みんなに頼まれたから仕方なく受け入れているのではないか、と。


 そう思うのは、奏にどこか脆く儚そうな印象があるせいだ。折れてしまいそうな華奢な体躯が、その印象をより顕著にしているのは否定出来ない。けど、本当の彼女は強くしっかりとしていて、ちゃんと自分の意見を持っている強い子であることをみなこは知っている。


 思い出されるのは、文化祭終わりの控室で、杏奈に向かって思いを吐露した奏の姿だ。ただ真っ直ぐに杏奈の方へ向けられた憧れのベクトル、その訴えは杏奈の胸を響かせて、決心を揺るがせた。あの時、奏が発言したことを部員の多くが驚いていたけど、それは部員が彼女の本質を、まだ見抜けていなかったからに他ならない。


 あの時、奏の表情は怯えていたけど、決して逃げ出さないという覚悟のようなものがあった。つまり、奏という人間は、いつもは慎みを持ってみんなに合わせてはいるけど、やらなければいけない時は、自らの言葉で己の意思を発言出来る強い子なのだ。


 今回の歌唱も無理に受け入れているわけではないという証拠に、「やるならしっかりと歌わないとだね!」と奏は鼻息を荒く、溢れる覚悟を示した。「昨日、一通りアルバムを聞いて、歌いたい曲を見つけたの! 『What Am I To You?』って曲!」とも続けながら。


「お、奏がやる気になった!」


 はしゃぐ七海に、「茶化さない」とみなこは肘打ちを入れる。「そういうつもりちゃうしー」と唇を尖らせる七海に、「あんたにそういうつもりがないのは分かってるけど」、と七海に聞こえないように小さな声でぼやいた。


「あとは曲順かな?」


 佳奈がホワイトボードを指差した。シャイナーで手入れされたような美しい光沢を放つ爪が、ホワイトボードに書かれた少しいびつなみなこの文字を指し示す。ボードに文字を書くのは苦手だった。


 候補曲は、昨日の会議で出揃っていた。あとは、いま奏が告げたノラ・ジョーンズの楽曲を足した九曲がセットリスト候補だ。


 ・『モーニン』

 ・『Time Check』

 ・『あわてんぼうのサンタクロース』 

 ・『Here’s Why Tears Dry』

 ・『イパネマの娘』

 ・『SLEIGH RIDE』

 ・『I’ve Got My Love To Keep Me Warm』

 ・『Don’t Know Why』

 ・『What Am I To You?』


「これらで、どうまとめるかやなぁ」


 真剣な面差しでツインテールを傾けるめぐを見つつ、七海がポテトチップスを口に含みながら行儀悪く口を開く。


「くじ引きとか?」


「七海は、お外で雪遊びでもしてこようか?」


「めぐリーダー! 今日は雪が降っていません!」


「嫌味で言うとんねん!」


「えぇー!」


 大げさなリアクションのあと、「どういう意味?」と言いながら、七海はのり塩の緑がついた指にしゃぶりつく。それを横目で見つめるめぐは、まったくこの子は、という本音がダダ漏れのため息を溢した。


「七海のことは一旦無視して……。ここからは曲順に関して議論していきたいと思います。意見がある人はいますか?」


 小箱をどかす仕草をしながら、めぐは七海に脱線させられた大筋を元に戻した。めぐが進行を努めれば、自ずと会議は動き出す。やはり彼女にはリーダーシップの素質がある。


「俺は、一曲目、『モーニン』で静かに始めるのが良いと思う。この曲を知ってる人も多いやろうし、雰囲気も出ると思うから。そこから徐々に盛りあがっていく感じでさ」


「それも悪くはないけど、せっかくクリスマスライブなんやし、冒頭からクリスマスソングメドレーで入るパターンもあると思う」


 まず積極的な発言をしたのは、航平と佳奈だった。その会話を進行役であるめぐがさらに促す。


「それってわりと攻めの構成ちゃう? クリスマスナンバーをいきなり使い切っちゃうことになるやん?」


「……まぁ確かにそうかな」


「俺は井垣の意見も悪くはないと思うけどな。クリスマスライブやし、全体のイメージ作りとしてクリスマスソングをはじめに聴いてもらうのはありやと思う。それに、後半もクリスマス感を出したいなら、前半の曲の印象的なフレーズを、後半の曲にアドリブで織り交ぜて、全体的にクリスマスソングっぽくしちゃうとかすればええんちゃう?」


「それなら、『ジングルベル』をオープニングで演奏して、それをテーマにライブ全体を構成するっていうのはどう?」


「おぉ、谷川ナイスアイデアやな。それなら、オープニングのあとは、『Time Check』で勢いよく始めるっていうのもありちゃう?」


「はい! めぐリーダー、私は『モーニン』をラストの曲にして、クリスマスの夜明けみたいな感じにしたいです! 楽しい夜のパーティの終わり! 照明も徐々に明るくしていって、白んでいく朝みたいな!」


「存外、悪くない意見を最後に出してくるやん。けど、七海よ。『モーニン』は、朝じゃなくて、苦しみや呻きって意味やで」


「えぇ! あれってモーニングじゃなかったん?」


「……原題の綴りが違うやろ!」


「おぉ、ホンマや!」


 みんなが次々と意見を述べていく中、みなこはホワイトボードに出た意見を板書するので精一杯だった。書記の仕事のせいにしているけど、そもそもみなこはこういう場で発言するのはあまり得意な方ではない。特にみんなが積極的に意見を出している時は、ついつい傍観してしまう。


「みなこはどう思う?」


 あまり発言をしないみなこを見かねて、めぐがこちらに話を振ってきた。七海のせいでまた話が脱線したのもあるだろうけど。こういう気遣いが出来るところが、将来の部長のポジションを任される所以だ。傾き掛けたシーソーの中心に陣取り、バランスを保つ彼女の姿がみなこの脳内に再生された。バランス取りのイメージのせいか、みなこの脳内めぐはピエロの格好をしている。


「えっと……、」


 宙を見ても何も書いていない。ふいに全員の視線がこちらを注視していることに気がついて、早く何か言わなくてはと焦ってしまう。先程は奏のことを心配していたけど、どの面を下げて親目線なんてしていたのか。自分の方が明らかに子どもじゃないか。人前で意見も言えないなんて。


「慌てんと落ち着いて、」


 聞き慣れた声が耳朶を打ち、みなこはホッと息を吐き出した。


「俺たちの意見はそれとして、素直にいまみなこが思ってることを言えばええから」


 この低音の声色は、声変わりのせいでこの近年に彼に備わったものだ。けど、それを聞き慣れたと思えるのは、その声音の中にどこか懐かしいイントネーションが混じっているからだろう。ずっと昔から聞いていた声は、みなこの動揺をすっと沈めてくれた。


「そうやな……。奏ちゃんの歌がメインになると思うから、そこを中心に組んでいくのがええんちゃうかな」


「メインだなんて」


 恐れ多いと言いたげに奏は震えるように首を振り、「ううん。メインに据えても見劣りせんよ」と告げる真っ直ぐな佳奈の瞳にたじろいだ笑みを浮かべた。その反応を、可愛らしいな、なんてことを思いつつ、みなこは上手い言い回しがないものかと探り始める。


「メインというとあれやけど、やっぱりキーになるというか、目玉? やから、今回は奏ちゃんの歌を後半に持っていきたいかなって。ほら、上手く言えんけど、最初でも最後でもバランスが崩れちゃいそう」


「あーなんとなく言いたいことは分かる。核となりうるのが谷川の歌やから、そこが一番盛り上がるようにしなくちゃあかんってことやな。最初に歌うと終始、谷川が歌うみたいになるし、かと言って最後だけ歌うのも出しゃばりみたいに捉えられるかもしれんからな。谷川の歌を目立たせながらも、悪目立ちしないようなセットリストにしたい、と」


「そうそう!」


 みなこの言いたいことを航平が上手く代弁してくれた。昔から彼は、こんな風に手を差し伸べてくれるタイプだっただろうか。記憶を遡るけど、そういう印象はない。中学の頃は気恥ずかしくてあまり話していないし、それより前のことなんてよく覚えていない。


 ……でも、「――――それは嘘やなぁ」なんて、クリスマスという魔法に掛けられ、浮ついた自分がそう告げてきた。華やかさを纏った嫌な自分だ。慣れない化粧と慣れないドレスを着飾った大人な自分は、イメージだけで構築された今の自分を否定するだけの存在。出来れば対峙したくないのだけど、客観性を失っていく街に反比例して、俯瞰的な自分が現れるというのは、なんともらしい話だ。「――――さっき、航平の声に懐かしさを感じてたやんか」、とニヤついてくる自分を憎たらしい眼差しで睨み返す。


「そんなの分かってる!」


 拗ねた子どものような言い回しを吐き捨てれば、「まだまだ子どもやなぁ」、と彼女はため息を漏らした。それも分かっている。さっき奏ちゃんとの差を見に染みたところやから。心でぼやくだけで、心の中の彼女には聞こえてしまうらしく、「やったら素直になりぃや」、なんて一つしか答えのない催促をしてくる始末だ。


 クリスマスという魔法は、人の客観性を失わせる。あらゆる感情をときめきへと変換しようとしてくる。だから、この自問自答もクリスマスに惑わされているだけに過ぎない。自分も素粒子レベルでクリスマスに染まっていく世界の一部に過ぎなかったというわけだ。


 けど、本当にそうだろうか。クリスマスなど関係なしに、高校に入学した直後から自分は似たようなことをずっと考えていたんじゃないだろうか。お得意の問題の先回しが発動していただけで。


 彼女にそう問いかければ、彼女は首をはっきりと縦に振った。いつの間にか、彼女から華やかさは失われて、いつもの私に変わってしまっていた。薄手のパーカー姿からは、夏のざわめきを感じた。すぐに、合宿の時、琵琶湖の湖畔にいた自分だと気がつく。彼女の口がおもむろに開かれた。


 差し伸べられていた手に気づいていなかった? 


 みなこは首を振る。


 昔から航平は優しく素直ないい子やったやろ? 


 今度は頷く。


 それじゃ、あの時の胸の弾みの正体は?


 夜闇が迫る砂浜に響く美しいトランペットのメロディが鼓膜をそっと撫でた。みなこはその問いに答えられない。外堀を上手く埋められたせいで、あの時、砂浜に落としたと思った感情の正体に気づかないフリをするのが限界になったから。感情の輪郭は鮮明に浮かび上がっている。自分は落としてなどいなかった。……落としたつもりになって、ずっと胸にあることを誤魔化していただけだ。


「みなこー?」


 目の前にいた自分が、パッと現実のめぐに切り替わる。


「な、なに?」


「決まった曲順を言うからメモしてって」


「う、うん」


 いつの間にか会議は終わっていたらしい。キャップを開けっ放しにしていたせいか、ホワイトボードに記した『I’ve Got My Love To Keep Me Warm』という文字がすっかりかすれてしまっていた。



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