第8話 オーディション

 大スタジオへ入ると、目の前には椅子と机が三つ並んでいた。川上と知子がこちらを向いて座っている。その手前側には、譜面台とアンプが置かれていて、ドラムとピアノも少し位置が変わっていた。審査員が、こちらの演奏を注視出来るように舞台が整えられている。そう、ここはオーディション会場なのだ。


 その作り上げられた舞台を見たせいか、緊張の糸がまたピンと張り詰めた。みなこが顔を強張らせたことに気づいたのだろう、みちるは空いていた知子の隣に腰を下ろすと、こちらを向いてにっこりと笑顔を作った。小さく息を吐き、みなこは頭を下げる。


「よ、よろしくお願いします」


 そう言って、みなこはすぐにギターの準備を始めた。譜面台にタブ譜を置いて、ギターをアンプへ繋ぎ、チューニングを確認する。昨日、張り替えたばかりの弦は、少しだけチューニングが狂っていた。


「落ち着いてチューニングしてええんよ」


「は、はい」


 みちるが微笑ましそうにこちらを見つめる。小さい子どもをあやす母親のような優しさが彼女にはある。 


「準備はいい?」


 みなこがちょうど準備を終えると、知子の視線がすっーと手元のルーズリーフからこちらへ向いた。手には赤のボールペンが握られている。みなこが「はい」と頷けば、彼女の手が前に伸びた。


「それじゃ、課題の演奏をお願いします」


 みなこは少し汗ばんだ手をスカートで拭き取り、ギターのネックを握った。オーディションは、セクションごとに課題が設けられている。ビッグバンド参加のためのオーディションは、基本的なテクニックの確認だ。


 ギターセクションの課題は、オルタネイト・ピッキングというダウンピッキングとアップピッキングを交互に繰り返す奏法。それとコードを抑える左手でミュートをしながらリズムを刻むカッティングという奏法の二つをテストされる。的確な音が出ているのか、しっかりと正しいアクセントをつけて演奏できているのか。ビッグバンドではリズム隊となるため、リズム感も試されているはずだ。


 そういう大切なポイントは、タブ譜の隅にしっかり書き込まれている。すべて大樹がアドバイスしてくれたものだ。教えられたポイントを、もう一度確認して、みなこは演奏を始めた。


 まずはオルタネイト・ピッキングの課題からだ。タブ譜に書かれた数字を順に追っていく。弦の上を音が上がったり下がったり、右手の上下運動を間違えないように一音ずつ正確に弾いていく。単純で基礎的な動きだが、これが逆に難しい。今どこを弾いているのか自分でも分からなくなってくるのだ。右手と左手のタイミングが狂わないようにしっかり足を使いカウントを取る。8小節のメロディを4回繰り返し、続いてカッティングの課題へと移っていく。


 ロックやブルースなど様々な演奏で用いられるこの奏法の大切なことは、リズムとアクセント、そして歯切れの良い音をしっかりと出すことだ。16ビートのストロークをしながらコードを押さえる左手を若干浮かして弦をミュートする。ツクツクという打楽器のような音を意識しながら、一定のリズムを取るのがとても難しい。


 これも8小節のフレーズを4回繰り返した。


「はい、オーケーです」


 無事、ミスなく演奏を終え、みなこは大きく息を吐いた。たった一分程度の演奏だったのに、疲労感がすごい。緊張のせいかピクピクと腕が震えていた。


「やっぱり中学校から練習してただけあってしっかり弾けてるね」


「あ、ありがとうございます」


 よかったよー、とみちるはパチパチと顔の前で手を叩く。その横で、知子は黙々とメモを取っていた。やはり、知子は真面目な性格だ。しかし、その紙に書かれている評価は一体どういうものなのか。みなこの意識はそこに向いていた。


「清瀬、」


 名前を呼ばれ、みなこは慌てて「はい」と返事をする。川上が机の下でスレンダーな足を組み替えた。


「オルタネイト・ピッキングのフレーズを演奏している時、フレーズの度数はちゃんと意識してた?」


「はい。大樹先輩にも言われて、練習の時から考えるようにはしてました」


 度数は音の距離の単位だ。二つの音がどれだけ離れているかを表している。コードを構成する音の度数を理解することで、スケールを覚えることにも繋がる。頭と身体、同時に理解を深めようと努めているが、これがまったくもって難しい。


「うん、始めの頃は難しいやろうけど、基本的な練習にこそ意味があるから。こういう基礎的なことから、しっかりと音楽理論を理解していくのも上達する上で大切なこと。もちろん、のちにアドリブにも役立ってくるし、音の響きを身体で覚えること、理論を頭で理解すること、どっちも重要や。しっかりと普段の個人練習から意識しておくように」


「はい」


 川上は数学教師のはずだが、学生時代に音楽をやっていたのだろうか。アドバイスがやけに的確だ。音楽系の部活ならば、音楽教師がやるイメージだが、彼女も何かしら楽器の経験があるのかもしれない。机の下で組まれているタイトなパンツの裾から見える生足にはアンクレットがつけられていた。


「それじゃ、清瀬さんは空き教室で待っていてください」


 メモを取り終えた知子にそう告げられ、みなこは「ありがとうございました」と頭を下げて、部室をあとにした。 

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