第5話 新歓ライブ
小一時間ほど体育館の床に座り続けたお尻の痛みを、皆各々のやり方で緩和していた。先生たちも長時間という事情を考慮してか、多少崩した座り方をしていても注意することはなく、舞台の上で繰り広げられる各部活のアピール合戦を和やかに見つめている。総合の授業時間を利用したこの集会では、一年間の行事予定や定期考査の説明、この数日で浮き彫りとなった問題点や生活態度などの注意に続いて、上級生による部活紹介が繰り広げられていた。
「そういうわけで、是非とも我が天文部に入部してください」
天体模型を用いた天文部の熱心なアピールが実ったのか、ちらほらと「ええかもなぁ」という声が上がった。どうやらこのステージでの成果は部員獲得に直結するらしい。来年以降は、自分もこの舞台に立つかもしれないと、みなこはステージに立つ自分を想像してみた。
「続いて、ジャズ研究会によるライブパフォーマンスです」
進行を務める生徒がジャズ研を呼び込んだのと同時、照明が一気に落ちた。左右のキャットウォークから伸びるスポットライトが舞台の上の一点を照らす。
「こんにちは、新入生の皆さん。宝塚南高校ジャズ研究会です」
マイクを持った知子が舞台の上で深々と頭を下げ、同時に拍手が送られた。
「我がジャズ研究会は、秋に開催されるジャパンスクールジャズフェスティバルに向けて、日々の練習に励みながら楽器の上達を目標として、日々の学生生活をより良いものにするために活動をしています。トランペットなどの金管楽器を始めとして、サックスやピアノ、ギター、ドラムと言った皆さんがテレビで見る機会も多いであろう楽器を使い演奏活動を行っています。今日は、短い時間ですが、どうぞ私達の演奏を聞いてください」
やはり知子は少し堅い。真面目なことはいいことだろうけど。サックスを構えたみちるは彼女の挨拶を聞きながら苦笑いしていた。
「なぁみなこ、ドラムがおらんって言っとったけどおるな」
傍らに座っていた七海が耳元まで顔を近づけ、小声で話しかけて来た。少しだけくすぐったい。
列は男女別に五十音順に並んでいたはずだけど、すっかり乱れている。七海の前では相変わらずツインテールのめぐがステージをまっすぐ見つめていた。
「人数が少ないから、足りない楽器は出来る子がすることもあるって言ってたやん」
みちるの話を思い出す。前の三年生が抜けてからドラムメンバーが欠員しているらしい。希望の楽器をやれないというのはもどかしいものがあるはずだ。そうなると七海への歓迎はみなこが想像する以上のものがあるかもしれない。ドラムセットに座っていたのは男子生徒だった。
それから、深々と頭を下げて、知子はステージ下手のピアノへと歩いて行った。
少しだけ体育館が静寂に包まれた。生徒たちの呼吸音が聞こえる。なんとも言えない緊張感を感じて、みなこは思わず息を止めた。今から奏でられる音楽への期待。真っ暗な体育館の中でポツリと輝くステージの一点を全員が見つめている。その舞台上では、部員たちが互いを見合わせ、曲が始まる合図を待っていた。
ドラムのダブルカウントに続いて、軽快なピアノの音で曲が始まった。知子の指のタッチはとても柔らかくしなやかで、弾むような美しい音の粒が体育館を飛び交う。そこへすぐサックスたち金管楽器の音が重なり合った。緩やかなメロディー。繰り返される旋律は、ジャズを詳しく知らないみなこでも聞いたことがあるサウンドだ。
『A列車で行こう』
ジャズの王道中の王道とも言えるこの曲に聞き馴染みのある生徒も多いらしく、会場の空気が自然と一つになっていく。誰からともなく始まった手拍子は、音楽にさらなる高揚感を上乗せする。
七海やめぐに合わせ、みなこも手拍子を打った。トランペットの甲高い歪みが心地よく鼓膜を揺らし、ウッドベースが全体をうまく支えている。正面からぶつかってくるような音の波にみなこは一瞬で魅了された。
曲はやがて、サックスのソロへと移っていく。みちるがステージの中央へと移動して、大きく息を吸い込んだ。スポットライトを反射して輝く金色のボディを抱え、彼女は小さな身体を目一杯使って音を絞り出す。おっとりとした空気感からは想像つかない自信に満ちた音の塊が、体育館に響き渡った。
ソロパートの終了とともに、一斉に拍手が起こる。ニッコリと可愛らしい笑みを浮かべたみちるは、客席に向けお辞儀をした。
流れるようにピアノのソロへと突入する。美しく長い黒髪を揺らしながら、知子は鍵盤で小刻みなリズムを刻む。彼女の実力を知るには、わずか数小節で十分だった。演奏でこれほど感動が出来るとは考えたことのなかったみなこは、思わず身体が前のめりになり、七海の肩を掴んだ。
そして、曲は一気にクライマックスを迎える。軽快なアメリカンサウンドの渦が金管楽器のリズムで押し寄せて、最後の一音へ向かい盛り上がっていく。
演奏の終了と同時に体育館は拍手喝采。立ち上がって叫びたくなる衝動を抑えて、舞台の先輩たちに向けて、みなこも精一杯の拍手を送った。
「今日の演奏を少しでも良いと思ってくれたなら、是非ジャズ研に入部してください」
最後にそう締めた知子の表情は、演奏を終えた満足感と新入生たちが入って来てくれるだろうかという不安感に満ちていた。
*
「すごかったなー」
紺色のスクールバックを揺らしながら、七海が新歓ライブへの思いを呟いた。四人は長い雲雀丘の坂を下っていく。奏もまだ興奮が冷めないのか、目をキラキラさせながら頷いた。
「うん! 織辺先輩のピアノも東先輩のサックスもすごく素敵だったね」
「生演奏のジャズを聞くのって初めてやったけどすごかったなぁ。私もあんな風に演奏できるようになるんかな?」
「みなこ、練習あるのみやで」
おー、と七海は一人で拳を突き上げる。実際に生の演奏を見て、知子が見学の時に話してくれた音楽を演奏する楽しさが確かに伝わってきた。そう感じたのは、みなこだけではなかったようで。
「今日の演奏を見せられたら、やっぱりジャズ研に入るしかないって!」
前を行くめぐも少々興奮気味だ。衣替えの移行期間になるまでは、登下校中、ブレザーを羽織らなければいけない。めぐの少し貧しい胸元と袖口からはピンクのカーディガンが覗いていた。
「うちも決めたで! 絶対ジャズ研!」
「奏ちゃんとの約束もあるしなー」
「え、奏との約束ってなに? なに? 私にも教えてよぉ」
めぐが小さな身体をみなこに寄せてきた。可愛らしい丸顔は人懐っこく、くりっとした瞳に吸い込まれそうになる。あざとらしいぶりっ子な彼女の挙動もその可愛さで全て許されてしまうのだ。
真っ赤な西日がみなこの右頬を強く照らす。ほんのりと赤らんだみなこの頬の色は隠されたに違いない。大きな欠伸をした野良の三毛猫がこちらをじっと見つめていた。きっと、めぐに照れるみなこを阿呆だとでも言いたいのだろう。
「えーっとね、」
つい気が緩んで口に出てしまったのだ。大事な約束ごとなのに。話していいものか迷いながら奏の方を向けば、彼女は口端を上げた。いいよ、という無言の合図だ。
「入学式の日に奏ちゃんと約束してん。一緒にジャズ研に入ってバンドを組もうって、元々は私と七海がバンドを組むって約束やってんけど、そこに奏ちゃんも加わったっていう」
「えー、それなら私もその約束に入れてぇや」
ね、とめぐの首が僅かに傾く。艷やかな瞳には、焦っている自分の姿が映し出されていた。
「もちろん、ええんやんな二人とも?」
みなこは逃げるように二人の方へ話を振った。離れていくみなこにめぐは不満そうだ。
「そりゃそうやで。もうとっくの昔にめぐも約束した仲間。な、奏」
「うん。もちろんだよ」
「やったー」
めぐはその場で小さくハネた。照りつける夕焼けは、六甲の山の向こうへとゆっくり沈んでいく。まだ少し遠くに見える駅まで、今日はゆっくり歩いていたいな。みなこはそう思った。
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