第4話 仮入部

 音楽室準備室の横に設けられたスタジオ型の部屋が大小二つ。そこがジャズ研の部室だ。廊下では、同じフロアの音楽室から吹奏楽部の軽快な演奏が聞こえていたが、有孔ボードに囲まれた部室に入ってからはその音は気にならなくなった。


 新学期が始まって一週間が経ち、部活動の仮入部が始まっていた。一応、他の部活も見学してみたのだけど、奏と約束したこともありジャズ研に入ることはすでに決めている。航平も入ろうとしていることは少し気になるが、航平ごときのために誓いを破るわけにはいかない。この日、ジャズ研の見学に来ていたのは、みなこたちを除くと二人の女子生徒だけだった。


「今日は五人だけみたいやな?」


「そうみたいやね」


 身長に差のある女子二人が互いを見合わせる。ちなみに宝塚南高校は上履きの色で学年わけされていて、緑色の彼女たちは三年生だ。


「はい。それじゃ、本日は宝塚南高校ジャズ研究会の見学に来てくださりありがとうございます。私が部長の織辺おりべ知子ともこです」


 手をひとつ打ちながら、背の高い方の生徒が一歩前に出た。長く美しい黒髪は、豊満な胸元まで伸びていて、背筋もビシッとまっすぐ。キリッとした顔立ちはとても綺麗で、モデルさんのようだとみなこは思わず見惚れた。


「そして私が副部長のあずまみちるです。よろしくねー」


 背は七海と同じくらいで、155cmよりも少し低いくらいだろうか。おっとりとした話し方は、どこか人懐っこい。胸元で広げた手をゆらゆらと揺らし、柔和な笑みをこちらに向けた。軽めのミディアムカットの髪先には、赤色の小さなリボンがあしらわれていた。


「今日来てくれたということは、みなさんは少しでも楽器に興味があるということだと思います。私達ジャズ研は、日々練習し上手くなるように努めているので、楽器が上達したい人にはおすすめの部活です。特にうちの学校には軽音部がないので、基本的に吹奏楽部では演奏しないギターやドラム、ベースといった楽器がやりたいという人は是非とも入部してください」


「もー知ちゃん堅いよぉ」


「だってちゃんと紹介してアピールせな。去年の先輩たちが抜けてぐっと人数も減ってもたんやし」


「人数減るのは毎年のことでしょー。ほら、一年生たち困ってるで」


 みちるはくすりと口端を持ち上げた。眉根をひそめた知子を見て、真面目そうな雰囲気をしたこの先輩は後輩への接し方があまりうまくないんだな、とみなこは心の中で呟く。


「知ちゃんが言ったように、吹部ではやれない楽器を出来るっていうのもうちの魅力の一つです。でも、トランペットやサックス、トロンボーンなどの吹奏楽で使う楽器もジャズ研では扱います。楽譜通りに演奏する吹奏楽と違い、アドリブと言われる即興パートをかっこよく吹きこなすのがジャズの魅力のひとつなんです!」


 みちるの説明に、七海と奏が手を叩いた。それにつられたのか、見学に来ていた背の低いツインテールの女子生徒も一緒に拍手している。彼女は確かクラスが同じだったはずだ。名前は伊藤めぐ。ブレザーを羽織っておらず、ピンクのセーターを着ていた。宝塚南高校の校則はそれなりに緩く、セーターは構内であれば学校指定外のものでも認められている。いわゆる萌え袖と言われる丈の長さで、彼女は自分の可愛らしさをアピールしていた。


「はい、質問です!」


「えーっと、君は?」


「一年三組の大西七海です!」


「はい、それじゃ七海ちゃん!」


「先輩たちはなんの楽器やってはるんですか?」


「私がサックスで、知子ちゃんがピアノやよ。でも人数が少ないから別の楽器を演奏することもあるんやけど」


「おぉ! 二刀流ってやつですか」


「もちろん、本職でやってる子達からすれば腕はイマイチになっちゃうけどね。でも知子ちゃんはわりとどんな楽器でも出来るよね?」


「一通り音は出せるけど、人前で演奏できるってレベルのものはピアノを除けばギターとトロンボーンくらいやから」


「十分すごいですよ!」


 真正面から褒める七海に、知子は少しだけ頬を赤らめた。真面目で堅いだけで、性根は悪い人ではなさそうだ。


「あの、人数が少ないとおっしゃってましたけど、今は何人くらいの部員がいらっしゃるんですか?」


 質問をしたのは、ポニーテールの女子生徒だ。落ち着いた雰囲気で大人っぽい。ハキハキとした声はしっかりと自分の意志を持っている性格が伺える。真面目そうな雰囲気が知子と似ているとみなこは思った。


「二年生と三年生、合わせて九人。私と知ちゃん以外の部員は、今日は隣の大スタジオで新歓ライブの練習をしてるで」


「新歓ライブ!」


 七海が興奮気味に鼻息を荒くした。新歓ライブは、明日の午後から体育館で行われる部活紹介で行われるらしい。みなこは、ふと音楽室から漏れてきていた吹奏楽部の練習を思い出した。


「それで吹奏楽部も練習してたんですね」


「そうそう。うちの学校は生徒の人数が多くないから、部員の取り合い。特に吹部とは、楽器経験者をいかに勧誘できるかで毎年せめぎ合ってるんよ……。と言っても初心者も大歓迎やよ。五人は何か楽器やってるん?」


「あ、私はギターをやってます。こっちの七海がドラム、奏ちゃんがベースって感じです」


「ドラムは今年から卒業生の子がいなくなっちゃって入ってくれたら助かるわぁー。なぁ、知ちゃん」


「うん、助かる。もちろんギターもベースも」


 知子の凛とした眉根が柔らかく緩んだ。長い黒髪を恥ずかしそうに耳殻にかける。みちるは、残りの二人の方を見やりながら、可愛らしい動きで首を傾けた。


「そっちの二人は、楽器経験者なんかな? 良かったら名前も教えてくれる?」


井垣いがき佳奈かなです。私はアルトサックスをやってます」


 そう言ったのは、ポニーテールの女子生徒だ。「それじゃ一緒やね、私はテナーやけど」とみちるが首から下げたストラップを手で摘み上げる。それに続いて、めぐが萌え袖を上げて答えた。


「私は伊藤いとうめぐって言います。ピアノ希望です。幼稚園の時からずっと習ってました」


「めぐちゃんは、ジャズピアノの経験はある?」


「いいえ。普通に教室に通っていただけで……それに決してジャズに詳しいってわけではないんです」


 細く短い指を、めぐはもじもじと重ね合わせる。あざとらしいとも取れる動きだが、不思議と嫌いになれそうにない愛嬌を持っていた。クラスでも男女問わず、かわいいと専ら評判だ。


「全然詳しくなくても大丈夫! 佳奈ちゃんは、ジャズの経験ある?」


「中学は吹部でしたけど、ジャズは教室で習ってました」


「それじゃ、佳奈ちゃんは即戦力として期待しちゃっていいんやね」


「いえ、そんなことは、」


 謙遜しているのか、佳奈は少し顔を下に背けた。元吹部で教室に通っていたのなら、やはりそれなりに上手いのだろう。ジャズギターの経験のないみなこは少しだけ不安になってきた。


「私たちもジャズの経験はないんです」


「経験は関係ない」


 不安げなみなこの目を見つめてきたのは知子だった。


「まずは入部してもらって、それからジャズの楽しさを伝えられたらと思ってる。アドリブが出来るようになったり、みんなでセッションする楽しさ。人前で演奏する緊張感と興奮、オーディエンスから拍手を貰ったときの胸の高鳴り。ジャズには音楽の魅力が全部詰まってるから」


 一年生に向けて語る知子の目は、キラキラと輝いて見えた。この人は音楽が本当に好きなんだと伝わってくる。一緒に演奏したい、そう思ったみなこはぐっとやる気を吸い込み、鼻の穴をわずかに膨らませた。


「知ちゃんもいいこと言うんやね」


「だってジャズが好きやから」


 長い黒髪の奥で、知子の耳殻がほんのりと赤らんでいた。恥じらいをごまかすように、手に持ったペットボトルの水を口に含む。


 七海が元気よくまた手を上げた。


「部活の目標。大会みたいなものってあるんですか?」


「うちらジャズ研は、秋に神戸で行われるJSJF、ジャパンスクールジャズフェスティバルっていうイベントに出演してるんやよ」


「ジャパンスクールジャズフェスティバル?」


 聞き慣れない単語がみちるから飛び出し、七海は首をかしげる。ハネた髪がブレザーの襟を撫でた。ペットボトルのキャップを締めながら、知子がイベントについての補足をする。


「毎年、神戸国際会館で行わるジャズのイベントで、端的に言えば甲子園やインターハイみたいなもの。全国の高校からジャズ研や吹奏楽部が集まって演奏し合う」


「そこで優秀賞を取るのがうちの目標なんよ」


「甲子園みたいな全国大会ですか。なんかいいですね」


 軽音部のように文化祭に向けて頑張るといった活動を想像していたみなこは、大会という響きに魅力を感じた。目標に向かって部活内で一つになる。そういう青春っぽい雰囲気は好きだ。 


「ちなみに去年とその前は奨励賞。今年こそ最優秀賞を取りたい」


 目標を口にして、知子の眼尻に力が入った。大会にかける意気込みが伺える。その様子を、ニコニコと見つめながら、みちるがコホンと喉を鳴らした。


「それじゃ、今日はこれくらいで。明日の新歓ライブは楽しみにしとってね。入部してくれたらまた色々と詳しく教えてあげるから」


 今日はありがとう、と知子は軽く頭を下げた。みちるは口端を緩ませながらゆらゆらと手を振る。七海とめぐはその手に振り返していたが、みなこは咄嗟に頭を下げた。意識的に知子に配慮してしまう。


 廊下に出ると吹奏楽部の練習はまだ続いていた。聞き馴染みのある曲だが曲名が出てこない。柔らかい金管楽器の音色が廊下を抜けていく。窓の外はまだまだ明るく日没にはまだ早い。大阪平野のビル群が遠くに見えた。


「めぐはもうジャズ研確定?」


「たぶんそうやなぁ。三人もジャズ研で決まり?」


「ほぼほぼー」


 窓際で陽に当たりながら、七海と奏がめぐと仲良く会話していた。みなこは、ふと一人になっている佳奈へ近づく。


「えっと、井垣さんやっけ?」


「うん」


「サックスやってるんやなー。ジャズにも詳しそうやし」


「先輩たちにも言ったけど、格段詳しいってほどじゃないから」


「そっか。……えーっと、何組なん?」


「私は四組です」


「四組やったら、担任は数学の川上先生? あの人怖いよなぁ」


 七海が話に割って入ってきた。数学の川上と言えば、一年の生徒指導も請け負っている四十代の女性教師だ。入学して早々、彼女がとても厳しいことは学年中に広まっていた。七海の勢いに、佳奈は困り顔で眉尻を下げた。


「そうなんかな? まぁみんなはそう言うてるみたいやけど」


「井垣さん、良かったら一緒に帰らへん?」


「ごめんなさい。今日はちょっと用事があって」


「そっか。わかった。ほんなら、もし入部したらよろしくね」


 ひらひらと手を振ったみなこに、佳奈は軽く会釈をしてその場を去った。人との接し方のせいだろうか。やはりどことなく雰囲気が知子に似ている。誤解を恐れずに言うならば、人見知り。みなこだって初対面の人と話すのは得意ではないが、もう少しうまくやれているつもりだ。


 そっけない態度を取られたことを気に留めることなく、七海は軽い弾みをつけてリノリウムの床を鳴らした。


「めぐは一緒に帰るやんな?」


「ええよー。三人はどこ住み?」


「うちとみなこは、川西市。でも奏では宝塚の方やで」


「ほんなら私は奏ちゃんと同じ方やわ」


「伊藤さんも宝塚?」


「ううん。駅は清荒神きよしこうじん


「それなら乗る電車は同じだね」


 奏の口角が上がった。帰る方角が同じ友人が出来て嬉しいのだろう。雲雀丘花屋敷の駅での別れ際、彼女はいつも寂しそうにしている。今日からはその表情を見ずに済みそうだ。

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