第18話 ~試合前日~

「それじゃあ、先に失礼するよ。姫、王子、明日は約束の地にて会おうじゃないか! アデュー!」


「はーい。また明日」


 用事があるとのことで、最終下校時間よりも早くウィルは部室を後にした。慣れとは恐ろしいもので、三日も経てば奇人の扱いにも慣れてくる。白雪も姫と呼ばれることに抵抗しなくなった。


 ――三日。つまり今日は試合の前日。


 陽姉に部活動設立の条件を提示されてからの時間は瞬く間に過ぎ去った。この短期間で戦術のバリエーションを増やすのは付け焼き刃もいいところなので、とにかく得意なスタイルに磨きをかけ続けた。


 白雪には長期戦になった場合の攻守切り替えを徹底的に叩き込んだ。やはり飲み込みが異常に早く、タイミングの見極めはすっかり俺と同レベルに達している。


 今試合をしたならば、俺の問題は関係なく普通に負ける可能性すらある……そう思ってしまうほど、白雪の成長には目を見張るものがあった。


「さて、俺たちはどうする? もう少し練習するか?」


 窓から差し込む光は明るく室内を照らしている。ウィルを見送るために一旦ログアウトしたが、下校の鐘が鳴るまではまだ一時間以上残っていた。


「はい! お願いします!」


 笑顔を弾けさせて嬉しそうに返事をする白雪と一緒に、俺は再び仮想世界へと意識を沈めた。


 ◇ ◇ ◇


「うへぇ~、つっかれた~」


 白雪は間延びした声で言いながら、戦闘時の鎧を着たまま芝生の上へ大の字で倒れ込んだ。人一人分の空間を開けて、俺も隣に腰を下ろす。


 気分転換も兼ねて練習フィールドはランダム設定にしており、今は見渡す限りの大草原。芝生の緑と空の青だけが世界を構成していた。


「綺麗ですよね。ここが仮想世界だなんて、信じられません」


「それが感覚没入型ゲームの売りだからな」


「も~! いつもそうやって夢のないこと言うんですから!」


「夢を追い続ける歳じゃなくなったんだよ」


「いやいや、青春真っただ中ですから! 男女が二人で綺麗な景色を眺めているなんて、なんかもう……現在進行形でアオハルって感じじゃないですか!」


「まあ、言われてみればそうかもしれないな。……不本意ながら」


「はい? 不本意って言いました? こんなザ・美少女と一緒に居ながら? 何が不満なんですか正気ですか?」


「俺は理性的な人間だと自負している」


「そうなんですけどッ! 不知火くん、乗ってくるネタの判断難しすぎません!? ウィルくんにはすぐ同調してわたしを弄ってくるくせに!」


 俺の淡々とした台詞に、突っ込んだり笑ったりする白雪。中身のない会話の応酬だけれども、ここ数日ですっかり日常に溶け込んでいる。それ以上に、素直に楽しんでいる自分が居るのも事実だった。


 FBの練習をして、休憩中にだべって、また練習。数年前までは当たり前だった日々を取り戻したような錯覚に囚われる。


 ――それでも隣にいるはずの二人は、やっぱりどこにも見当たらなくて。


 未練……なんだろうな。この想いに決着をつけない限り、俺は――


「……ちょっとだけ、真面目な話をしてもいいですか?」


 会話が途切れる瞬間を見計らっていたのだろうか、身体は芝生に預けたまま、どこまでも穏やかな声色で切り出した。


 その様子はショッピングモールで彼女がFBへの想いを語った時と全く同じで。


「ああ、下校時間までは付き合うよ」


「ふふっ。ありがとうございます」


 聞かなければならないと、受け止めなければならないと、直観的にそう思った。


「この間、委員長さんに聞かれて答えましたよね。わたしがFB部にこだわる理由」


「心を強くしたいって、そう言っていたよな」


「ですです。それはもちろん嘘じゃないんですけれど、全部でもなくて。あの時は結構オブラートに包んで塞ぎ込んでいたって表現しましたけど……実際はかなり荒れていたんですよね。心配してくれたお母さんとか友達にも酷いことを言っちゃったりして。『奏音ちゃんなら他にも出来ること沢山あるよ!』って励ましてくれたりもしたのに、ただただ煩わしくて、酷いこと言っちゃって」


 自嘲地味に笑いながら馬鹿ですよね、と。


「不知火くんは『強い』って言ってくれましたけど、やっぱりわたしは弱いんです。頑張ろうって決めたのに、春休みだから、違う学校だからって自分に言い訳して、友達――そう思っているのはわたしだけかもしれませんけど、謝るのを先延ばしにしてる」


 共感――なんてレベルじゃない。彼女は俺の写し鏡だ。


 過ちを犯して、違えて、失って。


 それでも白雪は前へと進み、俺は立ち止まったまま。


「だからFBで戦っている姿を見せて、もう大丈夫だよって伝えたい。励ましてくれた通り、今のわたしにも出来ることあったよって、ごめんねって。その為にFB部が必要なんです。……他の部活は、わたしには難しいから」


 だけど、と。真っ直ぐに真っ青な空を見据えたまま、白雪は言葉を、想いを、紡ぐ。


「楽しんじゃってるんですよね。ウィルくんと……何より不知火くんと一緒にいる時間が、気づいたらすごくすごく大切になっちゃってて。だから、わたしの事情を除いても、純粋にFantasy Battleを続けたい。この場所を失いたくないって……今はそう思っています」


 そう言うと上体を起こして体育座りになり、頭を膝に乗せながら顔だけ俺に向けた。無理をした様子のない、どこまでも自然な笑みを浮かべる。


「だから、明日は見ていて欲しいんです。もちろん勝つつもりで挑みますけど、もしかしたら負けちゃうかも知れない。でも、助けて欲しいなんて言いません。これはわたしが始めた、わたしの問題ですから」


 そして少しだけ多めに息を吸うと、僅かに躊躇いがちに、ほんのりと頬を染めて続ける。


「……ただ不知火くんが見ていてくれれば、普段以上に頑張れる気がするんです。だから、お願いします。どんな状況になっても目を離さないって、約束してくれませんか?」


 潤んだ瞳で、震える声で、恐怖を打ち消しながら懇願する。

 天真爛漫で明朗快活。それでいて遠慮しがちな白雪奏音が初めて口にした願い。


 本当にこいつは、どこまでも真っすぐで、強くて、眩しい。


「あの……どうでしょうか?」


「…………」


「ふぇ? どうして無言で手を突き出して――って、痛……くはないですけど、何故にデコピン!?」


「いつも君からシリアスな雰囲気を崩されるからな。先手を打ってやった」


「タイミング間違ってません!? まだ真面目なターンでしたよね!?」


 ……だからだよ。シリアスなまま言えるか、恥ずかしい。


「見届けてやる。結末がどうなっても、絶対に。だから……頑張れ」

 

「……あ」


 あまりにも歯が浮いた台詞だったから顔が熱い。今だけは仮想世界の再現度に文句を言いたい気分だった。


「にしし、はい! ありがとうございます!」


 俺の内心に気づかなかったのか、はたまた触れないでいてくれたのか。白雪は屈託のない笑顔で喜びを露にした。


「いや~、全部言っちゃうとスッキリしますね! これで不知火くんには全部知られちゃいましたし、わたしは丸裸も同然です! 美少女の全裸ですよ、興奮しますか? しますよね?」


「あー、するする。超やばい」


「めっちゃ投げやり!?」


「そんなことより、もういい時間だ。ログアウトして帰るぞ」


「あ、もう一つだけ。これはお願いじゃないので、聞き流してくれていいんですけど」


 俺に続いて腰を上げた白雪が、後ろ手にあざとく俺を下から覗き込みながら、


「不知火くんが試合に勝つところも、いつか見せて下さいね!」


 暗に告げる。必ず試合に勝ち、FB部を失くさせはしないと。

 だから不知火颯も立ち止まるな。踏み出せ、前へ進めと。


「いつか……な」


「はい! 不知火くんの最高にカッコいい姿を楽しみにしてますから!」


 これっぽっちも疑念を抱くことなく、俺の言葉を信じる。

 俺もなれるのだろうか。白雪のように、強く。


 今は手の届く場所に答えはないけれど。

 歩き出せば、いつかは――

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