第13話 ~動機~

「おっまたせしました〜!」


 白雪はぶんぶんと手を振りながら、片手でトレーを持ちつつ俺と羽美の待つ席へと戻ってきた。あぶねえ。


 ゆっくりと食事をする時間もなかったので、ショッピングモール内のフードコートで簡単に済ませることとなった……のだが。


「白雪……それは一体……?」


「ふぇ? 見ての通り牛丼ですが? 不知火くん、まさか牛丼を存じ上げない?」


「……少なくとも、今目にしている物体が牛丼である認識はしていない」


 そう口にしてしまうのは、丼の上が紅で埋め尽くされているから。肉なんて一片たりとも見えやしない。言うなれば紅生姜丼フィーチャリング七味唐辛子である。


「やれやれ、不知火くんは紅蓮丼の真髄を知らないと。まだまだお子様ですね〜!」


「は? ぐれ……え、なんだって?」


「紅蓮丼です! 聞いたことありませんか? わたしが名付けたんですよ!」


「知るわけないだろうが」


 一瞬でも真面目に聞こうとした俺が馬鹿だった。一番の馬鹿は間違いなく白雪だが。


 実りのない追及はそこそこに、各々買ってきた昼食を食べ始める。食事中は流石の白雪も騒ぎ立てることなく、平均的なテンションで羽美と学校の話をしていた。


 普段は暴走気味な癖して、分別をわきまえているというか、決してラインを越えないよう気を配っているんだよな。だから憎むに憎めないんだけれど。


「そういえば、ずっと聞きたかったんだけど」


 全員食べ終わる頃合いを見計らっていたのだろう。羽美が改まった様子で、さっきまでの雑談より少しだけ真剣さを増した声色で問う。


「白雪さんは、どうしてFB部に拘っているの? 入学初日から一か月間、ずっと勧誘活動をしていたし、ものすごい熱意よね」


「……気になりますか?」


 手にしていた食器を置いて、上目遣いで窺うように、羽美ではなく俺へと視線を向けた。決定権は俺にあるようなので、正直に答える。


「ま、多少はな」


「多少ってどっちですか! もっと全身全霊を込めて、わたしに興味を持って下さいよ!」


「えぇ……」


「あのあの、本気で嫌そうにされたら流石に傷つきますからね?」


 シリアスになりかけた雰囲気が一瞬で吹き飛ぶ。

 ……これでいい。白雪が何かしらの決意を持ってFBに取り組んでいるのは、昨日の時点で十分に伝わってきた。


 わざわざ部活動を作らなくたって、FBは一人でプレイ可能だ。大会だって、公式非公式問わず盛んに開催されている。適当な緩い部活に入って、家で腕を磨けばいい。それでも『部活動』という肩書にこだわる理由は唯一つ。


 ――高校生大会への出場。


 チャンスは人生でたったの三年。FBプレイヤーであれば、誰しもが憧れて然るべき晴れ舞台。

 

 ……今の俺には、絶対に目指せない場所。


 だったら知らない方がいい。お互いに罪悪感が生まれるだけだから。


「わたしは知りたい」


「……羽美?」


 だというのに、羽美は踏み込むことを止めない。俺の怪訝な視線も受け止めて、それでも絶対に退かないという意思を隠さずに。


 らしくない。少なくとも、学校用のキャラじゃない。そこまでして聞きたい理由が、俺には皆目見当もつかなかった。


 白雪も同じ感情を抱いたのか、面食らったように目を見開いていたが――


「……きっかけは、ある動画でした」


 羽美のただならぬ気配を察したのか、時折見せる落ち着いた表情で和やかに話し始めた。


「実はわたし、ちょっと塞ぎ込んでいた時期があったんです。たった一つ、全力で打ち込んでいたものを失って、頑張る意味を見失って、どうでもいいやって」


 あくまでも声色は明るく。俺たちの気を重くさせないよう、気遣いながら。


「そんな時にたまたま……本当に偶然、Fantasy Battleの対戦動画を見つけて」


「格好良かった……とか?」


「いえいえ、むしろ逆です」


「逆?」


「はい。片方の男の子が一方的にボコボコにされていました」


「「……は?」」


 あまりにも予想外で、俺と羽美の間抜けな声が重なる。

 俺たちのリアクションを読んでいたのか、白雪はくすりと笑ってから話し続けた。


「もちろん、ただ負けていた訳じゃ――ううん、負け続けていたのは間違いないんですけれど……その子、諦めないんです」


 懐かしむように、愛おしむように、視線を逸らすことなく。


「FBを知らないわたしが見ても実力差は圧倒的で、万に一つも勝ち目なんてないのに、全然折れなかったんです。何度も何度も立ち上がって、負けて負けて負けて、それでもまた立ち上がって」


 ――その姿が、眩しかったのだと。


「結局、その子が勝つことはありませんでしたけど。でも最後には届いたんです。たった一撃だけでしたけど、確かに」


 ゆっくりと、言葉に込められた想いが。


「このままじゃダメなんだって。後ろを向いていたら何も変わらないんだって。――前さえ向いていれば、きっと届く場所があるって」


 彼女の一言一言が、俺の心に突き刺さる。

 そういう……ことか。


 昨日、俺の欠点に対して踏み込むのを躊躇った――その時に見せた、どこか思いつめた表情に、繋がる。


 自身の経験を、過去を、重ねてしまったから、触れられなかった。当人以上に、深刻に受け取ってしまった。


 やっぱり、気を遣いすぎではあるけれど。


「だから、実際は何でもよかったんです。同じ失敗を繰り返さないように、強くさえなれれば。FBを選んだのは……まあ、未練もあるんですけれど、ね」


 頭を掻きながら、くしゃりと顔を歪め、それでいて恥ずかしそうに。

 その表情が――いや、そうじゃない。彼女の覚悟が、生き様が、今の俺には眩しかった。


 白雪が俺に自分を重ねたように、俺も勝手に彼女の心情を想像してしまったから。だからこそ、尊敬する。俺は逃げ出してしまったけれど。白雪は立ち上がり、立ち向かうことを選択した、その事実に。


「……もう、十分に強いじゃないか」


「ふぇ?」


「細かい事情は分からないけれど、逃げ続けるのを止めたんだろ? その選択が出来た時点で、君の心は強いよ。……ま、俺が言えた義理じゃないけど」


「そ、そんなことないです。ありがと……ございます。不知火くんに認めてもらえるなんて……その、嬉しいです」


 もじもじと指先を弄りながら、しどろもどろに呟く。普段とのギャップが凄まじく返答に窮していると、隣で黙っていた羽美がようやく口を開いた。


「教えてくれてありがとう。あんまり話したことなかったのに、急に聞いちゃってごめんね」


「い、いえいえ! いつか不知火くんにも話さなきゃと思ってたので、むしろ感謝感激雨あれれ、です!」


「唐突にボケを突っ込んでくるな。反応しにくいだろうが」


「はい? 何のことですか?」


「……ギャグのつもりか」


「お、よく気がつきましたね! あれれと、お惚けを掛けた高等技に!」


 にしし、とすっかりいつも通りに笑って見せる白雪。さっきの話を聞いた後だと、テンションが高いのも周囲への気遣いだろうと勘ぐってしまうな――なんてことを考えていると、音を立てて羽美が立ち上がった。


「ごめん、急がないと遅刻しちゃうから、先に行くね。今日は付き合ってくれてありがとう。また学校でね」


 羽美は早口で捲し立てると、返事も聞かずに食器を乗せたトレーを持って立ち去る。相変わらず人当たりのよさそうな笑顔のままだったけど、少し引きつっていたような……?


「なんか、様子がおかしくありませんでした?」


 接点が少ないはずの白雪ですら違和感を覚えたようで、心配そうに問い掛けられる。白雪が感情の機微に敏感だとしても、簡単に察せられるなんてよっぽどだ。


 とはいえ、無駄に心配させる必要もないか。


「よっぽど時間が危なかったんだろ。気にするな」


「ん~、その『俺は分かってるぜ』感……やっぱり怪しい」


「じゃ、また後でな」


「ちょいちょーい! 面倒になったからって放置しないで下さい! 泣きますよ? マジで泣いちゃいますよ!?」


「ったく……ほら、いくぞ」


「やだ、急に優しい……惚れちゃいました!」


「……チッ」


「すみません。マジなのは止めて下さい」


 早くも天丼になりつつあるやり取りをしながら、すっかり姿が見えなくなった羽美に続いて、俺たちもフードコートを後にした。

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