第9話 ~襲撃からの朝食~

「……眩し」


 カーテンの僅かな隙間を縫って差し込む光から逃れるように寝返りを打つ。枕元を手探ってスマホを掴み取り、画面をタッチすると現在時刻が大きく表示された。


 ……八時半前か。平日であれば遅刻確定の時間だけれど、今日は土曜日。気兼ねなく惰眠を貪れるというものだ……が、今日は午後から部活がある。


 昨日、陽姉にリアテンドを返した時、「今後の方針について話があるから必ず集まりなさい」って釘を刺されているからな。無視するわけにもいかない。


 ということは、午前中にリアテンドを買いに行かないと。……まあ、いいか。また陽姉に借りれば。それよりも睡眠だ。久しぶりに没入ダイブした影響なのか、猛烈に眠い。


 十一時までに起きれば問題ないと判断し、念のためにアラームをセットしてまどろみに身を任せようとした時、俺はようやくその存在に気が付いた。


 見慣れた自室にいるはずのない、圧倒的な異物に。


「おはよ」


「……おす」


 座布団の上にちょこんと、姿勢正しく正座で待機していた女の子の挨拶になんとか返事をしながら、俺は動揺したままにベッドから身体を起こす。


羽美うみ、どうして俺の部屋にいる」


「陽姉に頼まれたの。リアテンドを買いに行かせたいけど、颯だけだとめんどくさくなって引きこもるだろうから連れ出してって」


「そんな理由でわざわざ来たのか?」


「わざわざって距離でもないでしょ。徒歩十秒じゃない」


「いや、そうなんだが、そうじゃなくてだな……」


 三年間、一言も喋らなかったとは思えないほどナチュラルに話す同級生にてクラス委員長――夜桜よざくら羽美うみは隣の家に住まうご近所さんで、いわゆる幼馴染に分類される女の子だ。


 物心ついた頃から一緒にやんちゃして、怒られて、最後には笑い合う。そんな時間を共にした、親友と呼んで差し支えない友人の一人――だった。


 ――少なくとも、三年前までは。


 けれど、今は違う。俺にとって夜桜羽美は『家が隣で同じクラスだけど、話したことはない女の子』へとクラスチェンジしていて。


 それは羽美にとっても同じはずで。


 だから彼女がここに居るのは不自然極まりない。いくら陽姉の頼みだからって、外出用らしき見栄えする服装で俺を迎えに来るなんて、有り得ないし有ってはならない。


「ほら、早く準備しなさいよ。わたしは一階で待ってるから」


「待て。俺はまだ納得してな――」


「十分以内。時間厳守」


 俺の言い分には聞く耳を持たず、鋭く言い放つとそのまま部屋から出て行ってしまった。


 心底訳が分からない。俺と羽美が疎遠になっているのは陽姉も承知の上だろうに、どうして引率を依頼したのか。そして、羽美はどうして引き受けたのか。


 どれだけ考えを巡らせてみても、ずっと無表情だった彼女の心境をくみ取ることは出来なかった。


 ◇ ◇ ◇


 着替えを済ませて自室を後にし、リビングの扉を開けると香ばしい匂いが鼻孔をくすぐった。


「ようやく降りてきた。ほら、早く食べないと冷めるわよ」


 相変わらず感情が読めない表情のまま、先にテーブルで待ち構える羽美。


「あ、ああ」


 なんとも曖昧に応えながら、俺も自分の席に着いた。テーブルの上にはベーコンエッグやらトーストといった、朝食らしい朝食が並べられている。それも二人分。


「それじゃ、いただきます」


 困惑する俺をよそに、羽美は行儀良く手を合わせてから、おそらくは自身で用意したであろう料理を食べ始めた。


「……いただきます」


 正直、食事よりも先に問い質すべきことが溢れているが、人間空腹には敵わないものだ。食べ物に貴賤なし、である。

 特に会話をするでもなく、黙々と料理を口に運ぶ。うん、普通に美味しい。


「わたし、コーヒー飲むけどいる?」


「頼む。あ――」


「砂糖とミルク多めで、でしょ。相変わらず子供舌なんだから」


「……ほっとけ」


 小学生でブラックしか飲まなかったマセガキのくせに。


「はい、お待たせ。お子様用ミルクたっぷりカフェオレ」


「サンキュ」


 しばらくして、二人分のコーヒーを手に羽美はテーブルへと戻ってきた。数年前ならいざ知らず、身に付けたスルースキルで皮肉がたっぷり込められたカップを事も無げに受け取る。


「どうして不満気なんだよ」


「べっつにー。不満なんてありませんよーだ」


「よくもまぁ、そこまで白々しく言えるもんだな」


「友達と仲良くするには必須のスキルよ……あ、ごめんね」


「俺の交友関係について揶揄したつもりなんだろうけど、痛くも痒くもないな。人気者のクラス委員長には理解し難いかもしれないが、周囲に気を遣わなくていいのは独り身の大きなメリットだぞ」


「……頭良くなって、昔より偏屈になってない?」


「さあな。自分じゃ判断できない」


 正に売り言葉に買い言葉。数年間のブランクなんて無かったかのように、俺達は言葉を飛ばし合う。


「で、感想は?」


「何に対して?」


「……あのね、紛いなりにも女の子の手料理を食べたんだから、一言あってもいいんじゃないの」


 一段と目を細めて睨みつけてくる。不満げなポーズを取ってはいるが、長く伸ばした黒髪を右手で弄っているので、凄みは全く感じられない。

 

 ……落ち着かないときに髪を触る癖、まだ直ってないんだな。


 記憶と違わない姿に、思わず息が漏れる。


「ふっ」


「ちょっと、何笑ってるのよ。わたしの料理なんて評価に値しないって意味?」


「違う違う。美味かったよ」


「ふ、ふん! だったら最初からそう言いなさいよね」


 俺が素直に褒めるとは想像していなかったようで、不意を打たれたようだ。ほんのりと頬を赤らめて、ぷいっとそっぽを向く。


 学校じゃ、おしとやかな品行方正キャラで通しているみたいだけど、なんてことはない。中身はこれっぽっちも変わっちゃいない。


 たったそれだけのことで、心が少し軽くなった。


「なんにせよ、相変わらず元気そうでよかったよ」


「まあ……おかげまで、ね」


 なんだか急に歯切れが悪くなったな。変なことを言ったつもりはないんだけれど。


「と、とにかく! さっさと片づけてリアテンドを買いに行くわよ。今日はそのために来たんだから」


「待て」


 慌て気味に食器を手にして立ち上がろうとする羽美を制止し、まとめられた皿を奪い取る。


「わざわざ朝食を用意してもらったのに、片付けまでさせられるか。お前はゆっくり座ってろ」


「……ん」


 羽美は案外素直に腰を下ろし直したので、俺は食器類を台所へと運び、勢いよく水を流して洗い始める。


「……はやてはさ、結構変わった……ね」


 零れ出した言葉は、蛇口から絶え間なく奏でられる水音に混じり、俺に届くことなく流れていった。

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