猟奇殺人には向かない夏

名取

お客様、無茶振りはおやめください





 冷やし中華にするかな。昼。


 そんなことを思いながらレジを打っていた時だった。缶コーヒーを一本持ってきたサラリーマンが、スキャナーをピッとやろうとしていた俺の手をいきなりがっしと両手で掴んで、こう言ってきた。

「頼む。私を殺してくれないか」

「……」

 恐る恐る、サラリーマンの目を見る。それなりに焦点は合っているから、薬でラリってるという訳ではなさそうだ。が、言ってることは思い切りクロだし、もしやブラック企業に勤めすぎて、病んじゃったか。


「困ります、お客様……」


 俺は酷暑で頭の沸いてしまった哀れなサラリーマンを諭しにかかる。

「今は不在ですけど、ここの店長怖いですよ。それになぜ、俺なんすか。頼むならもっといるでしょ、人身売買のブローカー的な人とか、ニキータとか、ジョン・ウィックとか」

「でも八月一日ほづみくん、君だろ? 三年前、巷で噂になってた猟奇殺人鬼は」

「はい?」

 サラリーマンはあっけらかんと続けた。

「だって私は、三年前、息子と妻を君に殺されたんだから」

「は、はあ……」

 暑さのせいではない汗がひっそりと背中を伝う。


 三年前の夏、確かに俺は、


 捕まることなく逃げおおせたのは、自分でも不思議だったし、未だに奇跡だと思っている。「衝動的な犯行」とでも言えばいいのか、自分でも詳細は覚えていないが、ニュースで事件が取り上げられる時、俺のそれはいつも「猟奇殺人」と呼ばれていた。猟奇という言葉の意味が当時よくわからなかったけれど、どうやら「異常」と似たような意味らしく、勉強になるなぁ、と感心しながらテレビを見ていた記憶がある。


『被害者は全員自宅で発見され、バットのようなもので撲殺されています。解剖の結果、被害者の体内には、犯人に無理やり食べさせられたとみられる食物が大量に残っていたとのことです。また現場には三脚が置かれた形跡があり、犯人が殺害の様子を撮影するのに使っていたと見られます——』


 だがすぐに殺人にも飽きて、その後はしばらくバイト生活をしていた。

「いや……でもなんで俺が犯人だと断言できるんです? ていうか、あんたの言ってることが真実なら、ますます意味がわかんないし。普通、逆でしょ? 『俺を殺してくれ』じゃなく、『お前を殺す』でしょ、ここは」

 サラリーマンは苦笑した。

「まさか。私は憎しみなんてこれっぽっちも抱いてない。むしろ感謝してるんだ。あのろくでもないクソガキとクソ女を殺してくれたんだからね」

「いやだから、なんで俺の仕業って……」

「見てたから」

「は?」

「私はね、あの時んだよ。君が二人を殺すところを」




 三年前も今年も、大して体感としては変わらない。


 暑い。以上。終了。

 ある一定値を超えた暑さは全部同じに感じられる、それが人間なんじゃないだろうか。

「で、あんたはクローゼットに隠れて俺の殺しを見てたと」

「ああ。家族全員用のウォークインクローゼットにね。だから幸い、君には気づかれなかったし、狭苦しくもなかったよ。でもちょっと暑かったかなぁ」


 茹だる街中を歩きながら、俺は私男と会話をする(バイトは昼で終わった)。


 向かう先はとりあえずファミレス。サラリーマン男の話を聞いているうちに、おぼろげではあるものの、記憶が蘇る。夜のバッティングセンターで出会った、不良集団のリーダーっぽい金髪男。俺の最初の被害者であるそいつが、このサラリーマンの息子だったらしい。

「てか、なんで家族が殺されて嬉しいんです?」

「うーん、私はねえ。あまりいい父親ではなかったんだよね。昔から要領が良くなくて。でも、できる限り有給取って、家族との時間もとって、家事も妻と分担して、子育て本も読んで、息子が悪いことしたら叱って、いいことをしたら褒めて……できることは全部やっていたよ。でも息子は悪さばかり。毎晩私に暴力三昧さ。妻の方は息子が人を傷つけても、学校をサボっても、『きっと理由があるのよ』と知った風に言うだけで、怒るということを一切しなかった。私が少し注意しただけで『怖い』『虐待だ』と、二人してギャーギャーギャーギャー……あの家では、いつでも私が悪者だった」

「うわぁ。なんでそんな女と結婚したんすか」

「妻は結婚してから本性を現したんだ。外では『優しい奥さん』って感じなのに、家では『リモコンが見つからない』とか、些細なことで常に怒っていた。その原因も、彼女自身がリモコンをしまい忘れたとか、そんなのばかりでさ。家では怒鳴りながら私に刃物を向け、外では私に関するありもしない噂を流した。孤立無援の私は、さらに妻と子供に縛られるようになった。結婚前から妻に感じていた違和感を、愛嬌と思って見て見ぬ振りをしたせいで、恐ろしい地獄にはまってしまった……というわけだよ」


 まあ、ありがちな話ではある。

 そう思いながらふと見れば、道路沿いの家の庭に、大きな向日葵が咲いている。


 太陽をまっすぐ仰ぎ見るような姿で、炎天下でも、はつらつとして美しい。さすがは、花。汗だくでみっともない人類とは違う。


「仕事でも家でも、頭を下げっぱなしの日々だった。神に誓って、私は家族に暴力を振るったことは一度もないよ。でも、限界がきてね……君が家にやって来た時、ちょうど私はクローゼットで、首を吊るためのネクタイを探していたんだ。もう死んだほうがましだと思ってね」

「でしょうねぇ」

「聞いてもいいかな。君はどうして人を殺そうと思ったんだい?」

「え? いや、うーん……」


 急に聞かれて、口ごもる。どうして殺したのかは自分でもよくわからない。


 確かあの時……最初に人を殺した時も、特に感情の高ぶりとか、そんなものはなかった気がする。そういうものだと思う、世界新記録を打ち立てるようなオリンピック選手だって、きっと普段と同じようにやっていた時にたまたま記録が出たというだけで、そこに大きな感情の動きというものはきっとなかったはずだ。俺のもそうだった。いつもやっていたことを、いつも通りやっただけ。その結果が、だった。


『痛いっ、痛いっ』


 がそこにいることに気づかなかったのだ。耳に聞こえていたのはブォン、ブォン、とバットが空を切る規則的な音だけだったし、目に見えるのも、黒いまぶたの裏側だけだった。想像しろと言われていた。イメージトレーニングだ。ライバル校のピッチャー共を思い浮かべろ。あいつらがバカにして、ニヤニヤ笑ってる。舐められたままでいいのか。よくないだろ。さあ、そのバットを思い切り振って、見返してやれ。


 毎晩毎晩、部活から帰ってすぐ、素振りをしていた。


 部活がない時でも、学校が終わったらどこにも寄り道もせず、友達とも会話せず、まっすぐ家に帰って素振りした。「俺が帰ってくるまで、練習風景をスマホで撮影しておけ」と言われていたので、その通りにした。一度サボったのがバレた時、腕立てやスクワットを寝ずにやれと命じられた。うとうとすると、すぐさまバットで腹を突かれて起こされた。翌日の学校は仮病で休んだが、食欲がないと言うと、「栄養不足はアスリートの敵だ」と言って、無理矢理に胃に食事を流し込まれた。俺はすぐに、素振りの方が何万倍も楽だと学習する。


「八月一日くんはさぁ」


 いつの間にか、サラリーマンが俺の手を取って眺めている。

「すごーく手が綺麗だよ。指がすらっとしてて、細くてさ。きっと君の手は、ピアノを弾くためか、あるいは人の首を締めるために造られたんだよ」

「うっわ、ベタベタ触んないでくださいよ暑苦しい。てか最後のは余計っすよ」

「そうかなあ。大事なことだと思うけどな」


 父の死体は、家ごと燃やした。調査はあったが、幸い父はタバコの不始末による火事で死んだことになった。俺は親戚に引き取られ、街を出た。


「私は以来、八月一日くんを尾行して、陰ながら手助けすることにした。子供の君に気を遣わせたくはなかったからね。君が逮捕されなかったのは、私が目撃者の口を封じたり、殺人現場から物証を消し去っていたからだよ」

「は、はぁ? なんでそんなこと……」

「だって私が君にできることと言ったら、それくらいしかないだろ?」

 困惑する俺に、しれっと彼は言う。

「しかし警察は執念深く捜査を続け、とうとう君に目をつけ始めたようだ。だから私は急遽、過去に現場から持ち去った証拠等を使って、君ではなく私が犯人だったのだと警察に信じさせるための入念な偽装証拠と筋書きを作り上げた。あとは簡単だ。。警察には『見知らぬ男に突然襲われ、抵抗するうちにはずみで殺してしまった』と言ってくれ。そうすれば私のシナリオ通り、世間は私が猟奇殺人鬼だったと確信し、罪を免れるためいたいけな少年に疑いがかかるようにし、あまつさえ殺そうとしていたのだと考える。そして君は正当防衛が認められ、自由になれる。どうだい? 私にしてはなかなか上手い計画だろ?」

 俺は再び彼の目を覗き込む。死にたくない、みたいな感情が全くない。殺しの中で学んだことが一つある。人には二種類いて、それは自分のことを世界で一番の重要人物だと信じてる派と、どうでもいい存在と思ってる派だ。


 俺はふと思い出す。

 金髪男はあの日こう言っていた。「俺の親父は他人に頭下げるだけのクソだ」。俺は思った。

 親を敬えない奴なんて死んだほうがいい。


「……夏は、やめときましょう」

「えっ?」

「だって色々と不向きっすから。死体すぐ腐るし、汗かくし。だからとりあえず、秋になったらで」

「確かにそうだね。君がそう言うなら、そうしよう」

 当たり前だ。夏は、猟奇殺人には向かない。夏は黙ってスポーツなり海水浴なりして、バカ晒してりゃあいいのだ、人間なんて。


「あーあ」


 なんとなく、向日葵のように顔を上げる。目に映るのは泣きたいくらいに青い、2020年の夏の空。


 殺し方を考えるのは、冷やし中華食べてからでいいか。


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