初恋

瀞石桃子

第1話


さくら


十年ぶりに見たきみは、ずいぶんと可愛くなっていて、その少し垂れ気味の優しい目と、名前のとおり、ほんのり桜色をした頬だけは変わらなくて、おそらく、きっと、髪がなびくと、初恋を摘んだような、甘い香りがするのでしょう。

十年前のきみは、人づてにぼくに告白をして、ぼくはそういうのに馴れてるわけもなくて、好きということを交際に結びつけることができなかったものだから、さりげなく放っておいてしまったのです。あとになって、女の子にやたらめったらびいびい言われたけれど、結局ぼくは、にべもなく、澄ました顔で、同性と遊んでいました。

他の女の子よりも背が高かったきみは、とても大人びているように見えて、実際に、大人の感性やら感覚をつかみ始めていた時期でもあったのだと思います。誰かを好きになる、そんな天文学的確率の事象を、きみのその小さな心臓は、勇気ある行動に移させました。

告白するというのは、並みのことじゃあないし──それだから間接的にぼくに伝えたかったのかもしれないけれど、一方で、ぼくはまだ、恋と闘争をする覚悟というか、迎え撃つための準備が遅れていました。だから、十年ぶりのきみに対して、それを、ちゃんと、謝りたいと思うのです。

ぼくは、離ればなれになってからの十年の幾星霜、きみのことをぜんぜん知りません。そして、久しぶりの巡り合わせに相成って、ぼくはきみのことをたくさん知りたいと思いました。この十年、きみはどう成長をして、何に真摯に向き合い、今の、より美しい姿になることができたのか。その、ありとあらゆること、どんな瑣末なことでも構わないし、冗談でも、一向によろしくて。ぼくはきみのことを、たくさん知りたいのです。

聞き出すことがむずかしいことも、あります。きみは、できたてのクッキーみたいに飛び抜けて可愛い女の子だから、引く手数多で、さも、さぞ、大恋愛をしたに違いない、という想像が胸中にあります。しかし、これをきみの口から聞くのは、たいそう辛いことだと理解してほしいのです。なぜなら、ぼくは、きみの知らない十年の中で、記憶の中にあるきみにたいして、さりげない恋心を根深く抱いていたからです。もちろんぼくが恋をしていたのは、ほんとうのきみではなくて、いわば幻想の中のきみなので、見方を変えると、ひどく都合がよくて、ともすればいやらしいのですが、この恋そのものは、ぎゅっと握りしめると破裂してしまうような、きわめて清らかなものでした。

はっきり言いますが、幻想は、傷ついてしまってはおしまいです。幻想の中のきみは、聖女であります。当然、汚れを知りません。このきみが、現実に立ち返って、十年のうちに、さまざまな恋愛に身を賭してきたとすれば、ぼくはもう、すべてのことがたまらなくなって、年甲斐もなく喚きたくなって、だけどもそれはできないから、ひたすら絶望に暮れて、最後に、ちょっぴり死にます。

恋というものは、刃物に違いありません。使うほうは、丹念に磨きをかけようとするものです。だから大切にしようとします。そうして磨けば磨くほど、その艶やかさは増しますが、差し向けられたほうは、その見覚えのないキラキラに、直感的にいのちを刈られる恐怖に溺れます。これが恋における絶望のひとつです。

ぼくは、度量がないので、恋の絶望とかち合うことが絶対に嫌でした。だから、何があっても聞くものか、と心に決めていました。好奇心の猛獣は力ずくで抑えるほかありませんでした。

ところが、いざ十年ぶりにきみと話をしてみると、意外なほど、きみは前と変わらなかった。お調子がよくて、自分に自信があるような口ぶりをして、と思うや、軽やかに自虐をして、くるりくるりときみはとても面白い。でもほんとうは、見栄と羞恥心のつり合いを保つために、そんなふうな振り幅のある話し方をしていたことを、ぼくはよく知っています。で、それは昔も今も変わりませんでしたね。

そこで、ぼくは(はしたないですが)ぐっと安心してしまったのです。

ぼくの中の好きという感情が、別の何かに振り回されなかったことが、とても嬉しく感じられたのです。(恋は身勝手なので、落ち着きがなく、別の場所に移動しやすい性質があります)

今は情報社会の時代だから、名前を検索すれば簡単に情報が特定されます。ストーカーじみていますが、ぼくはきみのことを知りたくなって、お名前を調べました。

所詮ただの情報なので、真意は確認しようがありません。だからいろいろわかりそうなこともあれば、どんどんわからなくなることも増えて、それが飽和すると、抜き差しならない状態になって、ぼくは身動きが取れませんが、あの、その、もしかしたら、現在、きみは特定の異性とは付き合っていないのでしょうか。もしそうだとすれば、ぼくは小躍りしちゃいます。はしゃいで、頭をぶつけるかもしれません。どうしてか、わかるでしょう。自分の好きな人が自由であるという認識が、どれほど人の希望になるか。どん底にいても、それだけで救われてしまうのです。これぐらい、人間は単純なものなんです。

しかしながらぼくはもう、これ以上、きみのことを念入りに突き詰めるつもりは、毛頭ありません。きみが素敵なまま、素敵な人生を送ることを祈るばかりです。

そしてぼくは、ふたたび、幻想のふちにゆっくりと足を踏み入れて、きみというたえまないまごころの存在に呑まれるために、とめどなく、目を瞑るのです。


──おやすみなさい。



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