第33話 駆け落ち……?

「そういえば、どうしてお二人とも、お金を持っていなかったんですか?」


 睦月を家に送り届けている最中に、ふと思い出した様子で彼女が聞いてきたのである。


 それはもっともな疑問だと俺は思った。夜の九時過ぎに、二人連れだってファミレスにやってきたくせに、どちらもお金どころか財布すら持っていなかったのだから。


 しかしなあ……。


 こちらの事情について、どこまで話していいものか。言えば心配もさせてしまうだろうし、なにより鮎菜ねーちゃんが個人的に抱えている問題に関しては軽々しく人に話していいものではないはずだ。彼女には、本来なら帰るべきはずの家に、おいそれとは帰れない相応の理由があるのである。


 だからといって、なんの説明をしないのはいかにも不自然だ。梅雨の近さを感じさせる、湿っぽい空気を鼻から吸い込みながら、ちょっと考え込んでしまう。なにか上手い感じに納得してもらう方法はないものか。


 そんな風に俺は考えていたのだが、鮎菜ねーちゃんが「あのね……」と先んじて話し始めた。


「実はわたしたち、家を出てきたの……」


「……え?」


 その告白に、睦月の目が見開かれる。


 俺も、そっと視線を逸らせた。……正直、鮎菜ねーちゃんの口から語らせるのは気が引けた。だけど自分で話すと彼女が決めたなら、その選択は尊重するべきだと思った。


「ちょっとね、色々あって。それで夜も遅いのに、大樹君がわたしを強引に外に連れ出してね」


 ……ん?


「『お前をどこにもやったりしない!』って言ってくれてね、それがすごい情熱的で……おねーさん、ドキドキしちゃったんだけど……」


 んん?


「でもこれから二人でどこに行こうか、そんな当ても全然なくてね? まさか急行列車にいきなり飛び乗るわけにもいかないし、だけど帰るに帰れなくなっちゃったし、だからとりあえず食事でもして落ち着いて話し合うつもりだったんだけど……わたしも混乱してたんだなあ。お金持たずに飛び出してきたの、忘れちゃってた」


 そこまで言った後、鮎菜ねーちゃんは星明りの下でもはっきりと分かるぐらいに赤らんだ頬に片手を添えると、熱の篭った声で呟いた。


「はぁ……大樹君の手ぇ、あっつかったなぁ……」


 睦月は鮎菜ねーちゃんを見て、それから俺を見て、そしてまた鮎菜ねーちゃんへと視線を戻したのち最後に俺へとまた目を向けると、ぽつり、端的な言葉を口にするのであった。


「……………………駆け落ちですか?」


「そうなりますよねえええええ!?」


 いやでも待って!? 断じてそういうのじゃないんです違うんですこれは誤解なんですよ本当に! 全体的な流れは基本的になにも間違っていない上に、一部真実も含まれていますが、それは恣意的な意図で抜き出された情報操作に他ならないんです! 駆け落ちだなんて、そんなロマンチックな代物じゃあないんですよこいつは! お分かりになります!?


 そもそも鮎菜ねーちゃんは、俺からしてみれば実の姉のごとき存在なわけで、それはもう愛は愛でもそこにあるのは家族愛であってお互いに恋愛感情などを向けるような間柄ではなくてですね!? そりゃ確かに魅力的な女性だとは思いますが、ええ、断じて恋するような相手などではございません! そこはお間違えなきようにドゥーユーアンダスタン!?


 俺は泡を食って説明を試みた。その上で、詳しい事情については鮎菜ねーちゃんのプライベートな問題に関わることでもあるから俺の口から説明することはできないが、二人して事実上の家出をしてきたのは確かであるというようなことを睦月に話した。


 だが、俺のそんな決死の説明に対する彼女たちの反応は、


「一部真実も含んでいるんですね」


 と、睦月。


「恋愛対象じゃないってそこまで強調されちゃうと、自分がとんでもない地雷女のような気がしてきちゃうなあ……」


 と、鮎菜ねーちゃん。


 どうにも理解を得られたような気がしない俺は、妙な徒労感をずっしりと肩に覚えてしまった。


 とはいえ、二人して家を飛び出してきたことと、これから行く当てがないということは確かである。差し当たっては、今晩をどこでどう過ごすか、それが問題なのであるが――。


「あの、今夜、どうするかはまだ決まってないんですよね?」


「ん? あー……おう。まあ、そうだな……」


 正直、正人が仮にあんな状態になっていなければ向居家を頼るところだったが、それも正直、今は厳しい。ただでさえ大変なことになっているのに、俺たちの問題まで持ち込むわけにはいかないからだ。


「あの、もしよかったらなんですけど、その……それなら、うちに来ませんか?」


 少し遠慮がちな声で、睦月がそんな風に言ってくる。


「うちなら、部屋にも余裕がありますし、どうせ親が帰ってくるような場所でもないのでどれだけいてくださっても構いません。なにより、その……」


 そこで睦月は不意に口ごもる。そして、こちらの反応を窺うように、そっと上目遣いに視線を寄こしてきた。


 そんな彼女の態度を見て、俺はファミレスでのやり取りを思い出す。一人になることが怖くなって、夜遅くであるにも関わらずあんなところで一人きりでいた睦月。その心の中では、どれだけの不安を抱えているのか……俺には正直、推し量ることができない。


 ただ、そんな俺でも、彼女の気持ちをよく理解できる部分はあって。


「……誰もいない家に帰るのは、寂しいもんな」


「……」


「誰も帰ってこないと分かってる家にいるのは、苦しいもんな」


「……はい」


「鮎菜ねーちゃん」


 そう呼んで鮎菜ねーちゃんの方へと俺が視線を向けると、彼女は心得た様子で微笑みを浮かべ、うなずいた。


「わたしは、大樹君がそう決めたなら、それで構わないよ?」


「ありがと、ねーちゃん。愛してるぜ」


「それならこっちも負けないわよ?」


「や、やっぱり駆け落ちなんですか?」


「家族愛のほうだ!」


 ――なんて一幕が、星空の下で交わされたというわけで。


 かくして、俺と鮎菜ねーちゃんは、睦月の上で居候ライフを送ることとなったのであった。

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