第17話 夜の帰り道
まあ? だからなんだ、という感じな話なわけで?
その後、睦月を家まで送り届けた帰り道で、樹里はそんなことを思っていた。
ほんのりと、そんな気はしていたのだ。もしかしたら、あたし、けっこう大ちゃんのこと好きなんじゃね? ぐらいのことは。うん、なんかそんな気はちょっとしていた、かもしれない。別に睦月に指摘されて気づいたのが悔しかったとかそういうわけじゃない。断じてそうじゃない。じゃない、んだってば。
……まあ、決定打だったとは思うけど。おかげさまで、気づいていない、分ってない、そんなフリもできなくなってしまったのだけど。
まあ、言ってしまえば愚痴というか、相談というか、そんなようなものだ。最も、樹里が睦月に心を許したのかと言われれば、そんなこともない。本当に違うのだ。絆されてなんかいない。あんなやつに絆されてたまるかとすら思う。ただ、まあ、一定の利用価値みたいなものがあるというのは認めざるを得ないのではないか? そんな気もする。樹里としても、正直にっちもさっちもいかなくなってしまっていたし。第三者の意見は重要だ。あと、兄に相談するよりか、多少は恥ずかしい感じもしない。そこはね? ほら、他人だしね?
「あなたはいったい、なにをやっているんですか……」
ふと、睦月との会話を反芻する。真っ先に頭に浮かんだのは、呆れた様子でそう言ってくる睦月の顔だった。
大樹に、大嫌いと言ってしまったことを打ち明けた直後の反応である。無理もない。自分が睦月でも、同じようなことを言っていたかもしれない。だが抗弁させてほしい。樹里とて盛大に後悔しているし、あんなことは言わなければ良かったと思っているのだ。
——などと主張する樹里に、睦月はいかにも説教臭く彼女なりの理屈を説いて聞かせてきたのであった。
「あのですね、樹里さん。まさかとは思いますが、あなた、待ってさえいれば大樹君が勝手に自分の気持ちを察して受け入れてくれるはず、だなんて思ってはいませんか?」
「……うっ」
「その様子だと、思っているんですね?」
睦月には珍しく、ジトっとした感じの目つきだった。妙にいたたまれなくて、樹里は視線を逸らしつつ彼女なりに反論の言葉を慌てて探す。
——だって、これまではそうだったし。
——昔は大ちゃん、あたしのことなんでも分かってくれたし。
——だから今だって、大ちゃんならきっと分かってくれるし。
——てか、そもそも、大ちゃんならあたしのことよく分かってるはずだし。察してくれるし。そのうちきっと。だから全然オッケーだし。だってそうじゃない? 昔から一番にあたしのこと分かってくれるのいつも大ちゃんだったんだし、だったら今でもちゃんと分かってくれないとおかしいと思うじゃない? それが普通じゃない? むしろ分かってくれない方がおかしいんじゃない? 大ちゃんならそのはずじゃない?
「さっきから、『じゃない』が多いですね」
——やかましいなあ。
樹里がムッとした顔つきになると、睦月が「はぁ……」とため息をついた。
それから、鋭く、ぴしゃりと、割とキツめの口調で睦月は言う。
「……で、樹里さんが大樹君の立場だとして、あなたはその気持ちとやらを察することができるのですか?」
「……うっ」
「友達の女の子を紹介すると言ってきたり、新しい恋でも探してみたらと勧めてきたり、そんな自分の意見の方が正しいのだと主張してしてきたり、それでいざ合コンに行ってみたりしたところ文句を言われて機嫌を損ねてきたり、ついでに大嫌いと言ってきたりした相手が、自分に好意を——あまつさえ恋愛感情を抱いていると樹里さんは気付くことができるのか、という話をしているのですよ」
「……正しい意見なんて聞きたくないんですけどー」
「そう感じるということは、あなたも答えが分かっているということですよね?」
「……」
正論をぶちかますときの睦月は本当に容赦がない。そしてぶちかまされた方は言葉もない。
説教くせえなこの女、とか、やかましいなこのクソ女、とか、いちいちうっせーんだよこのクソビッチ女、とか色々思うところはあるけれど、八つ当たりだという自覚もあるので口にすることすらできない。
「いいですか? 人は、魔法使いなどではないのです。他人の気持ちなんて言われなければ分かりませんし、言葉にされていない気持ちは推測することでしか推しはかることはできないんです。極論、言葉にされた気持ちすら、それが本当なのかどうかすら分からない。他人の頭の中身を、都合よく見て取れるようには、人間という生き物は作られてはいないんですよ」
「……言われなくても、分かってるっての」
「なら、そのための努力をしなくてはいけませんよ。察してもらいたい、分かってもらいたいという気持ちについては確かに理解できますが、そのためには時に言葉や態度を尽くすことはとても大切なことですから」
それができなくて困ってんだよ、とは思う。
だけど、同時に、今の樹里にとっては身につまされる話ではあった。
「……はぁ」
そこまで反芻したところで、樹里はため息をこぼしていた。なんだろう。正論って痛い。それが避けてきたことだとすると、特に。
反発したい気持ちはある。反論したいという思いもある。だがまあ、睦月の言うところの努力をサボってきたから大樹と拗れたのも事実なわけで、なにをどう返しても根拠が乏しくなるような気がして返す言葉などそれこそない。
そんな風に落ち込む樹里に、コンビニで買ったプロテイン飲料を飲んでいた正人が話しかけてきた。
「どうした、樹里? ため息なんかついて」
「……や、別に。ちょっと、まあ、色々と」
「睦月とか?」
さらっとそう聞いてくる正人に、樹里は驚いた表情になりながらもうなずいた。
「分かるんだ?」
「このタイミングで、そんな凹み方されたら、そりゃな」
言われてみれば納得であった。態度としては確かに、分かりやすかったかもしれない。
「ありがとな」
「なんで、唐突に、お礼?」
「睦月のことはよく思っていないだろうに、今日ついてきてくれて、ありがとなって言ってんだよ」
「半ば兄貴に脅されたようなもんなんですけど?」
「ま、兄としては、自分の恋人と妹にはそこそこ仲良くやってほしいと思っちまうんだよ。お前にとっちゃ余計なお世話だって分かってても、ついな」
かすかに苦笑いを浮かべ、正人は言った。彼の手の中で、飲んでいたプロテイン飲料のパックがぐしゃりと潰れる。
「……別に、余計なお世話ではあるけど」
「あるのか」
「まあ、そこはね、ほら。あれだし。ってか、なんだろ、兄貴ってさ、割合なんか、そういうとこあるよね」
「そういうとこって、どういうところだ?」
「あー、なんだろ。なんてか」
言葉を探す。時として自分は口が不器用だ、と樹里は思った。
「けっこうなんだろ、そういう感じの、なんか、言いにくいことでもはっきり言っちゃうみたいな、そんなとこ」
「あー……いや、でも言わなきゃ分からんだろ?」
「や、それはそうなんだけどさ。てか……そうなんだけど、なんだろ、あたしにはあんまそういうとこないなー、みたいな……兄妹なのに」
樹里がそう呟くと、正人はフッと口元に笑みを浮かべた。
それからポツリと、呟くように、
「……ま、なんでもかんでもはっきり言えばいいってわけでもないんだけど、な」
と、口にする。
「え?」
「思うんだよ、オレ。確かにさ、オレは思ってることや考えてることをはっきりと口に出す方だけど、言わないでいた方が良かったこともあったのかもしれないなってな」
「そうなの?」
「ああ」
正人がうなずく。
「例えばさ。睦月のことが好きだって、大樹にバカ正直に相談するんじゃなかったな思うんだよ。当時はめちゃくちゃ感謝してたけど、今になって後悔してる」
「……」
「無駄に傷つけちまったかもしれねえな、って思ってな。言わないままでいたら、もしかしたら今もオレたちは変わってなかったかもしれない。過去は変えられねえし、考えても意味はねえけど、それでもな。思っちまうよ」
「……兄貴は、別に」
「悪いとか、悪くないとかじゃないんだよ。大樹を傷つけたいわけではなかった。でも、そうなってしまった。あいつの気持ちにオレは気づいてやれなかったし、結果的にはオレの気持ちだけを押し付けることになってしまった。もっと上手い方法が他になかったのか、それをつい考えてしまう。それだけだ。そして——」
そこで不意に、正人が樹里に目を向けた。とても真剣な目をしている。
「大樹に言うべきかどうかで、今、悩んでることがひとつあってな」
「悩んでること?」
「ああ。実は——」
正人の口から告げられた言葉に、樹里は思わず目を瞠る。
「兄貴、マジで?」
「ああ。マジだ」
「……そっか」
樹里がわずかに視線を俯けた。その表情は、どこか寂しげですらある。
「大ちゃんは、多分、そういうのは言ってほしい人だと思う」
「……やっぱ、そう思うか?」
「でも、兄貴から言いづらいのはなんか、分かる」
「そうか」
「だからさ」
樹里は顔を上げ、高い位置にある正人の顔を見上げた。
「……あたしから、言っとくよ。兄貴さえ良ければ」
「樹里……」
正人が、フッと口元で微笑んだ。
そして、樹里の頭をわしゃわしゃと撫でる。
「ありがとな。助かるよ」
「いや、暑いからやめて」
「せっかく人が感謝してるってにお前は……」
「暑苦しいからやめて」
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