第2話 バカップル・プラス・ワン

「大樹。ガッコ、行こうぜ」


 毎日、朝になると幼馴染が起こしにやってくる。


 ただしその幼馴染は男だ。


「……潤いのかけらもねーな」


 正人と睦月が交際スタートしたという報告を受けた、翌朝。俺は玄関に立つ正人の爽やかな顔を見て、不満も露わにそんなコメントを口にした。


「いや、いきなりそういうこと言っちゃうのな、お前……」


「イケメンに人権はねぇからな」


「ひでえ!」


「俺と正人の顔面格差のほうがひどいから安心しろ」


「格差ってどういうことだ?」


 渾身の自虐ネタにきょとんと首を傾げる正人が憎い。主に自分の容姿に頓着していないのに爽やか好青年な雰囲気が勝手に醸し出されてるところと、本気で容姿の格差なんてものがピンと来てなさそうな辺りが特に憎い。


 そうだよ、昔からこういうやつだったよ、こいつは。


 誰よりも優れているくせして、自分が優れてるなんて微塵も思わない性格。俺の知る限り、自虐ネタがまともに通じた試しがない。はた迷惑なやつである。


 ……いや、自虐ネタを日常会話に雑にぶっこむ俺の方が迷惑だという可能性も無きにしも非ずだが。


「ま、なんでもいいや。それより大樹。早く制服着てこいよ。一緒に行こうぜ、ガッコ」


「……あのさあ、正人」


「なんだ?」


「今、何時だと思ってるわけ?」


 俺の目がおかしくなければ、玄関先に置かれたデジタル時計は朝の六時半を示している。もちろん、帰宅部の俺が家を出るにはあまりに早すぎる時間だ。実際俺は正人が来るまですやすや寝息を立ててたし、あと一時間は眠っていたい気持ちでいっぱいだ。


 正人は俺と同じく、チラリと時計に目をやってから答えた。


「朝の六時半だな」


「だよな。おやすみ」


「いやいや。オレはこれから朝練あるから、もう行かないと間に合わないし」


「……じゃあ俺、関係ないな。帰宅部だし」


「中学の時はいつもこれぐらいには大樹も起きて一緒に部活やってたじゃん」


「そうだけどさあ……」


 確かに、中学までは俺も野球部に所属していたから毎日これぐらいの時間には家を出ていた。あの頃はそれが苦じゃなかったし、当たり前のことだと思っていた。


 だけど帰宅部に慣れ切った今の体で同じことをやれと言われても、地獄のようにしか感じない。


 だってのに、正人はこうして毎朝懲りずに俺を起こしにやってくる。これが女の子ならば、まだしも救いというか潤いもあるってのに。


「……正人。お前、ほんと、最悪だよな」


「具体的には、どんなところか教えてくれると後学になるな」


「そういうところだよ」


 けろっとした顔で人の文句をスルーしやがって。


 こういうやつだから、仕方なく俺も制服を着こんで毎回のろのろと家を後にすることになるんだよな……。


  ***


 通学途中。駅前を通りかかったところで、とてつもない美少女が俺たちのことを待っていた。


 凛とした佇まいの美しい、女子にしては高い身長。背中にまで届く亜麻色の美しい髪。


 なによりも、こちらに向けられた、西洋の血でも混じっていそうな琥珀色の瞳が、神秘的な輝きを放っている。


「おはようございます。お二人とも」


 そう言って睦月は折り目正しく頭を下げた。


「よっ、睦月」


「お、おはよう……上月」


 こうして朝の挨拶を交わすのも、いつも通りだ。睦月が挨拶の最後に「お二人とも」と告げるのも、いつも通り。


 以前、なぜ名前ではなく「お二人とも」と言うのか聞いてみたことがある。するとその時の彼女の答えは、「口にする名前が先か後かで邪推する方が以前にいらっしゃったので」という言葉が返ってきた。

 睦月ほどにもなると、呼ばれる名前の順番ですら重要極まりないものとなるらしい。さすがは睦月だ、と爆笑してやったら、そのあとめちゃくちゃ睨まれたのはご愛敬といったところだろうか。


「……って、そんなことより」


 挨拶もそこそこに、俺は正人の後頭部を平手で思い切りしばき倒した。


「――ってぇ! んだよ、いきなり!」


「お前さあ……昨日から睦月と付き合い始めたんだろ。なに、微妙にキョドってんだよ」


 そう苦言を呈すと、気まずそうに正人が視線を泳がせる。


 さっきも挨拶を口にした時、こいつ微妙にどもってたんだよな。モテそうな見た目とは裏腹に、ずいぶんと初心なところもあったもんだ。微笑ましい。

 そう、微笑ましいのだ……が、ウザい。


「あのさあ……彼氏彼女になったんだったらもっと堂々とした態度でいろや。ラブコメじゃあるまいし、横から見てるとウザいんだよ」


「で、でも大樹……上月だぞ? あの上月なんだぞ?」


「ちょ、ちょっと、正人君」


 上ずった正人の声に、睦月の声にも動揺が滲んだ。


「それを言うなら、私だって、その……正人君なんですよ? あの、正人君なんですよ?」


「そ、そんなの……こっちのセリフだって! だってオレが、その……上月と、なんて」


「ひゃっ」


「こ、上月、どうした?」


「あ、それは、その……だ、だって言葉になんかされたら、意識しちゃうじゃないですか」


「……意識、してくれるのか?」


「意識してないお相手と付き合う趣味が私にあるとでも思っているんですか随分いい度胸ですね?」


「わーっ! 待て待て待ってくれ! そういう意味じゃないんだって上月!」


「あと大樹君から聞いてるんですけど、なんで私のことを苗字で呼ぶんですか? 大樹君と二人でいる時はいつも名前で呼んでるってこと、知ってるんですよ?」


「は!? おい、ちょ、大樹おめーバラしたな!?」


「それで、なんで私のことを苗字で呼ぶんですか? それとも私も、正人君のことを向居君と呼んだ方がいいですか?」


「そんなこと、あるわけないだろ! オレは上月に名前で呼ばれると嬉しい!」


「私は正人君に、苗字で呼ばれるたびに少し複雑でしたけど?」


「……っ、わ、分かった! これからは、これからはちゃんと……っきって呼ぶことにするよ」


「聞こえませんけど?」


「……つき」


「まだ聞こえないです」


「…………っ、こ、これ以上はまた今度ってことじゃダメか?」


「仕方ないですねえ……なるべく、急いでくれないと怒ってしまいますよ?」


「~~~~~ど、努力する!」


 朝っぱらからそんなやり取りを見せつけられた俺は、自販機でブラックコーヒーを買ってプルタブを引き上げながらコメントを発した。


「じゃ、俺、先に行くわ。じゃーなバカップル」


「ちょ、待てよ大樹!」


「そうですよ大樹君。せっかく揃ったんですから、いつも通り三人で行きましょう?」


「うるせー糖尿病になるわ」


「待て、なんでそうなるんだ大樹!?」


 そう言いながら追ってくる正人を肩越しに振り返りつつ、「幸せそーじゃねーか」と唇の端を釣り上げる俺だった。

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