第48話『それぞれの週明け』


 乙女と栞と小姫山・48

『それぞれの週明け』            





 トーストを咥えながら、駅まで走っている女子高生なんてドラマかラノベの世界だけだと思っていた。


 栞は、現実にやって、自分がドラマの主人公になったような気に……は、ならなかった。


 今日から中間考査の一週間前である。学年でベストテンの成績をとっていた去年までの栞なら、こんなには慌てない。父子家庭で、早くから主婦業を兼業……正確には、弁護士である父と半分こであるが、半分と言え主婦をやっていることには違いない……ので、物事を計画的とか、順序立ててやることには自信があり、去年まで実態として存在していた演劇部と学業と家事の三人組を相手にするのは、『体育会テレビ』で、プロのスポーツマンが子どもを相手にするよりタヤスイことであった。

 

 でも、今は違う。


 MNB24の研究生になって十日もたたないのに、ユニットを組まされた。その名も『スリーギャップス』 センターを張るベテランの榊原聖子と中堅の日下部七菜、そして駆けだし(現に今もトーストを咥えながら駅まで駆けている)の手島栞の三人。きっかけは、レッスン中に栞が口にした「そうなんですか!」が、グループの中で流行り、プロディユーサーの杉本寛が「今月中に、『そうなんですか!』で新曲をリリースする」と生放送中に宣言した。そのときは、ただの冗談かと思った。そうしたら、一昨日いきなり新曲のスコアを渡され、急遽ユニットが組まれ、何度も言うようだが、ユニット名は『スリーギャップス』 それぞれのギャップの差を楽しもうという、芸能界ではあり得ない、いや、あり得なかった、いや、あってはならないアイデアである。


「ギャップの差は、個性の差である!」


 杉本は、この世界の風雲児である。たとえ思いつきでも、言われたらやるっきゃない!

 正直、杉本の企画が全て当たるわけではない。母体のAKRも神楽坂でも、コケた企画は山ほどある。そして、陰で泣いた……泣くぐらいなら、まだいい。この世界から姿を消したアイドルは死屍累々。

 だから、この『スリーギャップス』は、絶対にコケられない。聖子や七菜はすでにアイドルの地位を不動のものにしている。コケルとしたら駆けだしの栞である。

 栞は、昨日も夜中の十一時までかかって、ボイトレ、新曲の練習、フリの復讐をBスタを独占してやった。そして帰宅してからは、三時前までテスト勉強。


 ああ、二次関数や英単語たちがこぼれていく……そして『そうなんですか!』が頭を巡る。


 


 ホ-ムの発メロが鳴る階段二段飛ばしに駆け上がる 目の前で無慈悲にドアが閉まる


 ああチクショー! このヤロー! 思いがけないキミのため口


 駅員さんも乗客のみなさんも ビックリ! ドッキリ! コレッキリ!


 ああ カワイイ顔して このギャップ

 

 あの それ外回りなんだけど


 そうなんですか しぼんだようにキミが呟く


 新学期 もう夏だというのに いいかげん覚えて欲しいな電車の発メロぐらい


 でも 愛しい ピンのボケ方 このギャップ そうなんですか そうなんですか~(^^♪






 曲の一番にスイッチが入り、駅前で思わずワンコーラス分、ステップを踏んだ。そして歌詞通りになった。

 ホ-ムの発メロが鳴る階段二段飛ばしに駆け上がる。その目の前で無慈悲にドアが閉まってしまった……。





「ええ、今日からこのクラスの仲間になる佐藤美玲さんです。中間テスト一週間前からの転校で、ちょっと大変ですけど、みんなよろしくね。じゃ、佐藤さんから一言」


 美玲は、ゆっくり教壇に立った。制服は他のみんなと違って、イージーオーダー、身にピッタリと合っている。高い位置でポニーテールにしているので、目尻が上がりキリリとした表情には気品と貫禄さえあった。

「ご縁があって、今日からみなさんといっしょに勉強することになりました佐藤美玲です……」

 そこまで言うと、黒板に自分の名前を書こうとしたら、すでに担任が書いてくれていた。

「ちょっと難しい字だけどミレイと読みます。言いにくいからうちの母は略してミレって呼んでます。みなさんも、それでよろしくお願いします」

 オヘソの前で手を組んで、静かに頭を下げた。お母さんに教えられた通りに……暖かい拍手が起こった。


――受け入れられた!――


 そんな喜びが、オヘソのところから湧いてきた。

 前の学校では、正直言ってハブられていた。狭い街なので、噂は子どものころから広まっていた。面と向かって言われたことはなかったが「不倫の子」と陰で言われていることは分かっていた。しかし伯父夫婦は気にする様子は無かった。

 姪への愛情からではなく、無関心からであった。

 だから一定以上言われることもない。そして、姿勢も成績もいい美玲は、ハブられるというよりは、近寄りがたい存在として見られることが多くなっていたのだが、それとハブられることとの区別がつくほど美玲は大人ではなかった。

 美玲は、初めて自分を受け入れてくれる学校ができたと思った。

 一礼して上げた美玲の顔は、担任の佐野先生が驚くほど美しかった。本来母親似(乙女さんではない)の美玲は整った顔立ちの子で、それが、その身に溢れる喜びで一杯になったのである。美しさはひとしおで、その日いっぱい、中等部の職員室の話題になった。


「教頭先生、例のものです」


 乙女さんは、お土産の饅頭を置くような気楽さでそれを、教頭さんの机の上に置いた。

 数秒して、教頭さんは、それが何かが分かった。この人には珍しく、プレゼントをもらった子どものように、すぐさま開けると。葉書大ほどのそれを食い入るように見つめた。


「今日の教頭さん、なんだか……その、楽しそうでしたな。あんな教頭さんは初めてだ」

「よっぽどええことがあったんでしょ。そっとしといたげましょ」

「ですね……」

 校長は、片手を挙げると校長室にもどった。

「ああ、チャック閉め忘れてる……ま、ええか」


 乙女さんは、美玲を引き取った判断に間違いはないと思った。それぞれの週明けだった……。



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