第44話『美玲の転入試験』
乙女と栞と小姫山・44
『美玲の転入試験』
美玲の転入試験は、大阪城の天守閣が見える応接室で行われた。
つい四日前の大阪城でのことが思い出された。
新しいお母さん(乙女さん)は、ほんの気晴らしのつもりで連れて行ってくれた。むろん広々とした大阪城公園は気晴らしになった。生まれてすぐに近江八幡に行った美玲は、お城と言えば、遠足で行った彦根城しか知らない。彦根城は国宝ではあるが小さな平山城。どちらかというと、山の中の閉鎖性を感じさせたが、大阪城は石垣なんかはいかついけど、なんだか野放図な開放感があって、美玲は好きになった。
そこで出会った青春高校の教頭先生の娘さんは、いま美玲が受けようとしている森ノ宮女学院の試験を合格し、その制服姿をお祖父ちゃんお婆ちゃんに見せに行く途中の事故で亡くなった。
美玲は、実のお母さんが亡くなって、血の繋がったお父さんと、なさぬ仲の乙女お母さんに引き取られ、その直前まで森ノ宮女学院への転入試験の説明を受けていた。
なんだか運命的なものを感じ、美玲は、この試験に受かり、あの教頭先生の娘さんの分まで、幸せになろうと思った。
でも、一つ未解決な問題が残っていた。
夕べは危うく、お母さんに知られてしまうところだった。
その話を、お父さんに電車の中で話そうとしたが、お父さんはやんわりと、――その話はあとにしよう――という顔になって、今ここに座っている。
「じゃ、国語から始めます」
係の先生が静かに開始を告げた……。
その間、お父さんの正一は、出張で空き部屋になっている校長室で待った。堂島高校の教頭であることは、とうにばれているので、森ノ宮の教頭が、挨拶を兼ねて話に来ている。
「……公立も、なかなか大変ですなあ」
私学と府立の違いはあっても、教頭同士、通じ合うものがあった。
正一は乙女さんから聞いた青春高校の田中教頭の娘さんの話をした。
「ああ、その子なら覚えていますよ。三月の半ばぐらいでしたね。川西の方で交通事故があって、女の子の方がうちの制服を着ていたんで警察からの連絡で、所轄署まで行きました……そうですか、そのときのお父さんが小姫山高校の先生でしたか。あの子は米子って、ちょっと古風な名前でしたが、理事長のお母さんと同じ名前でしてね。もう合格通知も出て、クラスも決まっていましたから、職員一同の意向で生徒名簿には載せました。卒業式でも名前を読み上げようとしたんですけど、お父さんが固辞なさいましてね……そうか、まるで米子ちゃんが生き返ってやり直してくれるみたいで嬉しいですね」
「いやあ、試験に受かってからの話です……」
それから正一は、自分の身の恥を話した。教頭は、それも暖かく受け止めて聞いてくれた。
そして三時間後、国・数・英の三教科の試験を終えて美玲が校長室に入ってきた。
「美玲、おつかれさま!」
「なんとか全力は出し切れました……なんか、いろんな人が応援してくれてるみたいで、落ち着いてやれました」
まだ、慣れない娘は、他人行儀なしゃべり方ではあったが、真情の籠もった物言いで父に報告した。
「佐藤さん、合格ですよ」
三十分ほどもすると、教頭が若い職員を連れて嬉しそうにやってきた。
「優秀な成績です。非の打ち所がないですわ。ほな、事務的なことは、この木村君から聞いてください。おめでとう佐藤美玲さん」
「は、はい!」
しゃっちょこばった美玲を大人たちの暖かい笑いが包み込んだ。
最後に不思議なことが起こった。
乙女さんは仕事中なので、メールを打った。それを見ていた職員の木村君が「記念写真を撮りましょう」ということで、美玲のスマホで父娘が並んだところをシャメってもらった。
そのシャメに、美玲と同学年ぐらいの森ノ宮の制服を着た女の子が映り込んでいた。
「これは……いや、こんな時間帯に、こんな場所に生徒がいるわけないんですけどね」
「これ、米子ちゃんだ。だって、こんなに嬉しそうにニコニコしてる」
「そうやな」
撮り直しましょうかという木村君を丁重に断って、父娘は、難波の宮公園に向かった。大極殿の石段の上に座った。
「……夕べ、庭に埋めよとしてたんは、亡くなったお母さんのお骨やろ」
「え……なんで?」
「だいたい察しはつく」
「わたし……アルバムの背中のとこに隠して持ってたんです」
リップクリームの入れ物に入れたそれを、ポケットから出した。
「お父さんにも見せてくれるか?」
少しためらったあと、それを父の手に預けた。軽く振ってみるとカサコソと儚げな音がした。
「これが、美子か……」
「火葬場で、お骨拾いの時にもめたんです。分骨するせえへんて」
「分骨?」
「本家のオッチャンが、うちの墓にも入れるいうて骨壺もって用意してはって……」
「なんで本家が?」
「お母さんの退職金、預金、生命保険、合わせたら、けっこうなお金になるんです」
「ムゲッショなことを」
「それで、もめてる隙に、お母さんの右の人差し指のお骨、ハンカチで取ったんです」
「右手の人差し指?」
「わたし、乳離れの遅い子で、お母さんのオッパイの代わりに右手の人差し指吸うてたんやそうです。粉薬が苦手やったんで、薬はこの指につけて飲ませてくれました。泣いて帰ってきたときは、この指で涙拭いてくれたんです……そやから、そやから。わたし……」
「美玲……!」
正一は、横から娘を抱きしめた。
「お母さんのために、もう、これは手放さならあかん思たんです。それが一日延ばしになってしもて」
「それで、夕べ、庭に穴掘ったんやな」
「……はい」
「これは、美玲が持っとき。こんな大事なもん粗末にしたら、乙女オカン怒りよるで……家庭平和のためにも持っときなさい」
「はい」
「この難波の宮も大阪城も、見えてるその下に、もう一つの難波の宮、大阪城があるねん。そんで、大阪の人間は、つっこみで大事にしてるんや。乙女オカンは、生粋の大阪、それも岸和田のオバハンや。両方大事にせんかったら、お父さんでも手えつけられんぐらい暴れよる」
その時、美玲のスマホが鳴った、乙女さんからだ。
「おめでとう!!」
盆と正月と、クリスマスにホワイトデーまで来たような喜びようだった。
電話を切ったあと、例の記念写真を乙女母さんに送ろうとすると、例の映っていた女の子が満面の笑みのうちに影が薄くなり消えていってしまった……。
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