第8話『長屋門のダンゴ屋』


乙女と栞と小姫山・8


『長屋門のダンゴ屋』     







「ここですよ」


「こんなところに、お団子屋さん……」



 伊邪那美神社の前で声をかけられた乙女先生は、そのままタクシーに乗って駅前まで戻ってきた。


 校長が、ぜひ紹介しておきたい店があるというので、付いてきたのだ。  


 一見古い北摂の民家であるが、長屋門の軒下に――団子屋 津久茂――の看板がぶら下がっていた。


 長屋門をくぐると、広い庭に文化財クラスの母屋が品の良い日本庭園に囲まれて、おとぎ話のように佇んでいた。


「佐藤先生、こっちですよ」


 庭と母屋に見とれていた乙女先生を校長が呼び止めた。


「え……ああ」


 振り向くと、長屋門の内側の壁が取り払われていて、団子屋さんになっている。


「恭ちゃん。桜餅と草団子二人前」


「はーい」


 暖簾の向こうの厨房から若い女性の返事がした。


「いいお店ですねえ」


「ありがとうございます。なんやったら、奥の座敷行かはります?」


 お茶のお盆を持って、恭ちゃんが勧める。


「いいの?」


「ええ、もうちょとしたら花見帰りお客さんで混みますよって」

 二人は、母屋の座敷に移動した。


「ほんまは、こっち改造してお店にしたいんですけどね。ほんなら、お蕎麦も湯豆腐も大っぴらにやれますねんけど」


「重要文化財じゃね」


「ほんま、釘一本うたれませんからね」


「門の方は、違うんですか?」


「あれは、明治になって改築したもんですよって、ほんまにエライ家に生まれたもんです。ほんなら、すぐにお団子お持ちしますから」


 恭ちゃんは、長屋門のお店へ戻った。


「……あの恭ちゃんが経営してるんですか?」


「ええ、なかなかしっかりした人ですよ。うちの前身のS高校の卒業生です。S高校の敷地はもともとは、この津久茂さんの持ち物だったんですよ。それを、学校を建てるんで、府に譲ってくださったんです。で、ここに赴任した時にご挨拶に伺ってからのお付き合いです」


「校長先生も、押さえるとこは押さえてはりますね」


「いやあ、佐藤先生のように神社まわりは思いつかなかった」


 校長は、人のいい笑顔になった。民間時代は営業職だったのかもしれない。



「売ってから、あやうく大阪府に希望ヶ丘て、名前付けられそうになった時だけはショックでしたねえ」


 団子を、座卓に置きながら恭ちゃんが言った。


「なんとか小姫山を残してもらって、祠も建ててもらいましたし」


「ああ……なんか聞いたような」


「神社でですか?」


「ええ……そやったかなあ」


 神社での記憶は、ほとんど飛んでしまっている乙女先生である。


「うち、あの伊邪那美さんとこの氏子総代やってますねんよ」


「恭ちゃんちは、昔からの庄屋さんだもんな」


「はは、江戸時代の話ですよ。今は、お団子屋さんやってなら食べていけません。そやから、氏子総代いうても、なんもでけへんで、廃れてましたやろ」


「いいえ、なかなか趣のある神社で」


「ありがとうございます。わたしらも、神社だけやのうて、なんとかしたい思てますねんけどね……」  


 恭ちゃんは、遠くを見るような目になった。乙女先生は、どこかで同じような目をした人に会ったような気がした。イザナミさんと同種の憂いのある目であるが、むろん、乙女先生は思い出せない。


「やあ、お客さんに、しょうもない話してしもて。伊邪那美さんまで行ってもろて、ありがとうございます。ほな、ごゆっくり。あ、お客さんやわ」


 恭ちゃんは、長屋門のお店の方に行った。



「ボクの元の職業分かりますか」


「どこかの会社の営業でしょ!?」


「はは、光栄だな」


「違いますのん?」 


「文科省の小役人ですよ」


 校長は、ビスケットの小袋を出し、細かく割って、池の鯉にやった。思いの外寂しそうだ。


「その元を質せば、柴又の団子屋のセガレですけどね」


「あ、ふうてんの寅さん!」


「はは、これを言うと、いつも言われますよ。あんな風に生きられればいいんですけどね」


 ビスケットをやり終わっても鯉は、散っていかなかった。


「向こうに、一匹だけ、寄ってこない鯉がいるでしょう」


「ああ、あの岩のところ」


「あいつは、この家の人間からでないと餌を食べないんですよ」


「ニクソイ鯉ですね」


「いつか、飼い慣らしてやろうと……いや、どうも子供じみてますなあ」


「……鯉の滝登り」


「え……?」


 鯉が一匹、驚いて跳ねた。


「あ、いや。なんとなくゴロ合わせです」


「見透かされたかと思いましたよ」


「なにか、青雲の志とか?」


「もう、そんな歳じゃありませんけどね……ボクね、嫌いなんですよ」


「何が?」


「学校の名前」


「うちの?」


「小姫山はともかく、青春高校なんて、まるで生徒達が読んでいるジュニア小説に出てきそうな名前でしょう」


「ははは」


 乙女先生の豪快な笑い声に、群れていた鯉が散っていった。


「ここだけの話ですよ……」  


 校長が目を上げると、門をくぐってくる女生徒と目が合った。



 これが、手島栞との出会いであった……。

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