第97話 歴史に名を刻む英雄とか、そういうやつ?


「なんだ。そんなことなら俺の背中に乗っていけばいいじゃねえか」


 とっぷり日も暮れてから戻ってきた、遊び人ならぬ遊び竜のヴェルシュさんが、事情を聴くなりあっさりと提案した。


 この男、アーイ・スバインについてからというもの、ホテルには寝に帰ってくるだけだ。

 不良ドラゴンである。


 魔族とか獣人族の美女たちと、よろしくやってたらしいよ。

 で、その遊び竜のヴェルシュさんが言うには、馬車なんか仕立てる必要はなくて、彼の背中に乗ってザブールまでひとっ飛び、というプランだ。


「ラクで良いけど。パニック起きるんじゃね?」

「起きない起きない。俺けっこうザブール上空は飛んでるし」


「飛んでるのかよ!?」

「侯爵のっけてな。ジョボンとかまで、よく温泉入りに行ってるぜ」


「なにしてんの!? きみたち!?」

湯女ゆなつきの温泉とか?」

「遊びの種類を訊いたわけじゃないよ!?」


 ちょっと大人すぎる遊びに頭をかきむしるフレイだった。

 アンキモ侯爵って、もっと常識人だと思ってたよ。

 巨大なドラゴンにまたがって、温泉街に悪い遊びをしに行くような人だったなんて。


「判ってねえなあ、フレイは。権力者の悪友になっておくのが出世の近道なんだぜ」


 からからとヴェルシュが笑う。

 正論ばっかり飛ばすようなやつは、いくら仕事ができても出世できない。

 やっぱり上司と一緒に悪い遊びをして歩くようなやつの方が、おぼえもめでたくなる。


 で、能力が同じだったらどっちを昇進させるかって話。

 神魔戦争のときも、彼はそうやって出世したんだってさ!


「それでいいのか伝説の邪竜……」


 知りたくなかったよ。

 そんなしょーもない立志伝は。


 ちなみに、ザブールまでの所要時間は三日ほどだ。

 徒歩の旅なら三十日近くかかる行程だが、速度がまったく違うのと、山とか川とか障害物とか関係なしに直線で飛べるというのが大きい。


「マルコダーテとジョボンに泊まる感じだな」

「……そうか」


 ジョボンまで飛んだら、あとは人間の足でも三日くらいの距離だ。

 なんで一気にザブール入りしないのか。

 たぶんたいして聞きたくもない答えしか返ってこないので、フレイは問わなかった。





 そんなこんなで空の旅へと出発したフレイ一行だったが、ジョボンに一泊しようという計画は変更を余儀なくされる。


「軍氣がアホみたい膨らんでやがる。戦でも起きてるのか」


 ヴェルシュの声が、巨大な彼の背中に座っている乗客たちの耳に届く。

 どこから聞こえているのか、相変わらず謎である。


「軍氣?」


 気配読みに長けたフレイでも、そんなもんは判らない。

 ましてジョボンからザブールまでは三日の距離があるのだ。


「軍隊の放つ独特の気配のことじゃ。殺気とも命の息吹とも違う。軍氣は軍氣としか表現のしようがないのう」


 カルパチョの言葉だ。

 武人である彼女には、ヴェルシュの言っている意味は判るらしい。


「急いだ方が良かろうな。このあたりで軍氣を放てるほどの軍勢を持っているのはアンキモくらいじゃ。あやつがいたずらに軍を動かすとも思えぬ」


 アクアパツァーを除いた同乗者たちが頷く。

 みんな、アンキモ侯爵の為人は知ってるからね。


 無名の師を興すような御仁じゃない。となれば、攻められたと考えるのが普通だ。


「そして攻めてくるとすれば、カヌレ王子であろうなぁ」


 うーむとガルが腕を組んだ。

 考えてみたら、フレイを放逐しておしまいなんて話にはならないのである。

 腹心を失い実力を低下させたアンキモ侯爵を今攻めないでいつ攻めるんだってくらいだ。


「おいおいガル。それが判っていたなら侯爵にアドバイスしたら良かったんじゃないか?」


 武芸者の言葉に一理を認めつつ、フレイが苦言を呈す。

 攻められても撃退できるだけの準備があるよってアピールすることで、戦そのものを避けられたかもしれないのに。


「それは無理というものだ。フレイ。某も今気づいたのだからな。阿呆の知恵というのは後になってから出るらしい」


 肩をすくめてみせるガル。

 カヌレ王子が実力でアンキモ侯爵を除こうとするとは、帝国への出発時点で読めなかった。


 彼は知らないが、スフレもアンキモも読めなかったのである。

 彼らの甘さか、カヌレの鋭さか。


「ともあれ急ぐしかないよな。ザブールを陥させるわけにはいかない」


 フレイの言葉に皆が頷く。

 とくにデイジーにとっては、両親や弟たちが暮らす的だ。

 カヌレの軍勢なんかに蹂躙されたらたまらない。


「少し飛ばすぜ。リーダー。振り落とされないようにな」


 いうが早いか邪竜ヴェルシュが加速する。

 揺れるわけでも風が吹き付けてるわけでもないが、フレイたちは心持ちしっかりと竜鱗につかまった。





 開戦当初は押していたアンキモ軍も、徐々に敗勢へと追い込まれてゆく。

 二対一という戦力差は、やはり覆しがたい数字だった。


 簡単にいうと、敵だけがタッグの試合なのだから。

 これで勝てると思ってる人は、ちょっと戦というもの舐めているだろう。


「侯爵。このままでは」

「順当に敗北するでしょうな」


 危機感をにじませるスフレの言葉に、アンキモは軽く頷いた。

 覚悟の浮かんだその表情に、街に撤退しませんか、という言葉を王子は飲み込む。


 ザブールには数十万の民がいるのだ。

 カヌレ軍の侵入を許すわけにはいかない。


 このままここで踏みとどまり、一滴でも多くの出血を強いてカヌレ軍を撤退に至らしめる。


「それにまあ、俺と殿下の首を取れば、ひとまずは満足でしょうからね。あの坊ちゃんは」


 肩をすくめる侯爵だった。

 本当は豊かなザブールの富を奪いたいだろう。

 しかし兵力が減り過ぎてしまっては蹂躙戦などおこなえない。スフレとアンキモを討ち取った、という事実に満足して「凱旋」しなくてはならないのだ。


「残存兵力が一千五百を切ったら、引き上げるでしょうよ」

「そりゃあ半分まで減ったら逃げるしかないだろうさ」


 アンキモの面白くもない冗談にスフレが笑ってみせる。

 こちらはすでに千を割り込んでいるのだ。

 全滅は時間の問題だといっても、そんなに言い過ぎじゃないだろう。


 まったく、ろくでもない状況なのに、まだ冗談が飛び交うんだから、ほとんど病気というか、フレイたちの悪影響というか。


「ていうか、ふつー影響受けちゃいますな。英雄なんだもの」

「まったくですなー、僕こっちの陣営で良かったわー」


 二人して空を見上げる。

 ものすごい速さで戦域に躍り込んできた漆黒の巨竜を。

 戦場に流れるマリューシャーの聖歌を。


「これは……」

「デイジーの歌だ……」


 どっかの巨人カップルみたいなことを呟く侯爵と王子だった。

 邪竜ヴェルシュの背にすっくと立ち、デイジーが歌う。

 当たり前のラブソングではない。念のため。


 ふつーにマリューシャーを称える聖歌だ。

 応じて、アンキモ侯爵軍の士気があがる。もう、異常なほどに。


 逆にカヌレ軍はたまったものではない。

 いきなり巨大なドラゴンが現れるだけでも意味が判らないのに、美少女が歌い出したら敵軍が大盛り上がりとか。

 さっきまでの勝勢はどこへやら、すっかり腰がひけちゃってる有様だ。


 そして、デイジーの横に美少女がもう一人立ったとき、混乱はパニックに変わった。


「デイジーの歌を聴くすべての者に告げる! 予はアクアパツァー。魔王アクアパツァーである!」


 なんとなんと。

 魔王自らが、アルダンテ王国にやってきたのだ。


「和平は成った! 武器を捨てよ!」


 発言内容も頭おかしいしね。


「に、偽物だ! ものども! 怯むな!」


 カヌレが音程の狂った叫びを上げる。


 偽物もくそも、巨大なドラゴンと魔王を名乗る魔族だよ。

 戦えるわけねーじゃん。

 王子の言葉なんて聞く耳持たず、王国軍の兵士たちが次々と剣を捨てる。


 誰だって死にたくないからね。

 絶望の表情で、なおも継戦を王太子が叫ぶ。


 にやっと笑ったアクアパツァーが右拳を振り上げた。


「我らの敵はただひとつ! 王太子カヌレを倒し、ふたたび文化ををををををっ!?」


 良い調子でおかしなことを口走ってるアクアパツァーを、横から伸びた足が蹴飛ばす。

 げしっと。


「ブリタイせえのこ。ろしにんげかいい」

「ああぁぁぁぁー!」


 ヴェルシュの背中から、ぴゅーんと地上へと降ってゆく頭おかしい魔王に、んべっと頭おかしいエルフが舌を出した。

 アンキモ軍も、カヌレ軍も、それどころか邪竜まで目が点ですよ。


 え? どーすんの? この空気。

 という全員からの無言の圧力を背に受けて、フレイがミアに話しかける。


「あの。ミアさん?」

「ふ。悪は去ったわ」

「悪どころか! シリアスな雰囲気まで去っちゃったよ!?」


 頭をかきむしるフレイであった。


 うん。

 こんなもんだよね。

 仕方ないよ。フレイだし。


 諦めにも似たため息が戦場のそこここから聞こえる。


 魔法の靴の力で邪竜から飛び降りたデイジーが、カエルみたいな格好で潰れている魔王に回復の奇跡を使う。


「だいじょうぶー? アクアパツァー」


 ザブールの人々にとっては大変に日常的な光景ではあったが、魔王たる美少女を癒やす天使という構図は、新たな伝説を生み出しそうであった。


 狂信者たちが熱狂的にデイジーの名を叫ぶ。

 まるで勝ち鬨のように。


 いつまでもいつまでも。


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