第30話 マリューシャー狂騒曲


 夜半。

 与えられた客室の窓辺にたたずむメイサン。


 とくに何をするでもなく、ただ外を眺めているように見える。

 夜の真っ暗闇を見ててなにが楽しいのか、と、問いたくなるような場面だ。


 ギャラリーからみれば。


「そろそろ動くはずだ。つい先刻、ザブールから密偵が戻ったようだしな」


 メイサンの耳にだけ、ようやく聞こえる声が告げる。

 どこから聞こえているのか、彼自身にも判らない。

 頷くこともせず、ただ窓の外を見続ける男。


「俺は騒ぎを大きくする。メイサンのアニキは手筈てはず通りに頼む」


 声と気配が消える。

 表情も態度も変えることなく、アンキモ伯爵の使者が大あくびした。





 びしりと突き付けられる指。


「ニセモノめ! アンキモ伯爵家中にはメイサンなどという騎士はいないぞ!」


 糾弾だ。

 いつものように、デイジーに朝の挨拶するため訪れたメイサンだったが、後見役をつとめるポーチュラカ大司祭が立ちはだかった。

 老顔を烈しい怒りに紅潮させて。


「デイジーさまに取り入り、暗殺しようとたくらむ不逞ふていやから! くわだてもここまでと知れぃ!!」

「ことやぶれたり!」


 悔しそうに宣言し、踵を返して走り出すメイサン。

 取り押さえようとする神官たちを弾き飛ばしながら。


 大捕物おおとりものがはじまった。

 それを契機けいきとしたように、総本山のあちこちで騒ぎが起きる。


 火事だーっ!


 と。


 普段どんなに冷静な人も、さすがに火事だけは混乱する。

 なにしろ、黙っていたら焼け死んでしまうかもしれないから。


「デイジーさま。こちらへ」


 青ざめた顔のまま、ポーチュラカ大司祭が少年へ手を伸ばした。

 まずは一刻も早くデイジーの安全を確保しなくてはならない。


「いったいなにが……?」


 やや呆然としたように問いかけるデイジー。

 メイサンがニセモノだと騒がれた。


 まあこれは当たり前だ。

 だってまぎれもなくニセモノだし。

 彼はアンキモ伯爵の部下などではなく、ザブールの街を根城にするA級冒険者だ。


 ただ、まとっていた鎧を、デイジーは知っている。

 シスコームの遺跡で手に入れ、アンキモ伯爵に献上された逸品である。

 すなわち、メイサンの行動はアンキモ伯爵に認められたものであるということだ。


 いまさらのようにニセモノ呼ばわりは、ちょっとおかしい。


「デイジーさまの暗殺を狙う一派があるようです」


 へりくだった口調のポーチュラカ大司祭。

 初めて会ったときとは、あきらかに言葉遣いを変えている。

 デイジーがどれほど嫌がっても、直してはくれなかった。


「一派、ですか?」

「何者かはわかりませぬ」


 とは言いつつも、ポーチュラカには心当たりがありそうだ。

 だいたい想像はつくが口に出すことはできない、というところだろうか。


「むー」

「それよりもデイジーさま。こちらへ」


 釈然としない顔をする少年の手を引き、早足で老人が歩む。

 隠し通路を。


 一朝事いっちょうことあったときのため、王宮などにもこういうものは設けられているという。

 総本山もまた例外ではないようだ。


 やがて見えてくる出口。

 そこに待ちかまえる人影ふたつ。

 ぎょっとして立ち止まるポーチュラカだったが、親しげに声が掛けられた。


「デイジー。こっちよ」

「無事で良かった」


 ミアとガルである。

 ザブール時代のチームメイトである、と、ポーチュラカは知っている。

 デイジーに危害を加えるような連中ではない。


 が、同時に、いささかばつが悪いのも事実である。

 なにしろ騙し討ちみたいな格好でデイジーを連れてきてしまったのだから。


「あなたには言いたいことが山ほどあるけどね。大司祭さん」


 半眼を向けるミア。


「しかしデイジーの幸福を願ってのことだろうと判断したゆえ、助太刀に参上した」


 とりなすようにガルが微笑した。

 やや慌ただしく情報が交換される。

 安全な場所に移動しつつ。


 事態は、ポーチュラカが考えているより複雑であった。

 デイジーを排除しようとする勢力、それはシャガ大司祭を奉じるグループではない。


「わたしたちは、彼に雇われたの。デイジーに危険が迫っているから守ってやって欲しいって」

「なんと……」


 最大のライバルは、敵ではないというのか。

 ミアの言葉にポーチュラカがうめく。

 デイジーの方は、ガルがしっかりと身体を使ってカードしている。







 襲いくる神官たちを、あるいはかわし、あるいは鞘で打ち据えながら、悠然と廊下を進むメイサン。

 不意に横道にそれる。


「首尾はどうだ?」

「食料庫、武器庫、あとは寝具とかの倉庫。同時に火の手をあげた。作戦は第二段階だよ。アニキ」


 暗がりから聞こえる声。

 もちろんフレイのものだ。


 デイジー救出作戦。

 それは、複雑に絡み合った茶番劇である。

 だれも損をしないように。


 結果として責任を取らされる人間が出ないように、綿密に練られた計画だ。


 第一段階は成功。


 アンキモ伯爵の使者を装ったメイサンが潜入し、デイジーと接触する。

 これはつまり、知己が総本山に入り込んでおり、なんかたくらんでるんだよーん、と、デイジーに知らせるための行動だ。


 フレイやガルがその役割を果たしても良かったのだが、あまりに親しい人間がこの段階で姿を見せると、かえってデイジーがボロを出してしまう可能性がある。

 そこで登場したのがメイサンだ。


 彼なら無精ヒゲをきれいに剃ってしまえば、けっこう騎士らしく見える。

 多少の怪しさは、魔法の全身鎧でカバーだ。


 もちろん、この計画にはアンキモ伯爵も一枚噛んで(噛まされて)いる。

 カルパチョにお願いされたら、断れないからね。


 ともあれ、メイサンが注目を集めている間に、フレイが総本山のあちこちに火種・・を仕掛けた。

 パンナコッタ謹製の時限式発火アイテムだ。

 同時に火の手が上がるように。

 タイミングを見計らって。


 なんでそんな手の込んだことをしたかといえば、まさに総本山を混乱の淵に叩き落とすためである。

 こちらの戦力は、フレイチームが五人とガイツチームの三人だけ。

 たったこれだけで、数千人もいる総本山の神官たちを出し抜き、デイジーを救出しないといけないのだ。


 しかも、総本山内部の見取り図を提供してくれたシャガ大司祭に疑いの目が向かないかたちで。

 もちろん、アンキモ伯爵やデイジーの生家に迷惑を掛けるのも論外だ。


 フレイがとった作戦は、徹底して現場を混乱させる、というもの。

 とにもかくにも、相手の冷静な判断力を奪う。


 大騒ぎになってしまえば、裏の裏を疑うなんて酔狂すいきょうなことをやっていられなくなる。

 さしあたりは、それが狙いである。


「了解だ。それじゃ俺はとっとと逃げ出すとしますかね」

「気を付けてな。アニキ。ありがとう」

「いいってことよ。デイジーが街に帰ってこないなんてのは、許されないことだからな」


 きりっとした顔で協力の動機を語ってくれる。

 とてもブレない人だ。


 このあと彼は、総本山を脱出し、ガイツとゴルンが用意した馬車に逃げ込むことになっている。

 そこでミスリルの鎧をガイツの収納袋に隠して、さらに待機する。

 デイジーが逃げ出してくるまで。


 あれだけ目立つ鎧だ。脱いでしまえば、もうメイサンの顔なんて誰も憶えていない。


「頼んだぜ」

「任せといてくれ」


 暗がりから伸びてきた手を、メイサンがぱしんと叩く。






 次々と上がる火の手に、消火活動が追いつかない。

 同時多発的すぎる。

 もう、襲撃ってレベルだ。


「まあ実際のところ、襲撃だからね」


 倉庫のひとつに身を潜め、事態の急転に戦々恐々せんせんきょきょうとするポーチュラカに、ミアが苦笑してみせる。


「襲撃ですと……」

「そ。闇の眷属ダークサイドのね」

「…………」


 あまりといえばあまりな言葉に、大司祭の口がぱくぱくと動く。

 酸欠の金魚みたいに。


「デイジーを狙っているのは闇の眷属。もうちょっと具体的に言うと魔王軍よ」


 意地悪そうな口調のエルフ娘。

 ポーチュラカ大司祭の顔色は、もう死人のそれと大差なかった。


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