昔はさ、そもそも先例になるものがほとんどなかったこともあってさ、それこそ試行錯誤の連続だったと思う。でもその分、細かいあれこれに縛られず好きにやれたんじゃないかな
昔はさ、そもそも先例になるものがほとんどなかったこともあってさ、それこそ試行錯誤の連続だったと思う。でもその分、細かいあれこれに縛られず好きにやれたんじゃないかな。そして、見る方も新しい試みを新鮮な想いで見られたっていうのはあったんじゃないかな。
だから、その頃と今とじゃ、そもそもの前提条件が違うと思う。かつての状況と今とを単純に比較はできないでしょ。前提条件がそもそも違ってるんだから、それを考慮に入れないのはフェアじゃないと思う。
それに、<試行錯誤>がもし独創的な作品を生み出していたんだとしたら、それこそ今の時代ならでは試行錯誤を行うべきだと思うんだけどな。でもそれは、作り手側の<オナニー>に見えてしまうかもしれない。でもさ、気に入らなかったらスルーすればいいんだよ。人気が出なければ勝手に消えていくだけだしさ。
でも同時に、爆発的な人気にはならなくても、誰かの心には残るかもしれない。これからはそういう作品も求められているんじゃないかな。
偶発的に社会現象まで引き起こすような大人気作品ももちろん必要だと思うけど、だからこそ、野心的なものを作る姿勢が必要だと思うんだよね。
いわゆる<伝統芸能>とかはさ、<過去の素晴らしいもの>はどう頑張ったって残せないんだ。今なら<映像>という形で残すこともできても、<映像>と<生の舞台>は違うじゃん? だから、生の舞台そのものという伝統芸能については、過去の素晴らしい舞台や演技を完全再現することを目指すのを望まれている部分もあるかもしれない。
でもさ、漫画やアニメや小説は、そのまま記録として残すことだってできるじゃん。昔の作品もそのままで見られるじゃん。昔の作品が面白かったなら、それを見てればいいじゃん。
なのにわざわざ新しいものを作るということは、過去の作品のただの焼き直しじゃ意味ないんじゃないの? <別の作品>として生み出されることが望まれるんじゃないの? だからどんどん、新しいことに挑戦していけばいいと思うんだ。
でもまあ、同時に、<商品>としては利益を出さなきゃいけないから、利益が出るような商品作りが必要だけどさ。
作り手側も、<作品>を作りたいのか、<商品>を作りたいのか、その辺りをわきまえる必要がありそうだよね。
<作品>を作りたいなら<オナニー>と言われようがどうだろうが自分のやりたいこと見せたいこと表現したいことをぶち込むべきだと思うし、<商品>を作りたいなら、うん、<コスト>とかも考えなきゃいけないよね。
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