<ラ抜き言葉>ってあるじゃん? あれも、それ以前のを『正しい』とするなら、『正しくない』よね。なのに、どうして修正されないの? テレビでさえ当たり前のように<ラ抜き言葉>が使われてたりするよね

で、<ラ抜き言葉>ってあるじゃん? あれも、それ以前のを『正しい』とするなら、『正しくない』よね。なのに、どうして修正されないの? テレビでさえ当たり前のように<ラ抜き言葉>が使われてたりするよね。


それが正しくない、修正しないといけない、っていう意見がどうしてこんなに少ないの? 


<正しい言葉遣いに直そうというムーブメント>


が起こらないくらいに、ごく一部の人だけが気にしてるだけだよね?


でもまあ、私の周囲では積極的に<ラ抜き言葉>で話してる人が逆に少ないから、無理に<ラ抜き言葉>を使おうとは思わないし、私が作るキャラクター達も、基本的には、


<ラ抜き言葉を使わないキャラクター>


がほとんどだけどさ。


でもさ、だからって、


『<ラ抜き言葉>を使うな!』


みたいなことを大声で言うつもりもないんだよ。時代と共に変遷していくのは、<言葉>というものの宿命だと思うし。


『正しい日本語を使わなければ、日本という国も亡ぶ!』


とか何とか言う人もいるとしても、それを言うなら、日本は何度も亡んでるはずじゃん。


<誤用>についても、『水を得た魚』が、最初は『水魚の交わり』に近いニュアンスのものだったのが、今じゃぜんぜん違うニュアンスになってるっていう事実が示すとおり、


『今じゃ定着してる使い方が、実は、最初にその言葉が使われだした時のとは違ってる』


なんていう例がいくつもある以上は、いまさら時代と共に変化していこうとするのを止めようなんてのが、ただの、


<一部の人間の自己満足>


に過ぎないじゃん。


的屋まとや>が<的屋てきや>になったり、<地蔵菩薩>が<道祖神>と混じっちゃったり、<かなし>って読み方がほとんど使われなくなったり、従来の意味や使い方から変化しちゃってるものがどれだけあるのか、詳しいなら分かるでしょ?


いまさら、『だんだん』ってのを『やうやう』と表記しろって?


今、『正しい』とされてるもの自体が、その時点のそれを『正しい』と規定した人達の考えでそう決められただけじゃん。


<ラ抜き言葉>をやめて元に戻すなんてことが、できると思う? そんなことを言い出したって、


『何言ってんだこいつ? 頭おかしいんじゃね?』


って一笑に付されるのが関の山じゃないの?


私が散々言ってる、


『子供を生んだのは親の勝手。エゴ。子供に承諾をもらってなんかない』


っていう、


<物理的に厳然とした事実>


に基づく、


『自分勝手にこの世に送り出したんだから、<子供を生んでやった恩>なんか存在しない』


『自分勝手にこの世に送り出した以上、子供を育てるのは親の<義務>であって、恩を売れるような筋合いのことじゃない』


って考え方すら受け入れられないのがほとんどなのに、


『正しいの基準も曖昧な』


ものなんて、なんで受け入れられると思うのさ。


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