『自分の好きな作品が他人に貶されてたから、自分も他人の好きな作品を貶してやるんだ!』 みたいに考えてたら、自分にこそ<正義>が<道理>があるような気もしてくるのも事実

『他の奴らはみんな好き勝手やってんのに自分だけ我慢するとか不公平だろ!』


みたいに言いたかった時期は私にもあったよ。


でもさ、気付いちゃったんだよ。それは要するに『他人の所為にしてるだけ』ってことにさ。


で、それに気付いちゃった以上は、もう、そんな理屈で自分を正当化できないんだよね。


確かにさ、他人の所為にしてたら楽だよ? 


『自分の好きな作品が他人に貶されてたから、自分も他人の好きな作品を貶してやるんだ!』


みたいに考えてたら、自分にこそ<正義>が<道理>があるような気もしてくるのも事実。


けどね、それはただ単に『他人の所為にしてる』だけなんだよ。


自分の好きな作品を貶したどこかの誰かの巻き添えで、まったく関係ない人にまで嫌な思いさせていい道理はないんだ。


私の子供達がそんなことで他の創作者さんの作品を貶してたりしてたら悲しいよ。


創作者さんだけじゃなく、アイドルとかに対してもそう。ましてや創作者さんやアイドルとかを人間扱いしてなかったら、それこそ、許せないよ。


大体それじゃ、同じ創作者である私のことも人間扱いしてないのと同じだからね。


『金をもらってるから』


『夢を売ってるから』


だから、人間扱いしなくていい。


そんな理屈が通るんなら、子供達の親である私も、創作者である限りは、人間扱いしちゃだめってことになるじゃん。


自分の子供に人間扱いしてもらえない親って、何なの?


自分の親を人間扱いしない子供って、正気って言えるの?


まあ、私が子供達を人間扱いしなかったことで、私も子供達から人間扱いしてもらえなかったっていうのなら、それはまだ分かるんだけどさ。


人間じゃない者の親も、当然、人間じゃないんだろうからさ。


自分をちゃんと人間扱いしてもらえてたなら、他人を人間扱いすることも、別に難しくないんじゃないかな。


創作者だからって、アイドルだからって、人間扱いしないという人は、つまり、親から、人間扱いしてもらえなかった人達だってことかなって気がする。


<作家大先生>や<銀幕のスター>がそれこそ<雲の上の存在>だった頃には、なるほど確かに、自分と同じ人間であるという実感はなかったかもしれない。


だけどさ、何度も言うけどそういうのもただの人間だってことがもうバレてきちゃってるじゃん。実際、<夢を売る仕事をしてる人達>だって、ただの人間じゃん。


自分が夢を見ていたいからって、他人を、


<自分が夢を見るための人身御供>


にするのが本当に許されるとでも思ってんの? そういうのも、時代錯誤も甚だしいと思うんだよね。


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