私が異世界物を書く理由
私が延々としたためてた<恨み言ノート>も、あの人達には届かないってことが今なら分かるよ。だって問題はそこじゃないから。私の恨み言そのものが、あの人達にとっては完全に埒外の<たわごと>だから
私が延々としたためてた<恨み言ノート>も、あの人達には届かないってことが今なら分かるよ。だって問題はそこじゃないから。私の恨み言そのものが、あの人達にとっては完全に埒外の<たわごと>だから
私が延々としたためてた<恨み言ノート>も、あの人達には届かないってことが今なら分かるよ。
だって問題はそこじゃないから。私の恨み言そのものが、あの人達にとっては完全に埒外の<たわごと>だから。
あの人達は、心底、自分が娘から恨まれることを想定してないし想像してないし『有り得ないこと』と本気で思ってるからね。
『自分達は娘を生んでやって』
『育ててやって』
『だから感謝されるべき』
って信じて疑ってないんだよ。
だから私が恨み言をぶつけたところであの人達にとっては、
『裏切られた』
って認識にしかならないからさ。
あの人達と私とは、血は繋がってても決して交わることはないんだよ。理解し合えることもない。
でもね、親子だって別々の人間なんだ。百パーセント完全に分かり合えることなんてない。
『分かり合えない』
のが正解なんだ。
『どうして分かり合えないの!?』
とか嘆く必要もない。私だって、子供達のすべてを完全に理解してるなんて思い上がったことは言えないよ。
そう。理解できてないから少しでも理解を深めようと努力するんだよ。目を見て顔を見て表情を見て仕草を見て、そして言葉に耳を傾けるんだよ。
『自分は子供のことが何でも分かる』
とか思い上がってたら、そういうのもちゃんと見られないんじゃないの? 子供の一面だけを見て分かったような気になるんじゃないの?
フィクションでさ、とんでもない<不良>みたいなのが出てきて、それでそいつの母親とかがすごく『いい人そうに見える』って描写あるじゃん。で、
『母親はこんなにいい人なのにどうして息子はこんなグレたんだ?』
って言うのいるじゃん。
そんな風に思う時点で、『一面しか見てない』ってのが分かるんだよね。
だって、そのフィクションに描かれてる母親の姿がすべてとは限らないじゃん。しかも、父親の描写がなかったら、もしかしたらその父親がとんでもないDV男でそっちに似ただけかもしれないじゃん。
描かれてないところの情報がないのに、『母親はこんなにいい人なのにどうして』って考えるだけ無駄だよ。理解しようと思うなら、描かれてないところこそを見ようとしなきゃ。
もっとも、フィクションでは、そういう母親は、
<可哀想な被害者の一人>
として描かれるだけなんだから、<可哀想な被害者の一人>じゃなくなっちゃうような余計なところは描かないよね。
あと、
『親がどんなにいい人でもグレる奴はグレる』
とか言ってるのも、子供を育てたことがないからこそだろうね。
そして、
『結果には必ず原因がある』
という現実から目を逸らしてる。
<原因>がなければ<結果>は生まれないんだよ。
『親がどんなにいい人でも』なんてのは、物事を理解しようとしてない。
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