『他人がやってるから自分も誰かを傷付けていい!』なんてのは、典型的な、『他人の所為にしてる』ってやつじゃん

正直、私も、


『この世はクソだ!!』


って思ったことは何度もあるし、今でも思うことはある。


自分がどんなに敬おうとしても他人はそんなことお構いなしだし平気で誰かを傷付けたりしてる。


『だから私も……!』


って思ったりすることはないわけじゃない。


だけどさ、


『他人がやってるから自分も誰かを傷付けていい!』


なんてのは、典型的な、


『他人の所為にしてる』


ってやつじゃん。


他人の所為にして、道理に外れたことをしてるだけじゃん。


それでなんで大きな顔ができんの? 意味が分からない。


自分を攻撃してきた相手に対して面と向かって反撃してるだけなら、まだ分かるんだよ。だけど、自分が攻撃されたわけでもない相手を攻撃して傷付けようなんて行為のどこに正当性があるって?


<批判>だって言うなら言葉を選ぶのが当然じゃん。何より、<批判>だって言うなら、相手を傷付けようとする必要はないよね? 罵ったり嘲ったりする必要はないよね? 罵ったり嘲ったりするためにやってるんならそれは<批判>じゃないよ。


嘲ったり罵ったりするためにやるのは<批判>じゃなくて<侮辱>や<侮蔑>でしかない。


だけど、私の両親は、その違いも教えてくれなかった。


まあ、無理もないだろうけどさ。


両親自身がその違いを分かってなかったみたいだし。


幸い私は、<いい出逢い>があったことでその違いを学ぶこともできたけど、それがなかったら、たぶん私も、あの人達と同じように、ネットを<他人の攻撃するのに便利な道具>としか思ってなかっただろうな。


だけど私は、気付いちゃったんだよ。気付いちゃったからには、それ以前には戻れない。


『他人がやってるから自分もそれをそれをして当然』


って考えてた頃にはさ。


だってそれ、『他人の所為にしてる』だけだし。


パワハラとかする人間の気持ちが分からない。<自分より立場が低い相手>を、『反撃してこないできない』と分かってて威圧的に振る舞ったり恫喝したりなんて、<卑怯>以外の何だって言うの? 自分の感情もまともに制御できてないだけじゃん。


<指示>を出すだけなら<感情>は別に必要ないじゃん。必要な情報を適切な形で提示すればいいだけだし、もしそれが達成できなかったのなら淡々と<査定>に反映すればいいだけじゃん。


『怒鳴られなければ仕事ができない』


なんて人は、そもそも、


<言われないと何もできないタイプ>


なんじゃないの? できる人は怒鳴られなくたってできるよね?


結局、パワハラするような人は、『自分の感情も制御できない』し、『自分はこんなに頑張って仕事してます』感を出したいだけだよね?


もしくは、自分のストレスを他人に転嫁したいだけ。


だって、それ以外になんか理由ある?


『怒鳴らないと部下が仕事しないからだ!』


なんてのは、


『他人の所為にしてる』


だけだしさ。


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