雛鳥じゃあるまいし

結局、何を基にして創作を行うかなんて、創作者それぞれなんだと思う。私はただ、<人間>を見てると物語を思い付くっていうだけで、別に、


『それが創作の正しい在り方だ』


なんて言うつもりもないよ。


何を基に物語を生み出すかなんて、法律に触れるようなことでもない限り、他人がとやかく言うことじゃないはずなんだ。


本来は。


好き勝手に作られた無数の創作物の中から自分の好みに合うものを探し出すのが楽しいんじゃないの?


他人から与えられるものをただ口を開けて待ってるだけなんてさ、雛鳥じゃあるまいし、


<自我を持つ者>


としてどうなの?って思うんだけど?


本当に雛鳥だったら、確かに親鳥が餌を運んできてくれるのを待つしかできないと思う。親鳥が運んできた<餌>がとても食べられたものじゃなかったら『ぺっ!』って吐き出すのも当然だと思う。


でもさ、<雛鳥>じゃないんでしょ? ちゃんと自我を持って、自分の力で自分が欲してるものを掴み取りにいける、<それなりの年齢の人間>なんでしょ?


だったら、自分の親に甘えるみたいに他人に甘えるのはどうなの?


『とにかくすべての創作物が自分の好みに合わせて作られるのが当たり前』


って考え方は、


『自分は客だ! 客は神様なんだから四の五の言わずに言うことを聞け!!』


って態度そのものじゃん。


<横暴な客のやらかし>がどういうのかなんて、それこそ世間には溢れてるじゃん。


『自分は客だぞ!? 何で客の言うことが聞けない!?』


的な態度のが他人からはどう見えるのか、実例が山ほどあるじゃん。なんでそれを反面教師にしないの?


マジで謎なんですけど?


自分の好みに合わないんなら他を探せばいいじゃん。


自分で自分のことができるなら、それくらいできるんじゃないの?


私の場合は、自分の好みに完全に合致するものがなかなか見付からないから自分で作るようにしたんだけどさ。


あと、これも以前にも言ったことだと思うけど、シリアスも鬱展開もバッドエンドも、<フィクション>だからいいんだよ。


『現実に起こってることじゃない』


からいいんだ。フィクションであること自体が<救い>なんだよ。


それに、別に読むこと見ることを強要されるわけじゃないでしょ? それを強要してくるのがいたとしたら文句はそいつに言うべきであって、創作物にはなんの責任もないじゃん。


展開から何からすべて自分の思い通りになってほしいなら、完結しててどういう展開なのか結末なのか大まかにでも分かってるものを選ぶべきじゃん。


いずれにせよ私は、最初から<読者が望むもの>を作るつもりはないんだ。<読者が望むもの>が本当に分かっててその通りに作れるなら、商業誌で<売れなくて打ち切りになる作品>なんて、あるはずないからさ。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る