自分自身の首を絞める行為

また同じ話をすることになるけど、最近はさ、『自分が気に入らない』ってだけの理由でフィクションを攻撃するのが当たり前になってきてる気がする。


まあ実際には昔からそういうのはあったんだと思うけど、最近はネットのおかげで本当に誰でも簡単に攻撃できるようになったっていうのがあるのかもね。


だけどそれって結局、


『自分が気に入らなければ攻撃していい』


ってのを放置してきた結果だと思う。


しかも、


『言いたいことも言えない世の中なんておかしい!』


とか、


『不味いラーメンを不味いと言えないのはおかしい!』


とか言って、それがさも正当な行為であるかのように詭弁を弄してさ。


その結果がこれだよ。


フィクションの表現の中に自分の気に入らないのがあるからって、


『徹底的にケチつけて攻撃して潰してしまおう』


ってのが横行する今の現状こそが<その結果>だと私は思う。


『意見を述べる』


ってのはね、


『自分の気に入らないものは叩き潰していい』


という意味じゃないんだよ。


『時代によって許されるもの許されないものは変わってくる!!』


とか言うかもしれないけど、セクハラやパワハラが許されなくなったのは、現実世界に被害者が存在するからじゃないの?


一方、フィクションの中でどんなことが行われてたって、それは所詮、『現実じゃない』し、『被害者は実在しない』んだ。不法行為として成立しないんだよ。だから、フィクションの中では人だって殺されたりするし苦しめられたりもする。


それがどんなに残酷で胸糞悪くて吐き気をもよおすものであっても、『見ない』という選択によって非常に強力な自己防衛ができる以上は、現実の犯罪行為とはまったく次元の違う話だよ。


これまでにも何度も言ってる通り、<復讐>は許されない行為だ。リアルな復讐は、フィクションの中のそれみたいに都合よくいかないからね。まったく無関係な人が巻き込まれたりして、現実に被害者が出ることがあるからダメなんだよ。


だけど、フィクションの中では、


『現実世界では許されない復讐も存在できる』


んだよ。それがフィクションというものなんだ。


フィクションの中で描かれる行為や表現についてケチをつけて潰すというのは、回りまわって、


『自分の好きな作品が、誰かの『気に入らない!』『不快だ!』っていう個人的な理屈で潰される可能性が出てくる』


てことなんだよ。


分かる? 自分が気に入らないだとか不快だとかいう理屈でフィクションにケチをつけるってのは、自分自身の首を絞める行為なんだ。


どうしてそれが分からないの? どうして『自分のすることだけは許されるべきだ、認められるべきだ』って考えられるの? 


世界はあなただけのために存在するんじゃないんだよ?


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る