親であることをやめることはできない

私のこれって、私が親として私の子供達に伝えなきゃいけないと考えてることの<備忘録>っていう意味もあるんだけど……


いや、子供達が生まれてから以降の私の作品すべてが、ある種の備忘録になってる感じかな。


親が子供に伝えなきゃいけないことって、


<長編小説一本分>


程度のボリュームじゃ全然収まりきらないはずなんだよね。


しかも、一度話しても伝わってないと感じたら、何度でも、伝わるまで伝えなきゃいけないしさ。


親はさ、自分の子供達に対して、


『親であること』


をやめることはできないんだよ。


それこそ、子供に対して虐待でもして<親権停止の判決>でももらわない限り、ね。


少なくとも私はその覚悟を持って子供達を育ててる。


いや、


『育てさせてもらってる』


って言った方がいいかな。


だから、少なくとも私が生きてる間は、責任が消えてなくなることはないと思ってる。


でもね、その一方で、何の関係もない赤の他人がどこかの親に罵詈雑言ぶつけることも許されないことだと思う。


だって、何の関係もない、その親が何か責任を負わなきゃいけない相手でもないのから罵詈雑言ぶつけられなきゃいけない道理もないからね。


これも何度も言うけど、他人に悪態吐いたり罵詈雑言ぶつけたりってのは、マナーに反する、礼儀礼節を蔑ろにする行為だからね? 親にまともに躾けてもらった人間ならしないはずのことなんだからね?


それをするってことは、


『自分は親に躾けてもらってません!』


とか、


『自分の親は子供を躾けることもできない無能でした!』


とか、そういうことを公言してるのと一緒だからね?


私はまあ、自分が<有能な親>だとか思ってないからその部分についてはどうでもいいんだけど、少なくとも、自分の子供達が他人様に迷惑掛けてるのを黙って見過ごすことはできないししないんだよ。


子供が何歳になっても、伝えるべきことがちゃんと伝わってないとなったら、改めて伝える努力はするよ。見て見ぬフリはしない。


そういう意味では、私の作品そのものが、


<親のお説教>


っていう意味も含んだ物になるのかもね。


<お説教>って、やっぱ嫌じゃん? いい気しないじゃん? だけどさ、


<必要なお説教をしない親>


って、どう思う? それ、まともな親って言えるかなあ?


子供達が私の作品を読んだ時、私が伝えたいと思ってることが伝わるようなものであってほしいと思う。


私はね、<人の親>なんだよ。


だから親として必要なことは言うんだ。


たとえ子供に疎まれてもね。


でも同時に、どうすればちゃんと伝わるのかっていうのを考え続けることもやめないけどさ。


どういう言葉を使えば、どういう言い回しをすれば、伝わるのか?


それを考えるのをやめたら、私は創作者でいる意味がないと思う。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る