七話 美咲の気持ち



 一昨日、幼馴染にナンパから助けられた。

それはもう、かっこよく颯爽とナンパ達を気絶させて助けてくれた。


 ……正直、キュンとした。


 ……でも、彼の顔を見た瞬間、感謝の気持ちが恐怖に変わった。


 修の目が、紫色に妖しく光っていたのだ。思わず私は、「ヒッ!?」と怯えた声を出してしまった。それくらい怖かったのだ。


 修は私の声を聴くと、まるで予想していたかのような顔をした。強張ってるけど、無理矢理作ったような無表情。


 ………怒らせてしまった……


 後悔と恐怖が入り混じった感情に、押しつぶされそうになる。

 お陰で、ナンパ達が呻き声を上げるまで私はその場から動けなかった。そいつらが起きる前に家に帰ったのだが、心の中がずっと痛い。


「………なんで、あんな声出しちゃったんだろう……」


 助けてもらったのに。


 仲直りするチャンスだったのに。


 私の頭の中にはもうその事しか無かった。

お陰で夕食は喉を通らず、お風呂に入ったらのぼせてお母さんに心配される始末だ。


 そして、ベッドに入った後もまだ私は悶々と悩んでいた。


 悩んで悩んで、やっぱり謝罪するしかないと思った。


 真摯に謝るしかない。

それで許してもらえるのなら、仲直りもしたい。


「私、嫌な女だなぁ………」


自然と声に出ていた。


 だって、私が全面的に悪いのに謝罪した後に仲直りしようだなんて。


 それって、許してもらえるのが前提になっているという事だ。


 もしかしたら、修は凄く傷ついたかもしれないのに。


 それに気づいたら居ても立っても居られなくなった。


「絶対、明日謝らなきゃ。」


その一心で手紙を書いた。

家にあったのがピンクの封筒だけだったので、便箋に明日体育館裏に来て欲しい、との旨を書いてそれにしまった。


 名前は書かなかった。臆病だと自分でも思うけど、もしかしたら、来てくれないかもしれないから。


 後から見て、まるでラブレターのようだと思った。



* * *



 次の日、いつもより早く家を出て学校に行った。この時間は生徒の数が少ない事を私は知っている。


 下駄箱に着くと、彼の出席番号を探す。

一応、クラスの人全員の名前と出席番号は頭に入れている。


 前に一度、男の子に声を掛けられた時に「どなたですか?」と返したら、凄く傷ついた表情で帰っていってしまったので、今後こんな事が無いようにクラスの人の名前は覚えるようにしているのだ。

 クラスでの挨拶も、相手の名前を声に出して呼ぶため。

この方がよく名前を覚えられるからだ。


 直ぐに靴箱は見つかったので、周りから手紙が見えないように靴の中に入れた。この学校の靴箱は、靴が外から見えるようになっている。


 そして、少し校内をぶらぶらと歩いて教室に入った。

時間はいつもより少し早いくらいだ。

近くにいた男の子に挨拶をする。


 何故かその男の子、確か田中君?は顔を真っ赤にして挨拶を返してきた。

その後もクラスにいる人全員に挨拶をして周り、いつもいる女子のグループに入った。


 しばらく談笑していると、修が上井君と一緒に教室に入ってきた。

なんだか気まずくて、修達が入ってきた事に気付かないフリをした。


 その日の授業は全く身が入らなかった。



* * *



 放課後、修は上井君と少し話した後、直ぐにどこかに行ってしまった。多分体育館裏だろう。


 少し遅れて、私もそこへ行く。すると、そこには修がちゃんと居てくれた。名前を明かしていないにしても嬉しい。

 私は昨日から練習してきた謝罪の言葉を復唱する。


 ………よし。行くぞ、美咲。


 こちらに背中を向けている修に向かって近づいていく。修は何かブツブツと呟いていてこちらには気がついていない。


「……修…」


 私が声をかけると、彼は物凄い速さで振り返って、


「美咲………」


と、久しぶりに名前で私を呼んでくれた。


 私は修に近づき、謝罪の言葉を口にする。

 修は私の言葉を黙って聞いてくれていて、私が思いっきり頭を下げたのを見て、


「顔を上げてくれ、美咲」


と言った。私が言う通りに顔を上げると、彼は凄く優しい顔をしている。


そして…


「謝罪を受け入れるよ。正直、あの僕を見て怖がらない人がいたら驚くよ。……だから、もう良いよ。」


なんて、言ってくれた。


 私には、こんな事で許されてもいいのか、というか気持ちしかしない。


 だから逡巡したのだが……


「今は、美咲に昨日のことの説明をしたい。美咲が僕を怖がったのは、あの目の所為だろう?」


と、的確な事を言ってきたので、私は正直に頷いてしまった。


すると、彼は自分の過去の話を始めたのだ。



* * *



「そんな事が……」


 想像を絶するような話だった。


 私は何も知らなかったのだ。


 修の両親が離婚した時だって、私は単身赴任だと疑わなかった。


 あの日、私のお母さんが沈んだ顔をしていたのも、友達が遠くに行ってしまったからだと思っていた。


 中学の時、修が遭難して入院した時も、私は思春期特有の”異性と距離が近いのは恥ずかしい”という感情によって修と距離を置いていたので、彼がそんな目に合っていた事さえ知らなかった。


 ……考えれば考えるほど、自分が何も出来なかった事に後悔を感じる。


……だが、やはり私は嫌な女なのだろう。


『話してくれないと分からない』なんて事を自然と思ってしまったのだから。


 そう思った時、修から予想外の言葉を貰った。


「騙したりして、ごめん」


 彼の、まるで心を読んだようにタイミングが良い謝罪に驚くと同時に、生まれた時から一緒にいる私には話して欲しかったとも思った。


 ………と言っても、もし私に話してくれたとしたら、昨日の様なかっこいい修を見ることも、彼に対してこんな気持ちを抱く事もなかっただろう。


 ………複雑な気持ちだ。


 一時期離れた時期があったからこそ、ナンパから助けてくれた修を一人の異性として認識した。


……でも、もし私が修と一時も離れなかったら?


私は修を、異性と認識できたのだろうか?


 はぁ………こんな時にこんな事を考える私は、やはり自分の事しか考えていない人間なのだろうか?


 ……いや、考えても仕方がない。私も謝罪を受け入れなければ……


「……いいの。大変だっただろうし……」


「…ありがとう」


 少しモヤモヤとした気持ちを抱えながら、謝罪を受け入れた。



* * *



 その日の夜。


 部屋の中で未だにウジウジしている私に、とある人から電話がかかってきた。


「も、もしもし?」


「こんばんは。美咲さん。夜分にすみません。」


「ううん。大丈夫。……久し振りね、冬香ちゃん。」


「はい。」


「どうしたの?何かあった?」


「確認したい事がありまして。」


 もしかして、義兄妹の事かな?


「それって、今日の放課後、修が話していた事?」


「…ああ、それが聞ければ十分です。お手数かけました。」


 そう言って冬香ちゃんは一方的に電話を切ろうとしたので、慌てて呼び止めた。


「どうしたんですか?」


「あ、えっと………修と、兄妹、なんだよね?」


「はい。中学一年の時にお母さんが再婚して、兄妹になりました。」


「………じゃあ、4人で暮らしてるんだ。」


「はい……あ、でも実質私とお兄ちゃんの二人暮らしですね。お父さんは仕事でいつも帰りが深夜だし、お母さんは銀行員なので単身赴任に行ってますし。」


「………え。」


 なん、だと………


 私の頭の中に一瞬、「同棲」という言葉が浮かんだ。


 ……いやいや、2人は兄妹。

 兄妹……兄妹……兄妹………義兄妹………


 私の頭の中はヒートアップしていて、思わず変な事を聞いてしまった。


「そ、それって大丈夫なの?」


「何がですか?」


「義兄妹だったとしても……年頃の男女が……一つ屋根の下に………」


 すると、少しの沈黙の後……


「………プフッ!」


「な、なんで笑うの!?」


「いや………だって…………プクク……」


「ね、ねえってば!」


「ククク………み、美咲さん、お兄ちゃんの事好きすぎでしょ………プフッ!」


 “好き”という言葉を聞いた瞬間、私の顔は風呂上がりのように真っ赤になってしまった。


 確かに今の発言はそう捉えられても………いや!そうじゃなくて!


「ち、違います!べ、別に、しゅきなんかじゃないもん!」


 あぁ………噛んだ………終わった………


「プハッ!あはははははっ!」


「別に笑わなくてもいいじゃない………」


 ぶすっと不貞腐れていると、その雰囲気を感じ取ったのか、冬香ちゃんは笑うのをやめてくれた。やっぱりいい子だ。


「いやぁ………美咲さんはお兄ちゃんが、

”しゅき”なんですねー」


「っ〜〜〜〜!!」


 人をからかうの、ダメ。ゼッタイ。

 やっぱり冬香ちゃんは悪い子。


「それはそうと……やっぱり心配ですか?」


「え?あ、いや……別に……心配なんかじゃ………」


「ふむ………まあ、これだけは言えます。私は今は、お兄ちゃんに親愛の感情しか抱いていません。」


「そっか………」


 よかった…………ん?


 今は?


「ねえ、冬香ちゃん?」


「何ですか?」


「”今は”なの?」


「……ええ、”今は”です。美咲さんの要注意リストに入れておいた方がいいかもしれませんね?」


「ふーん………」


 それ、自分で言っちゃうんだ……


「………まあ、取り敢えず確認は済んだので、ここらで一旦終わりにしましょうか。」


「………そうね。また明日ね。冬香ちゃん。」


「ええ。また明日。」


ツー、ツー、ツー……


 私はベッドに身を預けながら、恋敵になるかもしれない相手に対抗するための、修に対する攻めの策を練り始めた。


 その時、私の中にあったモヤモヤが何故か消えているのには、私は気がつかなかった。

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