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 青苗の朝は明るく眩し過ぎた。


 窓から差し込む光だけでなく、階下で人が動き回る音すら眩しかった。


 セットしたアラームが鳴るまで、もう少し眠っていようと思ったのだが、家族というものには、こういう音もあるのだろうなぁと思うと、俺は眠れなくなった。かといって寝不足ではない。近頃ずっと、早寝早起きなだけなのだ。


 洗面所に行って歯を磨き、顔を洗った。


 階下から北海道訛りのキツイ話し声が上がってきていた。それは、俺以外に泊まっている家族のお爺ちゃんとお婆ちゃん、それと女将の三人が、ロビーでモーニングコーヒーを飲みながら楽しそうにお喋りをしている声だった。


 飯の時間までの虚無な時間を、入院時のように部屋でテレビを見ながら過ごした。


 徳永が電話で話していたとおり、千歳空港の事件のことは何一つ流れることはなかった。紋別の三宅恵美のことを思い出した。まだあの家で、一人ボッチになっても暮らしているのだろうか?ずっと気になっていたのだが、俺に出来ることなどないので関わらないことに決めていた。


 次のニュースとして、函館ではイカが不漁だとアナウンサーが言った。


 彩香が楽しみにしていると言ったイカ釣りは出来るのだろうか?このまま獲れなくなって、イカ釣りが出来なくなった方が、俺にとっても、彩香にとっても、良いことなのではないだろうかと、ふと思った。


 ニュースが終わり、天気予報が始まった。


 俺も気持ちを切り替える良いタイミングになった。


 今日の奥尻の天気は晴れ。北海道の握るところの日本海側も晴れ。しかし内浦湾に面する側は午前中、曇り時々小雨、午後からは曇りの予報だった。俺は急いで高岡ちゃんから借りているスマホの電源を入れた。スマホは繋がるようだった。天気予報を開いてみると、週間予報には俺がげんなりするような曇りマークが並んでいた。。大沼や駒ケ岳の絶景を楽しめるだろうか?


 階下から「朝ごはん出来ました」の声が聞こえた。


 朝飯も美味しかった。が、やはりアウェイ感の中で食べるのは苦痛に近かった。


 そそくさと食ってから、纏めてある荷物を持って宿を出た。


 「随分早いねぇ。船までは随分時間があるでしょう」と女将に言われたが、「色々と巡って写真も撮りたいので」そう言って返した。


 態々外に見送りに出ようという格好はしてくれたが、まだ色々と用事が込み入っているとのことで、女将は玄関先で俺を見送った。ここでは、そういうものなのだろう。やはり泊めてやっている感が滲み出ていた。


 相棒に火を入れながら荷物を積み込んだ。


 発車時に、洗い物やら下拵えなどの音が聞こえる調理場の窓から、女将が網戸越しに「気をつけて旅してね」と声をかけてくれた。


 「ありがとうございます。お世話になりました」


 そう俺は言って、アクセルを開いた。やっぱり俺と民宿というシステムが、どうにも合わないようだ。


 十二時の出航時間までには、かなりの時間があった。どうするか予定は立てていなかった。行き当たりばったりで、先ずは近くにある空港を目指した。


 奥尻空港への道道1158号線に曲がり、空と大地の中に入ってやっと、空の青さに心が弾んだ。やっぱり空が重要なのだ。


 道道39号線はスノーシェッドを抜けると下り坂で、海岸沿いまで知らぬ間に運ばれていた。


 空は水色で、海は青なのだと、子供の頃のお絵描きの時に、隣に座っていた女子から借りた色鉛筆で塗り潰した色が、間違いではなかったことに改めて気づかされた。


 北の海なのに、温かみを持っている透き通った碧だった。これが、彩香が電話で話していた奥尻ブルーなのだと知った。


 ボコボコと海面から突き出ている岩の色と、空の水色と、海の碧さの加減がとても素敵だった。


 俺は、進んでは撮り眺め、眺め撮っては進みを繰り返した。海の碧だけを写しても、色々な碧があることにも気づかされた。奥尻ブルーは久々に俺の旅心を刺激した。ここへ渡って来て良かったと思えた。


 美瑛の丘を巡っている時のような呆け感が身体を包んでいた。兎に角、気分も気持ちも良かった。海と空の端境でグラデーションを見せる奥尻ブルーが、俺を奥尻島好きにさせ始めていった。


 スピードは快適よりもノロノロに変わっていった。高齢運転者マークが貼られたクソ遅い軽トラに、相棒を端に目一杯寄せ片足を突いて道を譲らなければならないほどのスロースピードだった。


 綺麗で心奪われた道も、鴨岩トンネルを抜けると上り坂が見え、そこから先は山の上へと延びていた。


 視界の開けない山から下りて、湯浜の集落の漁師小屋のような建物の前で自販機を見つけた。この島には自販機も少ないのだ。今朝飲み切ってしまったお茶を補充し、一口喉に流してから出発した。


 集落を過ぎると道はまた海辺リに延びていた。さっきまで以上に、海から岩が沢山ボコボコと突き出ていた。奥尻ブルーは健在だった。呆けと驚きと感動が入り混じる、変な感覚で俺は走っていた。


 幌内トンネルを過ぎるとまた道は山へと延びている。


 止まって地図を確認すると、ここから先は山の中をずっと進むようだった。


 登り始めは視界が開けていて、俺も相棒を停めて何枚かシャッターを押したのだが、そのうちに全く視界が開けない道が続くようになっていった。


 このまま島を一周している道道39号線で北端へ向かうつもりでいたのだが、時々視界が開けるものの空以外はまったく見えず楽しくないのと、途中に無舗装の道路があることを地図で見て、それなら一度港まで行こうと決めた。そこからまた道道39号線を北へ進み、船から見えていた神社のような建築物が建っていた小島に行ってみようと思った。


 路面状態の悪さが気になり始めた。だがそれは序の口で、奥尻の街へ下りる番号のない狭い坂道は、質の悪いアスファルトの凸凹道だった。


 相棒に気を遣ってゆっくりとフルボトムしないように下りて行った。


 やっと下界に下りると、俺の身体は少し汗ばんでいた。昨日も立ち寄ったセコマでアイスバーを食って、冷たいブラックコーヒーを飲んで身体の熱を冷ました。やはり夏なのだと感じた。


 船のないフェリーターミナルはガランとしていて、奥尻の街も長閑だった。


 やはり海沿いの道は気持ちが良い。こちら側の海は西側の色とは違い、昨日走った国道229号線で見た海の色に似ていた。


 坂を下ると気になっていた建物の屋根が見えた。手前にあった駐車場スペースに相棒を停めて、公園の広場のような場所から目線の先にある対岸の建物を眺めた。


 広場の端から向こうに行ける階段があるようだった。小島の上にすっくと建っていたのは神社で、名前は宮津弁天宮だと階段横の看板に書いてあった。


 小島だと思っていたのだが、しっかりと地続きだった。少し昔は海で区切られていたのではないかと思える、とても変わった地形だった。


 階段はかなり急で、下にはちゃんと鳥居が建っていた。


 急階段を下りた分、向こうでも同じ高さを上るようになっている。


 俺の身体は、層雲峡で黒岳に文明の利器を使って登り、山小屋のおじさんに勧められた滝を見に歩いて行って無理をしたのがいけなかった。ずっと身体の芯に薄っすらと違和感が残っているのだ。多分、ここで無理をすれば、旅自体が終わりを迎えかねない。今回は大事を取って諦めることにした。


 それにしても、俺は身体を開いた時に失ってしまったものが多過ぎる。そんなマイナスな思考になりかけていた時、道は段々と先っちょへの期待感を抱かせる風景に変わっていった。


 ここの先っちょは、知床岬やノシャップ岬に似た様相だった。根本には連なる山があって、台地のような丘があって、その先は海まで平地が延びていた。


 先っちょ・稲穂岬の先端にある賽の河原公園へ向けて右折した。


 公園では何組かの家族がビニールを敷いてピクニック気分を楽しんでいた。近くには屋根付きの調理場がある様子だった。肉の焼ける匂いが堪らなく旨かった。


 相棒を停めた傍にある売店の小さな建物の奥には、卒塔婆や石積がある賽の河原の名前通りの風景があった。


 俺は慰霊碑の前に立ち、津波で亡くなった方々へ手を合わせた。


 波音を聞きながら風は緩やかで気持ちが良かった。


 相棒の元に戻って地図を確認し、何処で時間を潰せばいいのかを考えた。


 取り敢えず先に進もうと思った。


 道道39号線は進むにつれて路面状態が悪くなっていき、左右から伸び出た草が一層道を狭めていた。それ以上は退屈な山の中へ進んで行きそうだったので、俺は相棒をUターンさせて来た道を返した。


 宮津弁天宮の先を右折して山の頂上へ向かう。


 地図には球島山展望台へ行くと、360度、奥尻島を見渡せると書いてあったのだ。


 展望台までの舗装は良かった。駐車場に入ると、頂上に続く真っ直ぐな階段が正面に表れた。その横にある大きな絵看板の前に相棒を停めた。そして俺は階段の先を仰ぎ見た。これぐらいならと、重い腰を上げる。


 ヒーヒー言いながら上まで登った。足を引き摺りながらでも登った甲斐がある景色が其処には在った。


 地図に書いてある文言に嘘はなかった。島の東西南北全てが夏の青い空の下、綺麗にその全貌を見せていた。織り込まれるような山並みも、昨日変なことを考えた鍋釣岩も、くっきりとその雄姿を見せている。


 こんなに綺麗だったのなら、タンクバッグにあるコーヒーセットを持ってくるのだったと、バンダナで汗を拭き、ヒップバッグの温くなったお茶を喉に流し込みながら思った。


 日差しは容赦なく、パーカーとグローブの隙間に見える俺の肌を、黒く焦がしていた。


 そのうちに、何処で生まれたのかわからない薄雲が、南の山並みに雲海を作った。




 ウニマルのお見送りで乗船した。


 思っていた以上の時間をフェリーターミナルで過ごすことになって、夏のお天道様の下走っていた身体をクールダウンする為に冷たい缶コーヒーを飲んだあと、ターミナルの傍のお店で俺は“ボラ”を食べた。


 ボラとは、先の震災時にボランティアの方々に感謝を込めて振舞ったのが始まりだそうだ。コーヒーゼリーにたっぷりのソフトクリーム、その上にキャラメルソースがかかっていた。


 俺の前に並んでいたお姉さんが注文した現物を見て、さっきコーヒーを飲んだところだったので、コーヒーゼリーがプリンに変わったプリンソフトを食べることに変更した。


 小腹が空いていたので全てが旨く、細胞の隅々まで甘さが行き渡るようだった。


 帰りのフェリーに無賃乗船のカモメはいなかった。




 遠くに見えるせたなの港は、薄っすらとガスっているように見えていた。


 空腹を堪えたまま下船して、トンネルを越えて、『わっかけ岩』へ向かった。


 余りにも空腹が過ぎたので、雲丹のオンリー丼よりも手ごろなウニホタテ丼を掻き込んだ。どうしても稚内の塩雲丹の旨さが蘇り、素直に楽しめない贅沢な俺がいたんだ。


 それでも十二分に旨かった。昨日入れたガソリンスタンドで相棒に飯を飲ませてから、満足感のままで南へ向かった。


 本当にこの向こうの空には、湾を覆い尽くすような雲が蔓延っているのだろうか?左手に連なる低い山並みを見ながら、そんな疑問が頭を擡げるほどの快晴だった。


 少し走ったところで→太櫓・道道740号線の標識を見つけて右折した。


 鷹の巣トンネルを抜けた先は、直ぐ横に海を見ながらの道が続いていた。やっぱり海辺は少し霞んでいた。


 それでも気持ちいい道は続いている。


 何も考えないまま呆けて走る。いや、考えないのではない、考えられないのだ。


 気がつくと道道740号線は終わりを迎えていた。俺は国道229号線を右折する。


 目的の道の駅・てっくいランド大成は直ぐに現れた。もっと走って行きたいと思いながら相棒を停め、降りる時にケツが痛いと感じるのはもう当たり前になっている。


 スタンプを押して国道229号線をUターンして北上した。


 このまま気分が良いからと調子に乗って南下してしまうと、八雲町は直ぐに行けるとしても、今金町や長万部町を、置戸町や訓子府町のようにまた取りこぼしてしまいそうだった。


 だから北上して、道道に右折した所の少し先から国道230号線に戻り、今金町に入ろうと船の上で地図とにらめっこしながら考えたのだ。


 今金町の“ピリカカイギュウのすむまち いまがね”の文字とアザラシだかトドだかアシカだかを描いたカントリーサインと出逢ったのは、もう随分と白よりも灰色が勝った空の下だった。


 道は山の中へと入っていった。


 橋の上に出た。圧迫感ある灰色の空はドンドンと色を深めていき、霞は霧へと変わりつつあった。左手には、平べったいダムが紗の向こうに姿を見せていた。


 谷間のような上り坂の途中に、花と蟹が描かれた長万部町のカントリーサインは在った。


 この道の交通量が多いことに驚きながら、道の端ギリギリに停まって、それをカメラに収めた。


 山道の天辺も気づかぬうちに下り坂に変わり、霞に包まれた国縫の街で国道5号線にぶち当たる。左折して長万部の街に向かった。長万部には温泉街があって、宿も数軒あるようだった。


 長万部の駅は、思っていた以上に閑散としていた。灰色の空がそう思わせるのか、何とも寂しさが街中に漂っているようだった。


 長万部名物かにめしを食べ比べするために、二つの店に立ち寄ってから、長万部温泉街に行って宿を探した。だが、この時期は学生の団体客が多いらしく、全軒回ってみても、何処も空いている部屋はないと言われた。


 その中の数軒で、歓迎看板に書かれた『道愛会』の文字を見つけた。


 俺は嫌な気分になったあとに、これが最後だったのかと気がついて愕然とした。こんな場所で野宿になるなんて考えてもみなかった。


 最後の宿の女将が、「駅に行って観光案内所で聞いてみたら?」そう言った。


 駅の観光案内所に立ち寄って、係の女性に長万部温泉に泊まるところがないことを話した。


 「この時間なら函館に行けば、いっぱいホテルがありますよ」という女性所員に俺は、他人にはどうでもいい俺の旅の趣旨を話して聞かせた。


 呆気にとられている女性所員の奥に座っていた眼鏡をかけた女性所員が、PCを操作して助け舟を出してきた。


 「山奥にある宿だったら開いているかもしれません」


 「そこで結構です。予約出来ますか?」


 俺は食い気味に答えた。野宿などまっぴらだ。


 「電話してみますね」


 眼鏡をかけた女性所員が電話で話をつけてくれている時に、最初に相手をしてくれた女性所員が呑気に言った。


 「そこ、携帯もスマホも通じませんから、そのお積りで」


 俺は、女性係員が口にしたその言葉の意味が、この時点ではまだピンとはきていなかった。


 「晩御飯は用意出来ないそうなので、素泊まりでもいいですか?」


 俺はかにめしを二種類も買い込んでいるので、「大丈夫です」と胸を張って返事した。


 相棒に戻って地図を取って帰り、眼鏡の女性所員に見せて行き順をペンでなぞってもらった。


 礼を言って表に出て、存外暗くなっている空の下で地図を再確認した。思っていたよりも時間がかかりそうだったし、目の前にいた彼女が言ったように、携帯もスマホも使えないような山の中に宿はあるようだった。


 コンビニで、余分に食料と今夜の酒を買い込み再スタートした。


 駅前の道を北東に出て、直進は国道37号線となる交差点で左折して国道5号線を進んで行った。


 思った以上に空が暗くなるのが早かった。


 国道から逸れた山道はほとんど一本道だったが、路面も悪いところが多々あって、スピードを上げることも出来なかった。そのうちに闇夜になっていき、霧がシールドに水滴をつけて、時折それは水の流れとなっていった。


 おぼつかないライトの灯りだけで宿まで辿り着いた。


 受付で前払いすると鍵を渡された。


 寝る場所しかない小さな部屋に、荷物を開ける気にはなれなかった。


 ガラ携のアンテナは一本も立っていない。陸の孤島といった感じか。


 自慢の温泉の準備に取り掛かる。この宿の浴場にはシャンプーもボディーソープもないという。だから、ここぞとばかりに使わずに貯め込んでいたアメニティを取り出した。


 部屋を出て廊下を進んでいると、色んな場所に、色んな張り紙がしてあった。どうも湯治場の宿のようだったが、妙に宗教染みた感があった。


 建物の中をかなり歩いて風呂に辿り着いた。


 まだ夕食時間中だからか人はいなかった。


 照明が足りていない暗い浴場の湯船には冷泉が張られていた。洗い場に出るお湯はどうやら温泉らしい。匂いがきつかった。


 シャンプーやボディーソープは太刀打ち出来なかった。泡が立たず、ただ洗っているという感覚だけが頼りだった。


 やっと身体を綺麗にして露天に入った。ここでも温度が微妙に区分けされてあった。


 オレンジがかった照明のせいか、有馬温泉の金の湯以上に黄金色?いや、黄土色の湯に浸かった。


 滝の音なのか雨の降る音なのか、兎に角水が奏でる音を聞きながらの湯は、とても気持ちが良いものだった。


 湯船の横に岩のようなものがデンと存在してあった。


 俺は人が込み合うまでじっくりと身体を癒した。


 部屋に戻り、唯一外部からの情報を得られる写りの悪いテレビを流しながら、長万部のかにめしを温くなったいつもの缶ビールとポン酒でやった。


 かにめしは、微妙に味が違っていて、一つずつ平らげずに、二つを食べ比べすればよかったと少しだけ後悔した。


 それでも大満足だ。あとは明日の朝、窓の外から聞こえてくる雨音が鳴り止んでいることを願うばかりだった。


 呑むしかないのであっという間に飲み切って、しばらくテレビを眺めていたが、気がついたら夜明けの少し前だった。


 洗面所で歯を磨いて、それから露天の湯に向かった。


 静まり返った館内の、壁に張られた記事のコピーを見て知ったのだが、あの岩はラジウム含有天然記念物の石灰華ドームだそうだ。昨夜はよくわからなかった湯船の横にある岩は、今日は雨の上がった薄い雲の下で黄色く輝いていた。何となく身体に良い気がしていた。


 時間が早過ぎて誰もいない、滝の落ちる音しか聞こえない湯にじっくりと浸かっていると、そのうちに内湯の方から声が漏れ聞こえてきた。


 「やっぱり何年経っても、あの女とやった感覚が、まだ忘れられないんさ」


 「よく言うよ。興奮して首絞め過ぎてヤッちまったくせに」


 「あれは事故だべさ。それに、お前は死んだあの女に突き立ててたくせに」


 「だはんこくな。俺は、ただ、気絶してるだけだと思ったんだ。どうしょうもないなお前は。まだ、みっだぐないことしてんじゃないだろうなぁ?」


 「いやぁ、なんもなんも。今は、あの時を想像しながら自分でシゴいてるんが一番だ。ハハハッ」


 早朝から何と極悪な会話が繰り広げられているのだろうと俺は思った。悪は何処にでも、道端の石ころのように転がっている。悪は人々の身近に影を潜めていて、普通に生活していると、それに気がつかないでいるだけなのだ。極悪の中で暮らし生きてきた俺も、しばらく遠ざかっている間に、そういうものに嫌悪感を覚えるようになっていた。


 直ぐに何人かの客が入ってきたようだ。その喧噪で二人の会話は終わった。


 中で掛け湯をして直接こちらに来たのだろう、お爺さんが一人露天風呂にやって来て、「おはようございます」と俺に言った。


 俺も丁寧に「おはようございます」と返した。声からしてこの男がさっきの会話の主ではないことはわかった。


 そのうちに俺がいる一番熱い湯船が老若で一杯になった。そのあとも何人か露天に出てきて、反対側の少し温い湯船に入った。


 その中で二人組は一組だけだった。


 二人の話す声に聞き耳を立てた。間違いなかった。この男達だった。


 どちらも三十代半ばぐらいで、身体に絵は描かれていなかった。一人は短髪の小太りで、もう一人は細身。女を絞め殺したのは小太りの男のようだった。


 俺はタオルを頭にのせたまま、素知らぬ顔で身体を温めた。


 何人かが湯から出たので、俺もそれらに紛れて露天風呂をあとにした。


 俺は二人の顔と体型をしっかりと覚え込んでしまった。


 部屋に戻ると丁度、テレビで天気予報をやっていた。


 八雲町は一日曇りで、所々で小雨が降るらしい。日本海側は今日も全部が晴れ予報だった。


 地図でどう走るか決めた。


 他の客が食堂に集まって朝飯を食っている。その間に俺は宿を出発した。


 昨夜の雨で道の所々に泥川が流れていた。


 跳ねに気をつけながらゆっくりと狭い道を進んで行く。


 昨日はあんなに暗い中、無事に宿まで着いたものだと自画自賛する。それほどの荒れた道が続いていたのだ。


 やっと国道に辿り着いた。少し開けた空は灰色だった。


 今日は国道5号線を南下して八雲町に入り、国道277号線で西へ向かうのだ。


 昨日着ていた薄手のパーカーから、保温性のある冬物のパーカーに着替えて正解だった。


 海沿いの国道には、こちらでいう“ガス”が酷かった。雨でもないのにシールドには水滴が幾筋も垂れているし、あまり前の大型トラックに近づき過ぎると、濡れた路面の跳ねで全身が濡れることになりそうだった。 


 前から走ってきた二台のバイクには、カッチリとレインスーツを着こんだライダーが乗っていた。


 ガスの中で八雲町のカントリーサインと出逢った。


 国道277号線は、八雲の街の手前にあった。越えねばならない山の姿は、今はまったくガスで見えなかったが、交通量が激減していたので、その分走り易かった。


 灰色の中、山道を登って行くと、『雲石峠 頂上 標高427m』と看板が出ていた。そこからの下り坂は、雲の色がドンドンと薄くなり、トンネルを二つ抜けた先の空は綺麗な青が雲間に輝いていた。


 日本海沿いを行く国道229号線を左折して、豊浜トンネルの手前で乙部町のカントリーサインに出逢う。


 やっと晴れた空の元、快適に流していると、道の駅・ルート229元和台の看板が現れた。


 標識に従って右に折れると、駐車場の端に小さな建物が二つ並んでいた。本当に此処が道の駅なのか?そんな疑問を持つほどだった。


 どちらも小さい中でも、大きい方がトイレで、小さい方が売店・案内所と壁に文字が掲げられていた。


 スタンプを押す前に荷を少し解いて、冬用のパーカーから薄っぺらい夏用パーカーに着替えた。


 朝飯を食っていなかったが、今は腹が空いていなかった。スタンプを押して建物の奥にある展望台に行って、缶コーヒーを飲みながら眼下の海を眺めた。とても綺麗な透き通った碧をしていた。


 ほとんど貸し切り状態の道を、呆けた状態で進んで行く。


 江差町のカントリーサインを危うく見逃すところだった。慌てて行き過ぎてUターンして、またUターンしてから、しっかりとカメラに収めた。


 江差に入ると道は海から離れ、少し内陸に延びていた。


 函館から北斗市、厚沢部町を抜けてくる国道227号線と、日本海側を函館まで延びている国道228号線と、今走ってきた国道229号線が交わる三差路の交差点の少し手前に、初めての『ラッキーピエロ』を発見した。


 急に腹が減ってきた。俺は先にハンバーガーを食うか、それとも国道227号線を少し行ったところにある道の駅・あっさぶに行って、先にスタンプを押してしまうかを、長い信号待ちの間に考えた。


 厚沢部町のカントリーサインは国道227号線へ左折すると直ぐに在った。


 写真を撮り終えて少し進むと、大きな『ラッキーピエロ』の看板が立っていた。さっきのところと敷地が繋がっているらしかった。


 道の駅。あっさぶは、何故か大変な賑わいだった。


 チャイニーズチキンバーガーを食うことに頭が一杯になっていた俺は、人混みを掻き分けるようにスタンプ台まで行ってミッションをクリアーした。


 戻りは渋滞が起きていた。


 少しではなく、しばらく走ってはピタリと止まり、またしばらく走ってはピタリと止まるを繰り返し、やっと初めての“ラッピ”の店内に足を踏み入れた。


 オードリーヘップバーンしかいなかった。壁という壁に、ヘップバーンの写真がところ狭しと飾られてあった。


 俺はパッと目についた、チャイニーズチキンバーガーの入ったダントツ人気ナンバー1セットを注文した。


 出来上がりを待って、俺が大好きな「ローマの休日」のヘップバーンの前のテーブルに腰を下ろした。


 包まれた紙を剥がすと、チャイニーズチキンバーガーの旨そうな香りが上がってきた。一口齧りつくと、何とも言えない旨さが口の中に広がった。俺の好きな味だ。旨かった。


 半分ほど夢中で齧りついて、ウーロン茶で一休みする。


 マグカップに入ったフライドポテトには、チーズとミートソースがかかっていた。これをどうやって食べればいいのかがわからなかった。


 仕方がないので手で摘まみ一本を口に入れた。


 残りのチャイニーズチキンバーガーを食い切って、残るはポテトだけになった。しかし、まだどう食べればよいのかわからず仕舞いだった。


 調味料が置いてある場所でつま楊枝を見つけ、それを二本使って食べ始めた。多分、スプーンかフォークがあるはずだが、何処にあるのか見つけることが出来なかった。実に食い難い。


 喰い難いから、メニューを見ながら時間をかけて食べた。


 ここはハンバーガー屋のくせに、カレーにオムライス、ハンバーグステーキにピザ、それに焼きそばやトンカツまで揃ってあった。


 なんて店だ。


 それにしてもハンバーガー一つでかなり満腹感が味わえる。これからの道南では、旅の強い味方になりそうだった。


 マグカップの底に固まったチーズと、その下のミートソースは、二本の爪楊枝では食べることが出来なかった。


 国道228号線は、満腹感と満足感もあって、空も青く、海も碧く、呆けるには持って来いの道だった。だが、その途中で道の駅・江差が現れて、スタンプを押すために一瞬だけ中断した。江差の道の駅も、道の駅・ルート229元和台と同じように小さな建物が二つあるだけだった。


 直ぐに出発して、その先にあった江差の街では国道を一本逸れて、いにしえ街道を相棒で流した。


 いにしえ街道には電柱がなく、江戸後期の建物が現存していたり、古い建物が修復されて残されていたり、昔風に新しく建てられたりしてあった。日本に数多あるこういう街並みの中でも、いにしえ街道は北海道らしく、建物と建物との間隔に余裕があった。特に海側に建っている建物の上に大きな空が広がっているのも、如何にも北海道らしい。


 蕎麦屋の前で、鰊そばの幟を見つけた。流石、鰊漁で栄華を極めた江差だ。だが、俺の腹にはまだ“ラッピ”のチャイニーズチキンバーガーがたんまりと残っている。ここは諦めるより他はなかった。


 街道がクランクしている所の姥神大神宮で、今まで事故もなく、怪我もなく続けてこれた旅のお礼と、これから先の安全を祈願した。


 いにしえ街道の終わりは、国道228号線の信号のない姥神という名の交差点だった。


 一旦停止していると、前方の空に、マストのような棒が三本突き出ていた。


 俺は左に出したウィンカーを右に点け直し、「カモメ島」「開陽丸」と標識が出ている道へ直ぐに左折した。


 いにしえ街道では全くだった人影が、開陽丸がいる浜辺には、わんさかと人が湧いて出ていた。


 写真を何枚か撮って直ぐにその場をあとにした。


 海ギリギリの道をしばらく走ると、北海道ではあまり見た覚えのない、波音が聞こえてきそうなほど近くに砂浜がある道が、しばらくの間続いていた。


 そんな砂浜の切れ目に上ノ国町のカントリーサインは立っていた。


 ここのカントリーサインにも兜が描かれてあった。


 砂浜の終わりで、道も海から内陸へとカーブを描いていた。


 上ノ国の街を抜けると、道は高台へと上って行く。


 道の駅・上ノ国もんじゅは国道228号線の海側の下にあった。


 スタンプを押したあと、苺とバニラのミックスソフトで気力を高め、直ぐに出発した。


 そこからは、ほとんど貸し切り状態の気持ち良い道が続き、すっかり呆けた俺は、城の絵が描かれた松前町のカントリーサインを見つけて、やっと半分正気に返って先に進んだ。


 海からの攻撃には無敵を誇ったものの、裏山からの攻撃にあっさりと落ちたと噂の、松前城を相棒に跨りながら見て回った。


 道の駅・北前船松前でスタンプを押してから、白老で食べたツブやホッキの串焼きが旨かったのを思い出し、ツブの串焼きといかめしを食べたのだが、ツブは干からびていて、いかめしはまぁまぁな感じだった。


 釈然としない気持ちで先に進んだ。


 そんな気持ちがお天道様に届いたのか、空は一層晴れ渡り、松前の海の横を進む気持ちが良い道を、着ていた薄手のパーカーを袖捲りして走るほど、心地好い夏らしさだった。


 白神岬灯台を横目に白神岬を過ぎると、トンネルとトンネルの間に、まわしを着けたイカが、行司が持つ軍配を手にしている福島町のカントリーサインと出逢った。


 何故、まわしに軍配なのか、俺には意味がわからなかった。


 道は福島に入ると海沿いの道はトンネルと覆道が多くなって、俺の中から心地良さを剥ぎ取っていった。


 吉岡橋を渡って右にカーブした辺り、その道の遥か底には北海道新幹線が走っている。そんなことを一人感じながらゆっくりと通過した。


 先に進めば進むほど、空の色が段々変化していった。


 道の駅・横綱の里ふくしまに着いて、やっとカントリーサインの意味を俺は理解した。


 隣には道の駅が随分みすぼらしく見えるほどの、千代の山と千代の富士の二人の横綱の立派な記念館が建っていたのだ。


 スタンプを押して灰色の下を走りだす。


 国道228号線は、面白くもない山の中へ進んで行った。


 知内町のカントリーサインには緑色の新幹線とアニメチックなキャラクターが描かれていた。どうやらここで青函トンネルから新幹線が顔を出すようだった。


 道の駅・しりうちには、北海道新幹線を眺めるための展望台が作られてあったが、俺は腹が減っていた。スタンプを押して先を急ぐ。次の道の駅には、グルメパスポートに載っているイタリアンの店があったのだ。


 ヘンテコな人が描かれた木古内町のカントリーサインに出会った時には、空は灰色よりも黒に近い色をしていた。


 道の駅・みそぎの郷きこないは木古内駅の目の前にあり、小さくて、お洒落なショッピングモールのようで、人の賑わいが今まで訪れた中で一番凄かった。


 中のレストランで「鱈のクラムチャウダー風パスタ」を食べた。久し振りのパスタは旨かった。鱈も臭みなく、クラムチャウダーもスッキリと最後まで飲み干せた。


 まだ腹に余裕はあったが、空模様を考えて先を目指す。


 道はまた海沿いを進んだ。北斗市のカントリーサインには、トラピスト修道院の下に黄色い新幹線が描かれてあった。


 海の向こうに薄っすらと見えているのが函館だろうか?晴れていれば綺麗に見えていただろうと悔やむ。


 トラピスト修道院へ向かうため左にとった。道南いさりび鉄道の踏切を渡り、杉とポプラの並木道を進んで行った。右手に駐車場が出てくると、道は車両通行止めの枠が設置されてあった。


 少しは色が良くなったが、空が悪過ぎる。写真もあまり美しくは映えなかった。


 何枚かカメラに収めた帰り道、並木は想像していたのとは違った。俺は琵琶湖の北にあるマキノ高原のメタセコイヤ並木のようなものを思っていたのだ。


 北斗市街に入ると、空は青の色が勝っていた。


 ふと右手の海の向こうを見ると、頭を隠した函館山とその麓に広がっている函館の街が、綺麗にその姿を見せていた。


 Uターンして反対車線に相棒を停めて写真を撮った。初めて訪れる函館だ。俺にとって北海道の最後を過ごす街になる。あそこに美枝子は住んでいるのだ。


 またUターンして道道96号線と交わる交差点を左折した。


 空が綺麗な、なんてことない道を気持ち良く進み、駒ケ岳をバックにした大沼に白鳥が泳ぐ七飯町のカントリーサインに出逢ったあと、国道5号線に突き当たった。


 左折して木が生い茂っている小沼の横を走り、森町のカントリーサインと出逢って、時折右手に駒ケ岳の雄姿を見ながら進んだ。この先に待つ不安よりも、駒ケ岳の荒々しい美しさの方が勝っていた。


 本日最後の道の駅・YOU・遊・もりでスタンプを押して、灼熱の日差しの下、溶け出すソフトクリームを急いで舐め尽くして、それから今夜の宿を探した。


 函館まで行く体力は残っていなかったし、美枝子に会うことに腹を決めかねている。ちょうど近くの森駅の目の前にあるホテルが空いていた。


 直ぐにホテルに向かい洗濯をすることにした。


 俺の部屋の窓からは、森駅の小さな駅舎や小さなロータリーが見下ろせ、その向こうの海までが見えていた。だが空は灰色で、1ミリも心を動かされることはなかった。


 洗濯機が回っている間に、晩飯の買い出しに出ようかと思ったが、疲れが噴き出してきているのでベッドで少し横になった。


 アラームが鳴って、重い身体を引き摺りながら、階下にあるランドリーへ向かった。


 洗い終わった物を乾燥機に放り込んで、三枚コインを入れて部屋に戻った。乾燥が終わるまでの九十分を睡眠に充てた。


 目覚めた時には、だいぶと身体が軽くなっていた。根底に残る疲労感は術後からあるいつものものだった。


 乾いた洗濯物を畳んでドライバッグに仕舞ってから、今夜のメシをどうするか考えた。少し歩けば店がありそうだったが、近くに目ぼしい店はなかった。


 テーブルの上に載っていたホテルの案内には居酒屋が併設されていると明記されていた。たまにはホテルに併設された店で飯でも食うかと、俺は重い腰を上げた。








 

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