3


 今朝の大浴場は昨夜とは違っていた。


 どちらの温泉も楽しめるようにとの心遣いか、もしくは、ここまで金をかけて作りましたよという単なる風呂自慢なのだろう。


 露天風呂には昨日なかった滝が作られていて、貸し切り状態だった。


 俺はゆっくりと身体を目覚めさせながら、溜まった疲れが湯の中に溶け出ている感覚を覚えた。


 そんなほっこりとする気分とは裏腹に、庇の向こうでは、逆撫でるような小雨が降り続いていた。


 朝食最終時間のホールにも空席が目立っていた。観光客の多くは、填め込まれた日にちの中で時間に追われ、朝早くから行動を開始しているのだ。俺のような気ままな旅をしている者は稀有だった。


 埼玉のハイダ夫妻も、道警捜査一課の津田を知っている函館の元警察官の男も、俺の視界には姿を現さなかった。もうどちらも出発したのだろう。俺は心置きなく朝食を味わい、腹に充分収めた。


 今日は一日、このホテル内で過ごすことになるのだ。そう思って、部屋に戻る前に広々とした売店やゲームコーナーを見て回った。暇を潰すのにはとても良い場所を見つけた。無心で小銭を放り込んでいれば、時は自然と過ぎていくだろう。


 部屋に戻り、ブシュッと開けようかと思ったのだが、ふと窓の外に目をやると、露天風呂では降っていた小雨が、今はもうピタリと止んでいた。これならこの辺りを走れるかもしれないと、手にしていたいつもの缶ビールを冷蔵庫に戻し、テーブルに並べたツマミを片付け、代わりにタンクバッグとヘルメットとグローブを準備した。


 PCで天気予報を確認したあと、この辺りの観光マップを出して行先をいくつかピックアップした。北海道一帯が雨・曇り予報だったが、この近辺は曇りと雨の予報だった。時間別の予報では、これから先は曇りで夕方から本降りとなり、日付が変わる頃から曇りマークが並んでいた。それならばと、路面が乾くまでの間は登別地獄谷を巡ることに決めた。


 道道350号線を相棒でゆっくりと近づくにつれ、より一層、硫黄臭が強く濃くなっていった。


 誘導員の指示に従って、相棒を園地入口から一番遠い駐車場の隅に停めた。


 登別パークサービスセンターで観光パンフレットを貰い、それを見ながら展望台へ向かった。そこには、名前通りの地獄感ある景色が広がっていた。


 地獄と銘打たれた風景は何処も同じように見えるなぁと、俺は思った。


 それから近くにいた観光のボランティアガイドのおじさんに話しかけ、観光マップを指差しながら色々とルートや見所などを教えてもらった。そして最後に、今日、間欠泉は吹かないと告げられた。


 地獄の中を進んで行くと、さっき俺がおじさんと会話していた時に近くにいた親子連れの男の子が、「絶対、あの小屋に噴射ボタンがあるんだよ」とお母さんに言っていた。


 もしかしたらそうかもしれない。が、坊主、それは知らなくていいことだ。本当であってもなくっても、知らなければ純粋に楽しめたり残念がったり出来るのだ。


 おじさんが勧めてくれたルートは健康な人であればそれほどでもないのだろうが、今の俺の身体にはかなりキツイ散策だった。ペットボトルの中のお茶の減りも早い。なんてことだ。奥の鉄泉池まで歩き進めると、必ず歩いて帰らねばならないのだ。


 疲れ果て、最初の展望台まで戻り着いた途端、俺は柵に凭れ掛かってしばらく休憩する。ぬるくなったお茶を喉に流し込みながら、摩周湖から屈斜路湖へ向かう途中で立ち寄った硫黄山の景色を思い出していた。あそこは白に近い灰色一色だったが、ここはそれ以外の色合いもあって写真の中の景色には変化があった。そのうちにペットボトルのお茶が空になった。


 相棒で少し来た道を戻り、自販機でお茶を買ってヒップバッグに入れ替えた。再出発だ。


 道道350号線・具多楽湖公園線で大沼湯へ向かった。標識通りに左折してくねった道を下りて行くと、水面いっぱいに湯気が出ていて硫黄の匂いも強かった。


 駐車場の前でUターンした。空の色がとても悪かったし、それほど広くない駐車場には観光バスが何台も並んでいて外国語だけが飛び交っていた。それに俺はさっきの疲れが癒えていなかった。


 来た道を返し中央ラインのない少し狭い道道を貸し切り状態で登って行くと、そのうちに左側が一気に開けた。看板には日和山展望台と書いてあった。


 車が数台停めれる駐車スペースに乗り入れて相棒を停めた。ここには誰もいなかった。


 展望台からは綺麗に大沼湯が姿を見せていて、すぐ右手にある岩山からは、湯気と共にシューシューと噴出音が聞こえてきていた。時折風向きによって、強烈な硫黄臭が下から押し寄せてきたのも面白かった。誰もいないのが勿体ないほどの風景がそこにはあった。だけど、今日は空だけが残念だった。 


 木々の間を抜ける道で具多楽湖を目指した。硫黄臭は突然消えた。するとまた展望台が現れた。ここの展望台はデッキが作られていて少し高くなっている。駐車スペースにはミニバンのレンタカーが一台停められていて、デッキの上には子供を含めた家族がいた。


 相棒を端に停めて俺はデッキに上がった。看板には“神秘の湖・具多楽湖”と書かれてあった。


 先にいたのは、インド・パキスタン系の家族だった。明らかに停めてある車の、最大乗車人数を上回っていた。


 具多楽湖が山間に扇形に見えていた。


 俺はしばらく見惚れていると、横の家族が集合写真を撮り始めた。俺は気を遣って少し離れてみたのだが、これでは必ず一人写真に写れなくなる。そう思って自ら写真を撮ろうとジャスチャーで申し出た。向こうは「Thank you」と言ってスマホを俺に手渡した。


 なかなかいい構図が決まらない。空が曇っているのは仕方がないとして、具多楽湖を綺麗に入れるために家族の並びを入れ替えた。やっと決まって何枚か画面をタッチした。


 家族全員で出来上がりを確認したあと、家族の皆は笑顔になった。口々に「Good」や「Thank you」を言ってデッキから降りて行った。そして、車に乗り込むのを見届けていた俺に、家族の母親が両手で投げキッスをしてから車に乗り込んだ。


 騒々しさが消えて静寂が訪れた。


 家族ってやつは、そんなにいいものなのだろうか?俺は灰色の空を映す湖面を眺めながら考えた。しかし、俺にはもう手に入れることのないものだと結論付けた。


 具多楽湖へ向けて相棒を走らせた。


 湖畔の駐車場には黒い軽自動車が停まっていた。駐車場の先にカフェかレストランぽい建物が建っていた。前を通ってみたが、今は営業どころか誰もいない様子だった。


 俺はUターンして、さっきの駐車場に相棒を停めエンジンを切った。いきなり訪れた静けさが、俺の気持ちを少し不安に、そして少し淋しくさせた。寒さが少し、薄手のパーカーの胸元から忍び込んできた。


 車はあるのに湖畔には人影がなかった。砂浜に立って水面を見ると湖水は透明だった。とてもとても透明だった。


 緩やかに吹く風が湖面にさざ波を立てた。“とても神秘的”が広がっている。


 俺はタンクバッグから取り出してきたコンロを岩陰にセッティングして、コーヒーを淹れる準備に取り掛かった。


 湯が沸くまでの間、まだ湿気を含んでいる砂浜に敷いたビニール袋に座って、ぼんやりと湖面を見つめた。これまでの旅の思い出よりも、この先に待っている死んだ沢木の妻・美枝子や、俺を弾いた朝井のことが大波のように頭に押し寄せた。それだけ、電話の最後に耳に流れ込んだ美枝子の言葉が、俺は気になっているのだと実感した。


 急に左手にある岩場の向こうに動くものを感じた。ハッとして見てみると、動いていたのは人間だった。ホッと安心してどんな人間なのかを確かめた。男だということはわかった。時々立ち止まり、じっと湖面眺めている。それからまたこちらに向かって歩き出し、また湖面を眺める。何かの調査をしているのだろうか?それとも、何かの儀式なのだろうか?


 それが函館の男だというのを認識したのは、ちょうど湯がボコボコと沸いた頃だった。嫌な気分も一緒に湧いてきた。直ぐにこの場から立ち去りたかった。警察関係の人間と関わり合うのはもう御免だ。けど、折角湧いたお湯が勿体なかった。


 火を止めて、いつものように大きなアルミのカップに装着していたドリップパックを取り変えて、二杯分のコーヒーを慎重に淹れた。毒を食らわば皿までもだ。


 近づいてきた函館の男は、まったく俺に気がつかない様子で、また湖面を眺めていた。よく見ると、顎から滴るぐらいに涙を流している。


 俺は参ったことになりそうだと、淹れ立ての二人分のコーヒーを見つめた。前言を撤回して立ち去りたかった。けれどもコーヒーの良い香りがそれを思い留まさせた。


 「レイラ……」


 函館の男は、確かにそう言葉にした。


 (レイラ?)


 俺の頭の中で、デレク・アンド・ザ・ドミノスの『いとしのレイラ』のイントロのギターソロが流れ出した。


 コンロの火を弱くして、さっきまで湯を沸かしていた弁当箱のような鍋に、アルミのカップから一杯分のコーヒーを移し入れた。


 俺は息を吹きかけて冷ましながら、函館の男が俺の存在に気がつくのを待った。男が気づいたのは、カップの中のコーヒーが飲み頃になった時だった。


 滝のように流れていた涙を、着ていた薄手のシャンバーの袖で急いで拭い、残りは掌で拭き取りながら俺に声をかけてきた。


 「おう、どうしたの、こんな所で」


 流した涙などなかったかのように、露天風呂で初めて会った時と同じ、迷惑そうな笑みを浮かべながら言った。しかし、声が少しだけ震えていた。


 それには答えずに無言のまま、まだ形のマシな紙コップに鍋からコーヒーを注ぎ入れて、俺は湖面を見ながら函館の男に差し出した。


 二人並んで具多楽湖を眺めながらコーヒーを飲んだ。


 俺の頭の中には、何度もリピートされたデレク・アンド・ザ・ドミノスの『いとしのレイラ』ではなく、アルバム『アンプラグド』の中の『いとしのレイラ』だけが今は流れていた。




 のぼりべつクマ牧場へは、ロープウェイに乗って上がった。


 温泉街の頭上の空は雲が薄くなっていて、さっき見た幻想的だった具多楽湖が見渡せると踏んだのだ。


 だが、甘くないことは、切符を買った時に貰った散策マップを見ながら、ゴンドラが頂上近くに来た時にわかった。山頂には、俺の大嫌いな雲が薄く流れていた。


 山頂駅を降りると空が曇っているだけで視界はクリアーだった。だけど、具多楽湖方向からは灰色の雲が競り登って来ていた。


 気を取り直して、俺はクマ牧場を楽しむことにした。


 第二牧場で羆に餌をやったり、アヒルレースで勝って、アヒルの画とチャンピオンと書かれたハンドタオルを貰ったり、第一牧場でまた羆に餌をやったりした。


 少し腹も空いていたので羆博物館にあるレストランへ向かったが、食べたい物が無かったので博物館を見て歩いた。


 ふと、釧路の海で死んだ徐さんの笑顔が頭に浮かんだ。知床の観光船で、俺は徐さんと二人で、遠くにいる羆を見たのだ。


 少しセンチになりながら俺はクッタラ湖展望台へ続く階段を上がった。もしかしたら、具多楽湖を見下ろせるかもしれないと思ったのだ。


 扉を開けて外に出ると、いきなり薄い雲の中に出た。


 何とも幻想的だったが、一番幻想的だったのは、ボツンと立てられていた標識だった。世界の有名都市の矢印標識だ。「←PARIS 10,890㎞」「←ROME 10,690㎞」の反対には「NEW YORK 11,740㎞→」があったりする。霧の中に佇むシュールな標識だった。


 やっぱり具多楽湖は見えなかった。


 下に下りてユーカラの里に向かった。


 ここは、明治初期のアイヌコタンを再現していると謳っていた。


 俺から見れば、茅葺の掘っ立て小屋のような家屋が只並んでいるようだったが、スッポリと霧に包まれていて、前を行くカップルのうしろ姿がいつの間にか昔のアイヌ人の夫婦の姿のように俺の目に映っていった。


 その姿も霧に消えると、俺は只一人、昔のアイヌコタンに飛ばされてしまった感覚に陥った。幻想的でもあり幽玄でもあった。そして、アイヌ人として生きることを決めた浦見正平の熊のような姿を思い出す。


 公安にガラを押さえられたという「J-Rowan」の北海道独立を画策したあの学生革命戦士達は、馬鹿な大人達のしがらみに巻き込まれ、想いが頓挫することとなった現実に対し、どう思い考えているのだろうか?


 俺はこの頃、何が本当に正義なのかがわからなくなってきている。


 朝井が俺を弾いたことに、理路整然とした理由があるのならば、俺は朝井を許した上で、自らこめかみに当てた拳銃の引き金を引くのではなかろうか?


 そんなことを思っていた。


 帰りのロープウェイは、全ゴンドラの中で一台だけあるという、俺が乗り込むには不釣り合いなゴンドラだった。中には造花をあしらったハートマークを背に白いクマのぬいぐるみが座っているという代物だった。


 金髪モヒカンとこのシュールなファンタジーの混沌が、麓の係員の笑いを噛み殺した表情を生んでいた。




 地獄谷にいた観光ボランティアガイドのおじさんに教えてもらった大湯沼川足湯に向かった。


 交番を目印に左折する。


 かなり奥にも温泉旅館があるのだとわかった。


 ヘアピンカーブの邪魔にならない砂利部分のスペースに相棒を停めて、足湯に向かった。


 海外からの観光客だけでなく、日本人の観光客、それも若いカップルや女性グループが多くいた。


 何とも面白い光景だった。本当に流れる川が足湯になっていた。


 最初俺は、その風景をカメラに収めたら帰ろうと思っていた。靴を脱ぎ、靴下を脱いで、また履くこと考えると面倒臭さが先に立っていたのだが、こんな素敵な足湯は、もう二度と経験出来ないと思い直して、俺は足を川の流れに浸けた。


 気持ちが良かった。


 日本人やアジア人、白人もいれば黒人もいて、皆、気持ち良さそうに足を浸けていた。日本にはやはり、平和が似合っているのだと思った。


 ポカポカが下からじんわりと登ってくる間、俺は函館の男のことを考えていた。何一つ言葉は交わさずに、二人共、具多楽湖のさざ波立つ湖面を見つめていた。そのうちに、函館の男はまた涙が駄々洩れに漏れ、噛み殺した嗚咽まで漏れ出ていた。俺も退院して自分の部屋に戻り、全てを失い、抗うことの出来ない現実が目の前にあることを実感してから、幾日もわからない涙が勝手に駄々洩れた。人生には、そんな時もあるのだ。


 何分経ったかわからないが、俺の額や首筋に汗が浮かんでいた。


 湯から足を引き上げてしばらくの間、足が乾くのをそのまま待った。それからヒップバッグに入れていた日本手拭を取り出して足を拭いた。外国人に手拭の写真を撮らせてくれと頼まれたので、俺は木製のデッキに広げてやった。


 良きところで引き上げて宿に戻った。帰りの道中は雨粒がポツポツと落ち出してきた。


 部屋に戻ると堪らずにプシュッと開けた。半分ほど流し込んだあとで、ツマミの焼鳥缶を開けた。


 やっと喉の渇きと小腹の空きが治まった。


 温泉は朝のままだった。滝を見ながら露天にじっくりと身体を沈め、疲れが染み出ていく感覚を味わった。


 晩飯にはワインを一本注文した。雨の中、外へ買い出しに出掛けるのが面倒だったのだ。


 イイ感じで部屋に戻って冷蔵庫にある残りの酒を呑みながら、明日のルートを考えた。


 天気は曇り。降水確率は行く先々が30~40パーセント。カッパを着ることも考えなくてはいけないようだった。救いは日本海側に晴れマークが並んでいることだけだった。


 豊浦のカントリーサインと道の駅を済ませておいてよかった。明日は、登別から道央道に乗って、先ずは黒松内まで行こうと決めた。


 「なんや。これやったか」


 そう思わず声に出たのは、道央と道南の区別のことだった。天気予報の図では、この辺りも道南の括りになっていた。これを見続けていたから、俺はここが道南だと思っていたのだ。


 調べてみると、道北、道東、道央、道南の違いは、いろんな分野で微妙に違うことがわかった。それでも俺には道南で良かった。残るは道南。そっち方が気分的にスッキリとした。


 缶も瓶も全部が空になって俺は眠りについた。今日も誰からも連絡はなかった。




 早く寝たお陰で目覚めは早く、部屋のシャワーで身体を目覚めさせた。


 窓の外に見える空は、黒がやや強い灰色だった。


 一番早い朝飯時間のホールは満席に近く、昨日と変わらないものが並ぶ中、食いたい物だけを集めて腹一杯にした。


 登別東ICから道央道に乗って、黒松内JCTから黒松内新道に入り、終点の黒松内ICで降りて、国道5号線を左に曲がった。


 ずっと空は灰色で、偶にヘルメットのシールドに、雨粒がついては流れていった。


 道の駅・くろまつないでスタンプを押して、香りに釣られて焼き立てのパンを幾つか買い込んでしまった。これで昼飯はパンと決まった。


 国道5号線を逆に蘭越町へ向かった。若干灰色は白みがかってきたが、青は一切見ることはなかった。


 上り坂の登坂車線が終わる手前で温泉に人が浸かっている蘭越町のカントリーサインに出逢い、Uターンしてキツツキが描かれた黒松内町のカントリーサインをゲットした。


 もう、ちょっとした直線路では、俺の心はときめかなかった。


 相棒に飯を飲ませてから道の駅へ入り、スタンプを押して直ぐに先へ進んだ。


 国道5号線が右へ大きくカーブするところで、俺は気紛れに道道267号線へ左折した。本当なら蘭越の街で道道229号線へ折れて、蘭越町の日本海側にある道の駅へ向かうつもりだった。だが、空の灰色が暗過ぎて、俺はそのまま国道を走る気にはなれなかった。


 尻別川沿いの山の間を抜ける道を進んでいく。案の定、空の灰色は薄らみ、名駒の町まで来ると視界も随分と開け、灰色だった空は徐々に白く変化していった。そして遠くには綺麗な青が光って見えて、そのうちに俺の頭上が青に輝く白になった。


 尻別川に架かる何本かの古びたアーチ橋を渡り、道道267号線と229号線をジグザグと走った。久し振りに思える北海道の空と大地を堪能した。


 気持ちが上がってくるのを実感する。やはり、バイク旅は空が一番重要なのだ。空が良ければ、それだけで楽しく走れる。


 最後は道道229号線から国道229号線へ突き当たった。


 国道229号線は余市から江差までのほとんどの海沿いを走っている。この前は余市から岩内まで走った。今日は何処まで南下するのだろうか?


 道の駅・シェルプラザ・港でスタンプを押して、煌めく海を右手に見ながら俺は相棒を走らせた。


 尻別川を渡った先にあるトンネルの手前で、寿都町のカントリーサインに出逢った。風力発電の風車が描いてあった。


 海沿いの気持ちの良い道を進んで行くと、描かれていた風量発電の風車が遠くに乱立していた。


 朝見た黒松内町のカントリーサインが現れた。疑問のまま先に進んで行く。


 朱太川に架かる実橋を、優雅に回っている風車を横目に渡ると、湯別と描かれた標識の上には寿都町と明記されていた。次の信号で地図を見ると、寿都町は海沿いギリギリまで黒松内町に侵食されていた。


 寿都漁港にある道の駅・みなとま~れ寿都でホッケ丼の誘惑に負けそうになったが、開店時間まではかなりあった。諦めて先に進んで行く。


 弁慶岬の駐車場を一回りして、跨ったまま灯台の見える岬の写真を撮ってまた先に進む。相棒から降りたくなくなるほど、風に吹かれているのが心地好かったのだ。


 少し進むと島牧村に入った。こんなところにも江ノ島があって、脳内に『勝手にシンドバット』が流れた。あっという間の夢のT'Night、江ノ島トンネルを抜けて道の駅・よってけ島牧!に着いた。


 それにしても北海道の持つところは、こうも東西で空が違うものなのかと感心しながらスタンプを押した。


 小腹が空いたので、黒松内で買ったパンの中からクロワッサンを取り出した。残念なことに俺の好きなパリパリは、バリバリと袋の中で粉になっていて、クロワッサンは真っ白な肌を晒していた。


 本体を食ってから、最後に袋を摘まんで粉を口に流し込んだ。この最後のカスが、一番クロワッサンらしい味がした。


 直ぐに出発して、日本一高い灯台のある茂津多岬灯台がある茂津多岬トンネルを抜けたところで、せたな町のカントリーサインに出逢った。


 そこから先も気持ち良かった。海風が心地好く、貸し切り状態のまま海岸線を快適に走った。


 しばらく行くと海から奇岩がボコボコと突き出ていた。窓枠のように真ん中が開いた窓岩や、亀岩と名付けられた岩まであった。それらをカメラに収めてから、左ポケットに入っているガラ携を取り出して時間を確認した。昼を半分ほど回ったところだった。


 遠くにせたな町のカントリーサインにも描かれている三つの奇岩・三本杉岩と、その向こうに風力発電の風車が並んでいるのが見えてきた。フェリーに乗って奥尻に渡るのもいいかも。そう考えた。


 旭川のぎんねこで隣り合わせた、札幌から来たという女性に教えてもらった『わっかけ岩』を右手に見て、トンネルを潜り、せたなの街に入った。


 右に曲がるとフェリーターミナルだ。取り敢えずフェリーの時間を確かめてから、余裕があればうに丼を食べようと思った。


 その前に、相棒にメシを飲ませなきゃ、だった。どうも、彩香の口調が偶に吐いて出た。それにガス欠恐怖症は益々重症になっていた。本当に困ったものだと思った。


 フェリー乗り場には十三時に着いた。窓口に行って出航時間を確かめた。次の船は十四時に出航だった。これではうに丼は食えなかった。


 チケットを買う前に、天気予報を確認してから今夜の宿探しを始めた。奥尻の天気は明日も晴れ。しかし、いくらPCを操ってみても今夜の宿が見つけられなかった。仕方がないので民宿も調べることにした。何軒か電話して、青苗にある一軒の民宿を予約した。これで宿が取れたので安心してチケットを買った。


 入ってくる船を待ちながら昼飯を食う。ピロシキを食ってからミートパイを食って、最後にカレーパンを食った。何故、俺は同じようなものを買い込んでしまったのだろうか?


 お茶で口腔内を爽やかにしながら、そうか、あの時は空が灰色で気分が滅入っていたからだと決めつけようとしたのだが、登別では魚介類がほとんどだったから、身体が肉系を欲していたのだと思い直した。


 海岸縁に並んでいる風車が小さくなっていく。


 飛んでいたカモメが一羽、横着して船の一部にとまると、そのまんま奥尻まで無賃乗船した。着岸間際に飛び立つなんてやり口は、実に堂に入っていた。


 奥尻町のカントリーサインには、道道39号線に出るところで直ぐに出逢えた。


 見つけたセコマで、タンクバッグに入るだけのお茶とウイスキーの小瓶を一本買った。


 街を出て南へ向かう。鍋釣岩が堂々と海から突き出ていた。まさに鉄鍋の取っ手のように見える。


 せたなの窓岩と、この鍋釣岩の二つに切れないロープを引っ掛け、そのまま東の方向へ吊り上げたら、ベローンと北海道が捲り返るのではないだろうか。


 左手に煌めく海を見ながら進み、そんなバカなことを考えた。そして俺は、かなり疲れていることにも気がついた。


 青苗の街に入ったが、先ずは宿の場所探しに徹した。


 探しに探しまくってやっと見つけた。その頃にはもうヘトヘトだった。込み入ったところにあるなら、もっと看板を立てるべきだ。


 疲れ果てて部屋に入り荷物をセッティングした。案の定、部屋にWi-Fiは飛んでいなかった。


 もう外に出るつもりにはなれなかった。明日のことは明日考えることにした。


 風呂に入り、飯までの時間を持て余したので、明日直ぐに出れるように必要以外の荷物を詰め直した。冷蔵庫もないので温くなったお茶を喉に流した。


 飯は思っていた以上のものだったが、常連らしい家族と俺だけでテーブルを囲んだのが息苦しかった。


 塩雲丹が出てきた。それが俺にポン酒を進めさせた。だが、稚内の『蝦夷の里』で食った塩雲丹がまた食いたくなった。


 会話らしい会話を交わすこともなく、俺は早々と部屋に引っ込んだ。


 部屋に入ると、口を開けたヒップバッグの中でガラ携が鳴り震えていた。震えてかなり奥にまで潜り込んでいる。


 見ると彩香からだった。


 ――やっと出た。まったくもう――


 「今、晩飯食ってた」


 ――何処で食べたの?――


 「今日は民宿に泊まってるねん」


 ――へーっ、珍しい。ご飯美味しかった?――


 「うん。まぁ美味かった」


 ――私のご飯とどっちが美味しいの?――


 馬鹿みたいな質問だ。


 「それは……、彩香の肉じゃがの方が美味しいよ」


 ――やったぁ。嬉しい。マコチン大好き――


 そのあと他愛もない会話が続いた。


 彩香も奥尻島へは渡ったことがないらしく、「奥尻ブルーが綺麗だそうだから、よく見て私に教えて」と言った。そして、会話の終わり掛けに、「函館でイカ釣りがしたい」と言い、「絶対一緒にしようね」と言って電話を切った。


 どうしたものかと思っていると、今度は徳永から久し振りに電話がきた。


 「もしもし」


 ――生きてるな。今、何処だ?――


 「奥尻島だ」


 ――ああ、北海道西南沖地震で津波があった場所か――


 流石、徳永はよく物事を知っている。ここ奥尻も津波の被害にあった場所なのか。俺は北海道を制覇したあと東北へ進む。そこでの復興状況を、この目で見て、感じて、確かめたいと思っているのだ。


 「で、どうした?」


 ――いや、この前の事件のことが余り報道されていなくて、何か気持ちが悪ィから、お前に訊けば納得出来るかなぁってな――


 千歳空港の、それも行き交う大衆の面前で、木村勇作が丘崎を刺し殺した事件のことだ。勿論、J-Rowanの北海道独立を目的とするノビチョクを使ったテロのことは、未然に防がれたので表に出ることなどないのだが。


 「それか……、俺も現場におったけど、それ以降のことはわからん。知らんでもええことやと考えることにした」


 ――なんだ、現場にいたのか――


 「ああ。無表情の木村が、倒れ込んだ丘崎の背中を、何回も、何回も、刃物を降ろしてたのを見てるしか出来んかったわ」


 思い出さないようにしていた。何も出来なかった無力感が再び襲ってきた。


 ――警察庁の奴から何か訊いていないのか?――


 「仲野からは何も。俺には関係がないらしいわ」


 ――そうか。でも、公衆の面前での犯行だろう、それがネットの何処にも画像が上がっていないなんて、信じられないよ――


 「何か書き込みはあるのか?」


 ――それも高岡ちゃんが追ったが、次々に削除されているようなんだ。背筋がゾッとするよ――


 確かにそうだろう。いくらヤクザの大悪人だとしても、人が一人殺されたのだ。テロ未遂事件は態々表に出して混乱を招く必要もないだろうが、公衆の面前で起きた殺害事件、それすらも警察は、いや、国は闇に葬ろうとしているのだ。


 「ところで、奴らに襲われて入院した関川は大丈夫なのか?」


 ――それならもう退院したよ、心配するな――


 「なら良かった」


 ――それより函館で、ちゃんと美枝子さんに会うんだぞ――


 「わかってる。高岡ちゃんによろしく伝えてくれ」


 ――ああ――


 ウィスキーの小瓶はあっという間になくなった。


 北海道までの船内にあったような硬いベッドに寝転ぶと、いつの間にか俺は眠ってしまっていた。












 

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