乙女心は秋の空〜女の子になったけど今日も元気です〜

今泉緑

第1話 この気持ちは

河内由之かわちよしゆきは、高校2年の2学期の初日、セーラー服を着て登校した。


******


 夏休みのある日、由之は女の子になった。

 これといって特別なきっかけがあったわけではない。

 ただ、朝起きると体が小さくなっており、髪が伸びていた。

 そして、あったものがなくなり、なかったものがあり、さらには平面だったものがささやかだが立体的になっていた。

 急いで洗面所に行き、鏡を見ると、映るのは見慣れた自分の顔ではなく、やや幼さが残る少女の顔。

 ——由之は、現実に降参した。


******


 登校中、周囲の目が気になった。変ではないだろうか。女子高生の格好をしている自分を客観視しようとすると、なんとも言えない羞恥に襲われる。

 周囲の目が気になる原因は、他にもあった。

 下半身が心もとない。

 よく世の女性たちはこんな防御力の低い装備で人前を歩けるものだ。慣れなのだろうか。ちょっと前まで、見えるか見えないかのライン、そこに夢がある!などと思っていたが、当分はそんな気持ちになれそうにない。


 校門を過ぎると、さらに緊張が高まった。

 歩いている生徒の中には知っている顔もちらほら見える。

 クラスメート、友人たちはこんな超自然的で不可解なことを受け入れてくれるのだろうか。今の自分を受け入れてくれるのだろうか。心配が尽きない。


 下駄箱で上履きに履き替え、二階にある教室を目指す。

 今すぐにでも、ここから逃げ出したい。

 一階の廊下を進んでいくと、二階に上がる階段の付近に、見知った顔の男がいた。その男は、所在なさげにぽけーっと上の方を見ている。

 中学からの友達でクラスメートでもある、伊藤太一いとうたいちだ。

 太一もこちらに気づいたようで、声をかけてくる。


「おはよ」

「・・・・・・うん」


 太一は、由之が女の身体になってしまったことを知っている。夏休みの間に打ち明けていた。


 一緒に階段を上る。


「制服、似合ってるな」

「やめろって。これ着るのすげー恥ずかったんだから」

「まあまあ、そんな怒るなって」


 太一は、茶化すように由之の頭をポンポン、としてくる。


「おい、それは何の真似だ」

「いやー。ちょうどいいところに、ちんちくりんな頭があってな」

「誰がちんちくりんじゃい! 」


 ——うぜぇ


 しかし、太一と普段通りのような会話をしたことで、先ほどまでの緊張が和らいでいた。心の中で友人に感謝する。


 ふとあることを疑問に思う。太一はなぜ一階の階段のそばにいたのだろうか。

一つの推測に行き着く。おそらく——


 教室に着く。心を落ち着けるように深呼吸を一度して、教室に入った。


 クラスメートたちは、こっちをチラチラ見ながら、噂話をしている。


「あれって、本当に河内くん? 」

「もう、マジの別人じゃん!」

「背ちっちゃくてかわいい」

「女の子になったって、そっち!?てっきり太一君に初めてを——」


 どうやらクラスメートも由之が女になったことを知っていたようだ。もっと冷ややかな反応を想像していたため、想像と異なり安心する。一部聞き捨てならない言葉が聞こえたが。


 自分の席に座ると、隣の席に座る女子生徒が話しかけてきた。


「おはよ、よしのん」

「おはよ」


 橘珠里たちばなじゅり、幼馴染だ。

 身体が変化した直後、最初に助けを求めたのが珠里だった。

 初めは由之の部屋に少女がいるという状況に不信感を抱いていたが、説得するうちに信じてくれた。持つべきものは、頼れる幼馴染なのだろう。

 珠里にとっては、突然妹ができたような気分だったのだろうか。

 背が小さくなった由之に自分のお古を着せては脱がせ、お人形遊びをするかのごとく楽しんでいた。また、夏休み中は必要になった買い物や相談などに付き合ってくれていた。

 ちなみに、由之のことを珠里が「よしのん」と呼ぶのは、小学校の頃に珠里が漢字を読み間違えたことに由来する。


「どう? 女子高生になった気分は? 」

「スカートが心もとない」

「そっか」

「みんなに身体のこと話しただろ? 」

「んー? なんのこと? 」


 まったく。人の気苦労も知らないで。

 珠里は、いたずらしている最中の子供のような笑顔だった。


 予鈴が鳴り、朝礼を始めるために担任が教室に入ってくる。

 夏休み中に学校に連絡を入れていたためであろうか、担任は由之を見てもさほど驚きもせず、河内は昼休みに職員室に来るように、とだけ言って、朝礼をスムーズに進めていく。


 その後は、退屈な授業時間と思春期男子共のデリカシーに欠ける質問攻めにあう休み時間とを繰り返し、昼休みに突入した。


******


 職員室での面談は、生活についてなど簡単な質問を数個受け、それに答えるだけだったため、思いの外早く終わった。ジェンダーに関する問題だからなかなか核心には触れられないのだろう。


 帰り際に、授業で使う教材を教室に持っていくように頼まれた。

 そこまでの量には見えなかったので二つ返事で了解する。


******


 ——重い。腕力が落ちたのだろう。今までは、当たり前に持てていたであろうものが重く感じた。

 やっとの思いで、階段まで到着する。教材を持っていると足元が見えないため少し首を傾けて降りることにした。


 階段を一歩ずつ慎重に下りていると、ふっと荷物が軽くなり視界が開けた。


「手伝う」


 横から声がする。

 太一だった。どうやら一緒に運んでくれるようだ。


「あ、ありがとう」


 そんなに危なっかしく見えたのだろうか。ただ、重かった荷物が減ったのはありがたい。

 しかし、疑問に思う。どうして、太一は、ここにいたのだろう。

 もしかして、また——


******


「よしのん、いっしょにかえろ」


 五時間目までの授業を終え、放課後になった直後、珠里に声をかけられた。

 珠里なりに気を使ってくれているのだろう。断る理由もなかったので、一緒に帰ることにした。


 思えば高校に入ってから今まで、一度も一緒に帰ったことはなかった。

 小学校の頃は、毎日一緒に帰っていたことを思い出し、どこか懐かしい気分に浸る。


******


 荷物をまとめ、珠里と一緒に教室を出て、階段を降りる。

 下を見ると、階下には、太一の姿があった。

 太一と目があう。

 しかし、太一はすぐに目をそらし、そそくさと昇降口の方へ行ってしまった。

 そんな太一の姿を見て、胸の中にもやもやしたナニかが広がる。その場所から動けなくなってしまい、自然と言葉がこぼれた。


「この気持ちは、ナニ?」


 珠里は、聞き逃さなかったようで、立ち止まってしまった由之の方を、下から振り返り、真面目な顔をして言った。


「教えてあげよっか? その気持ちの名前」


 少しの思考の後、『答え』にたどり着く。

 

「——ううん。いい。本当は分かっていたんだ。でも男だったから・・・・・・これはしょうがないって思ってた。女の子になって気づいたんだ。もうこの気持ちに嘘はつけないって」

「——そう。わかった」

「うん、行ってくる」


 まだ、そんな遠くまで行っていないはず・・・・・・

 下駄箱で靴を履き替え、走り出す。


 帰宅する生徒達の中から、太一を探しながら走る。


 見つけた。太一は校門の側にいた。

 駆け寄って、声をかける。


「太一!」

「——由之? 」


 突然のことに太一は困惑しているようだ。


「やっと気づいたんだ。この気持ちに。だから、伝えたくて——」


 一歩ずつ太一との距離をさらに縮めていく。


 太一は、まだ何の話かわからないといった様子で首をかしげている。

 太一まで、あと一歩といったところで、立ち止まる。

 そして——


「階段にスタンバって、下からスカートの中、覗こうとすんじゃねぇ!このバカ! 死ねぇーー!!!」


 ひざ蹴りをかます。

 この気持ちは殺意だった。

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